2020年3月31日 (火)
2020年3月30日 (月)
花言葉が、、、
カラスノエンドウ。春早くから日当たりの良い場所に密集して繁茂し。紫色の可愛い花を咲かせるところから、古来日本固有の種類かと思っていたら帰化植物だったとのこと、人間同様今更外来種と言いたてるのがはばかれそうな草である。
種類としてはそら豆科に属しているそうだが、カラスとかスズメという名前が頭に来るのは偽物という意味が矢一段下という意味を持っている。
しかし、花言葉は「小さな恋人」などまるで菓子につけるようなフレーズが載っているが、これは花が二輪寄り添って咲くことに由来すると聞いて、まさに、、、、、
タレントの志村けんがコロナウイルスで亡くなったそうだ。
よく名前の知られた人が犠牲になったことでこの病気が容易ならざるものであることを再認識した人も多かったのではあるまいか。
昨日、浜松でこのウイルスに感染した人のことで市の記者会見が行われたが、本人が拒否したとかでどこの誰か、住んでいる地区などを含めてすべてが伏せられた内容であり、なんのためわざわざ市の担当者が出てきたのか歯切れの悪い発表であった。
まあ、名もなき市民が名もなきまま亡くなった場合はそれもありかなと思うが、必ず回りがあぶりだし、ネットを通じて拡散する可能性があり、もし、間違った人が憶測で該当者にされた場合、迷惑この上もないということになる。
カラスやスズメに類した我々としたらどうすればよいのだろうか。
2020年3月28日 (土)
三月は、、、
イタンドリの新芽が吹き出しているのを見かけた。
そばには昨年の茎が折れているのでもわかる通りタデ科の多年草である。
草丈は大きなものになると背丈を超すほどになるから2Mに近いものがあり、蓼の仲間では最大のものになるだろう。
直径2センチほどの太い新芽は子供のころのおやつ替わりで、皮をむいて食べたが、その酸っぱさから10センチとは食べなかったように思う。
ただ、この草を指で押しつぶしゆでて灰汁を取り、煮しめにすればまたおいしく食べられるので最近でも時々は作って食べることもあり、、、まあ、山菜の部類に入れとこう。
イタドリ、名前の由来は傷などに効くそうで痛み取りからきているということらしいが、まだその薬効を試してみたことがない。
三月もあと少しになった。
三月と言えば今日28日はアメリカでスリーマイル島の原子力発電所で事故があった日だが、3月1日はビキニ水爆実験で何隻もの日本マグロ漁船が死の灰をかぶった日であり、10日は東京大空襲で10万余の人がなくなっているし、11日は東北地震の日、20日は地下鉄サリン事件の日などが続く、そして、遠くには24日は桜田門外で井伊大老暗殺、昭和3年3月20日にはクーデター未遂事件などがある。
そして、今年は新型コロナウイルスで全国的に人の交流や集会を自粛させられるという、江戸時代以来の異常事態になってしまった。
天災は時期を選ばないのかもしれないが、人間はこの時期変調をきたすのかもしれない。
今朝は雨もよいなのに最低気温が16度もあって、身体がついて行けなかったのか朝から”だるい”と言った感じがして、それを払しょくするため不要不急なのに雨上がりを待って山の畑まで出かけてみた。
2020年3月27日 (金)
ズボン下
キンクロハジロという名の鴨。
真っ黒な体の一部が真っ白というダンディーないでたちで麻機沼へ避寒に来ている。
全長25センチほどという小さな身体ながら、汎良を得てこれからシベリヤまでの長旅を予定しているようだ。
カモの仲間はどちらかというとずんぐりむっくりが多いようで、こんな身体つきでは海上を渡るのは大変だろうと想像してしまうのは、自分も同様な身体つきだからである。
昨日テレビで、南極探検の初期に犬ぞり隊を連れて行ったが、悪天候のためそれらの犬を連れて帰ることができなくなった番組をやっていた。
映画にもなったかと思っているが「タロージロー物語」でも一時有名になった。
昨日の番組ではなぜこの犬たちが、寒い南極大陸で生き残れたかをやっていたが、その原因の一つとして生まれて一歳になるかならないかの若さもあったのではないかということだった。
生物すべてがそうかどうかまでは知らないが、歳をとるにつれて褐色脂肪というものが少なくなり、次第に寒さに弱くなるというものであった。
四十二年前、静岡に移住してきた当初あまりにも温かいので驚いたものであった。
その頃の飛騨は、真冬になるとマイナス10度以下は当たり前で、20度前後まで下がることさえあった。
そんななか、職場では「今日はレイカだ」と言って騒いでいるのをどういう意味か分からずにいた。
しばらくしてレイカは零下という意味だと分かったが、飛騨に比べればそれでも10度前後は高い気温だったので、その騒ぎ様に驚いたものである。
それから41年、すっかり静岡の気候に慣れたのか、歳をとって褐色脂肪がしくなくなったのか、今年になって半ズボン下を履くようになった。
これがまた、心地よくいまだに脱ぐ気になれないでいる。
新型コロナウイスは年寄りが重症化するそうだが、気持ちの上では若いつもりでいても身体が衰えていることはズボン下が教えていてくれる。
急激に悪化しては遺書も書く暇がないかもしれない、そろそろエンディングノートを書かなきゃ、、、、
2020年3月26日 (木)
コモチベンケイソウは
これは「コモチベンケイソウ」の花である。
高さ、1mにも伸びた茎の先端に小さな筒状の緑紫色した花を無数つけているが、この時期のためか、それとも出身がマダかスカルという遠い島のためか仲介する虫が見当たらない。
しかし、この草の特徴はどうも虫の仲介を必要としないところに強みがあるようで、この花がおわったあと、小さな実をつけるのではなくそっくり小さな子供を作るほか、葉っぱの縁にもクローンのように小さな子供をつけ、落ちては地面に根を下ろすというほかの植物にはない方法で繁殖していき、天気さえよければこの草の周りはびっしりと隙間もないほど埋め尽くされていく。
ただ、暖かい地方に育つ果肉植物のため霜などには弱く、葉っぱの中が凍ってしまうのが日本では繁殖しない理由かもしれない。
今日も午前中2時間余りお茶の木伐採に出かけた。
毎回8~10人ほとんどが女衆なので一人一人の仕事ははかがゆかないがそれで着実に伐採面積は拡大していく。
静岡では、まだ、経路のわからないコロナウイルスの患者が出ていないが、それでもせき込む人がいると警戒されてしまう。
休憩中の話題も「中国では、終息したと彼の国の政府が言っているが信用できない」という人がいたが、日本の患者数は信用できないというのも世界の常識らしいことを知っているのだろうか。
森友文章をはじめ桜見る会もすべて破棄してしまった日本政府、コロナウイルスも重症患者とその周りの濃厚接触者と言われる人だけの数字であり、医者が怪しいと思っても保健所が検査の許可を出さない人がかなりいることからしてなんか怪しいもやもやが残っている。
2020年3月25日 (水)
不要不急
昨日行った身延山久遠寺の軒下に赤鬼らしき像があるのを初めてみた。
何かいわれがあるのだろうかとおもったが、聞く機会も場所ないまま帰ってきた。
しかし、こんな図柄はそうそうあるものではないだけに、なにか機会があれば聞きたいものである。
東京都知事が「不要不急の外出を控えて」と言ったとテレビの速報がでたあと、すぐに今度は外務省が「不要不急の海外行きは自粛するように」と同じような声明を出した。
今年の言葉は”不要不急”できまりだな。
しかし、何をもって不要不急とするのかわからないが、それを破れば上のような赤鬼に退治されそうな感じがする。
暇人の年寄りは家に閉じこもっていたのでは急激に体力が落ちてしまうのではないかと思い、コロナの感染が少ない場所で何かしようと思っているのだが、、、、、、
不要不急と言われるとすべてそうなってしまう。
幸い今のところ、東京都民ではないし、海外に行く当てもないのでしばらくは自由にさせてもらうことにしようと思っている。
2020年3月24日 (火)
枝垂れが満開
政府のお達しに従ったわけでもなかったが、しばらく遠出をしていなかった。
二十日からの三連休は、人込み嫌いの自分の性には合っていなかったし、静岡の桜を見て世の中もこんな調子かと思っていた部分もあった。
昨日、連れの友達が「蕎麦を食べたいのでご馳走するからどっかへ行こう」という言葉に乗って、「天気も良いし富士宮あたりにでも行こうか」ということになり自動車を運転した。
富士宮の朝霧高原の下手まで行ったところで「ここまで来たんなら、山梨まで足を延ばそう」ということになり河口湖まで行ったが、評判の蕎麦屋は自分たちの口にはあまり良くなかった。
そこで気付いたのは、標高のかなり高いところでも桜が咲いていたことであった。
本栖湖によって下部温泉に向かう途中のお寺の境内の桜があまり見事だったので「ひょっとして身延の久遠寺の枝垂れ桜も咲いているんではないかい」という話しになり帰り路ルートを変更して向かっていく。
裏口ルートだったのですれ違う車もほとんどなく、駐車場にもスムースに入れた、どうやら自粛ムードのため観光バスが動いていないことが一番の理由らしい。
境内は例年の1/3よりももっと少ないくらい?に感じたが、桜は今が一番の見ごろと言って差し支えない。
一瞬「これはコロナさまさまだな」なんて気にさせられた桜見物になった。
2020年3月23日 (月)
桜桃にメジロ
梅に鶯ならぬ桜桃にメジロ。
おおかげで美声は聞こえず。
東京では桜も満開という報道がある中で、それよりも”ぬくとい”静岡はつぼみも硬くまだ開花宣言はできていない。
そんな中、桜桃のほうは冬眠打破というものがないためか、例年通り開花にこぎよせたようだ。
おととい、ひょっこりと孫娘が顔を出した。
浜松に就職してもう五年、かなり大人っぽくなったがじいじから見ればまだまだ、、、、
保険関係の仕事をしているので、「新型コロナに気をつけろよ」っていうと、「静岡のほうが近くのジムに来ていたそうだからよっぽど危ないよ」っていう。
若い者は、五年も住むとすっかり自分の住んでいるところのほうがよくなるのかな?なんて思ってしまう。
こちとら、四十年以上も住んでいるのにまだまだよそ者気分が抜けなくて静岡人の悪口を言っている。
2020年3月21日 (土)
2020年3月20日 (金)
彼岸の中日
春になれば しがこもとけて
どじょっこだのふなっこだのが
天井こ開けたと思うべな
ここしばらくの暖かさで水槽のメダカたちの動きが活発になり追いかけっこを始めた。
「暑さ寒さも彼岸まで」というが今年は本寒いという日がほとんどなく、静岡のシンボル竜爪山に雪が積もった気配もないうちに春が来てしまった。
「静岡の人間はぬくといもんで、、、」というのが口癖というか何度も聞いた。
しかし、今年はこのぬくとさが影響したとかで、桜の開花が東京などに比べてかなり遅く、どうやら平年並みの開花になりそうだとのこと、、、
理由は、冬の間に寒い風に会わせないと桜が春を実感できないからという。
なんにでも決まりはあるようだ。
2020年3月18日 (水)
華鬘草
彼岸に合わせるかのように華鬘草が山道の脇に咲き出していた。
華鬘とは、お寺の本堂などの上からぶら下がったような形で下げられた飾りで、この花もそれと似ているとして名づけられたものらしい。
細い筒状の花を四方に向かって口開いているさまは、なんだか統一の取れない子供を見ているようで、、、
春の陽気は最近の株価に似て暑くなったり寒くなったりの繰り返しで身体の調子を悪くしているようだ。
昨日急に例のお茶の木刈り払いの要請があったので出かけることにした。
朝のうちは、鶯の啼き声に心ほだされたが、次第に気温が上がりお昼には山の尾根付近なのに22度まであがり、下着が汗でぐっしょりとなってしまった。
帰って下着などを洗濯機に放り込み、昼寝を決め込んだが、約二時間ぐっすりと眠ってしまった。
それが悪かったのか、起きてしばらく身体がだるくて何にもできず、ぐずぐずとしている間に夕食になってしまった。
”春眠 暁を憶えず”とかいうが、こんなのは何というのだろうか。
2020年3月17日 (火)
春が来た
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
ここしばらく蓮華の種に補助がなくなったためか、一面蓮華畑というところがなくなったが、案外蓮華という草はしぶといようで、田んぼの縁などには毎年絶えることなく花が咲いている。
柔らかい葉っぱ、可憐な花ながら、代掻きの時には耕運機にかき回されて消えてしまうのに、、、
今日は、彼岸の入り、面倒くさいと言いながら牡丹餅をほんの少し作り仏壇にあげたあと、おすそ分けに小さなのを二つ出してくれた。
日ごろ太りすぎの原因だから「間食はしない」と言っているが出されればつい手が出てしまう。
母親が亡くなったのは3月18日だったのを思い出し、あわてて年忌はどうだったかと調べなおしてみる。
”去る者は日々に疎し”とか、昭和は20年が1,945年だったから簡単に西暦に直し計算できたが、平成になり令和になると西暦との整合が出来なくなってしまった。
おまけに、年忌は数え年とくると、、、、、計算が出来なくなってしまう。
今日も言う、「歳は取りたくないねえ」と愚にもつかないことなのに、、、、
2020年3月16日 (月)
2020年3月15日 (日)
三題噺
うす緑の若々しい葉の中に淡い緑の花が咲いている。
樒(しきみ)別名を香花といってこちらの人は仏前に手向ける花としてよく採っていく。
自分が住んでいた飛騨では宗派の違いなのか無かったのかは知らないが、この木は見た覚えがなく、静岡に来て初めて知った木である。
樒は香花という名前があるくらいだから、その揮発性の香りはかなり強いうえ花瓶に挿しても長持ちをする花として好まれるようだ。
しかし、その香りはどくせいのたかさもしめしており、花言葉は「猛毒」「援助する」「甘い誘惑」と続くとなんだか三題噺のように一つの物語が出来そうな感じがする。
今日もまた、山に自生する樒を取りに来ている人がいたが、彼岸の入りを間近にして採っていったようだ。
昨日の新聞によると、静岡県で132頭目のイノシシが豚熱(豚コレラ)で死んでいるのが見つかったそうだ。
近年畑を荒らすイノシシの急増して、山の畑の周りも何度か掘り返されていたが、今年に入ってからは目に付くところで荒らされている気配はない。
イノシシの数はどんな居たとしても人間の数ほどではないのだから、132頭というのは致死率の高い病気のようだ。
県では、豚に移るのを恐れて山のあちこちにワクチンを餌に紛れ込まして蒔いているそうだが、効き目があるのかどうかわからない。
何せ向こうは、住民票がないので、、、、
一方人間界では、新型ウイルスによる騒動が収まる気配がない。こちらはワクチンや治療法がないのが一番の悩み。
2020年3月13日 (金)
つくし誰の子
つくし誰の子 すぎなの子。
春の風景を象徴する植物の一つ。
密集してあぜ道などで繁殖するため、幼児でも簡単に摘める山菜として愛でられている。
ただ、この草が畑に入ると、損保除去は容易ではない。
何億年も前から修羅場を潜り抜けてきただけあって、抜いても抜いてもその一部が残っていれば決して絶えることのないしょくぶつである。
自分もこのくらいの根性があったらと思う一方で、いやすぐに挫折した結果がいまの幸せに繋がっているのかなと思うと、、、、、
人生終わってみないと分らんもんだとささやく声が、、、、、
今日は13日の金曜日、昨日は三隣亡。
それかあらぬか、株価は大暴落をしている。
結局は、ちょっとした引き金があれば砂上の楼閣のごとく雪崩を打って下がりに下がっていく。
砂上の楼閣は、支持層までしっかりと杭を打ち、基礎工事をしっかりとしていれば何とか持つものだが、、、
安倍内閣になって、極端な低金利政策のため内部留保をため込んでいる大企業は別にして、地方銀行などをはじめ余力のない企業が多い中その回復はいびつな形で進みそうな気がする。
政治家は株価が上がれば、自分の功績のように喧伝するが、その逆の場合は人のせいにする。
2020年3月12日 (木)
オオバライチゴ
オオバライチ後の花があちこちとこぼれたように咲いている。
花の直径は2センチは越えているので、野生のイチゴとしては最大で4センチ程度までのかなり大きいイチゴが五月過ぎには実るであろう。
この花を見ると、今では成人した孫たちを連れていちご狩りをしたのはついこの間ことのだったように思い出される。
甘さは栽培されているものより控えめなうえ、種が固く舌に触るが、そのまま食べたりジャムにしたこともあったげな、、、、。
今日の暖かさでミツバチも交配の手伝いに来ていた。
今日も例によって、今月四回目の茶の木伐採。
先月まではつまった途切れたりでヘタな啼き声を出していた鶯も練習のかいあってか、かなり上手に囀り始めた。
ひょっとして、このあたりで巣を作りたいと思っていたのかもしれない。
そうなると、鶯の縄張りの木を伐採してしまうのは結構えげつないことかもしれない。
地主には聞いていないので、伐採した後どうなるのか知らないが、小遣い稼ぎが鶯など野性性動物いじめることにならないように、、、、、、
2020年3月11日 (水)
かたくなに背を向けて
庭に咲いている一輪のツバキ。この木の花は今年この一輪だけでほかの蕾はない。
その花が、そばのブロックのほうに向いて咲いているため、人も虫も無視し、すねたような雰囲気を漂わせている。
こっちに向かせようとつまんで捩じってみたが、かたくなに蕊を向けようとはしない。
なんだか”見返り美人”という言葉を思い出させている。
花としては、花粉の媒介をしてくれるメジロや蝶をあてにしているのだろうが、この地に植えてくれた人間はどうでもよい存在だということを身体で示している。
ここ2~3日円高株価下落が大きなニュースとして流れている。
原因は、世界中に蔓延し始めたコロナウイルスと石油の下落だというが、リーマンショック並みの影響があるのかもしれない。
少し前に老後の預金二千万円問題が言われた時「手持ちの資金を株に投資して老後に備えましょう」なんて言っていたが、その通りにした人は失った資金を前にして冷や汗をかいているだろう。
「株なんてものは博打なんだから素人が手を出すものではない」と若い時から言われていた身にとって「やっぱりね!」というしかないのだが、、、、
コロナウイルス問題が解決すればこの株価は元に戻るのかもしれないが、リーマンショックの影響がやっと収まったのはつい先ごろで、日本では失われた20年とも30年ともいわれたくらい長引いた。
いつまで続くのか、本当に戻るのかは予測もつかない中、何十年も続けば寿命との競争になりかねない。
ツバキの花のように、いつまでも背を向けていられると大変なことになる。
2020年3月10日 (火)
地こすりの季節
昨日に続いて今日も雨降りながら十六度と気温の高い日だった。
子供のころ今の時期は朝夕の気温の差が激しく、前の日があったかいと、夜気温が下がって雪の表面が凍り、輪かんじきやスキーでなくても足がめり込まなくなる(これを称して”ごぼらなくなる”といった)ので普段は藪などで歩けない場所でも好きなように走れた。
ただ、気をつけなくてはならないのは”地こすり”という雪崩も起きて国道筋ではトラックが川に持っていかれるという惨事さえあるほど強烈な雪崩が発生した。
向かいの山で谷筋を掘り起こしながら茶色くなって雪崩れる音は春の兆しでもあるが、見ていておっかないものがあった。
一般に雪崩のことを、飛騨では”のま”と言ったがこれは飲み込まれるという意味があったのかもしれない。
そして、地こすりに対して真冬に起きる表層雪崩を”アワ”といったが、これは急斜面にドカ雪が降ったとき起きる表層雪崩で、淡雪というと優しい感じだが、アワは猛スピードで流れ下るため時として数10kmにもなるため、もみの大木でさえ押し倒し直径15cmほどの枝を付け根からむしり取って丸太にしてしまうほどの威力を持っている。
暖冬で雪の少ない今年ではあるが、山では怖い季節を迎えているに違いない。
2020年3月 8日 (日)
夢
ツタバウンランの花が周りの木を雨傘代わりにして花を咲かせている。
この花、いつのころから我が家の庭に入ってきたのか覚えがないが、帰化植物だけにその可憐な花に似合わず繁殖力が強くかなりしぶとい草である。
名前の通り手のひらを広げたような葉っぱの下に細いツタがあるが、このツタをつまみ上げて根こそぎ抜いたつもりでも、しばらくするとおなじような花をまた見ることになる。
花言葉は「遠い夢」だそうだがどんな夢を見ているのだろうか。
今日は朝から暗い空が明るくならず冷たい雨が降り続けていた。
日曜日は、そんなに見たいテレビ番組もないのでどうしようかと思いながら念のためと思ってチャンネルをいじってみたら、名古屋ウイメンズマラソンがすでに10kmほど走っていたところだった。
そのあと少し見ていたら先日女子駅伝で驚異的な走りをした新谷選手が脱落、その言動で人気がある福士選手が遅れしたので一時テレビを切りまたすることがないので再び見ていたら28km地点で監督が指示したとかで今まで知らなかった一山という選手が飛び出した。
これを見て無茶だと思っていつ追いつかれるかなとみていたが、そのまま振り切って2時間20分台という国内最高記録でほぼオリンピック代表の座を射止めてしまった。
あの強い雨の中をよく頑張ったものであるが、人間その時の体調などもあって実力を発揮できないこともあり、運を味方につけないとなかなか夢を手に入れることができない。
思いがけない夢、遠い夢、夢のまた夢など、、、、、夢は限りない。
2020年3月 7日 (土)
廃屋
いま全国で811万戸の空き家があり全戸数の13%にあたるそうだ。
その中には廃屋は含まないそうだから、写真のような家以外ということになる。
そして、若い人を中心に自分の家を建てないで新しいマンションやワンルームを渡り歩くことで済まそうという人が多くなっているそうで、個人の大工が少なくなって家の補修などができる大工が少なくなって来ていると聞いた。
事実、ノコギリが使えない、金槌で釘が打てない職人さえいると聞くと、自分でも大工の端くれと言えそうな気さえしてくる。
日本は技術立国だというが、こういう基礎の仕事が出来なくて何を技術というのだろうか。
また、写真の廃屋は我が家のすぐ近所にあっていつから人が住まなくなったのか覚えがないが、いろいろな法律があってなかなか壊せそうにもない状況と聞く。
台風のたびにご近所さんは壊された破片がどこの飛んでいくか冷や冷やしているいるんだろうな。
2020年3月 6日 (金)
富士山に手を振る
山の畑のさらに上の丘状になったところの一角にハクモクレンの木が一本あり、満開を迎えていた。
昨日までの雨は富士山では雪だったようで青い空を背景に白く浮かび上がり、それの呼応したかのようにハクモクレンは風に吹かれて手を振っているかのようだった。
人は白い花には高貴なものや清潔感を感じるようで、この花の花言葉も”気高い”や”高潔な心”なんて言葉をつけている。
静岡のコロナウイルスの感染者はクルーズ船を降りた翌日と一日置いて次の日の二回、ㇳレニングセンターの風呂に入ったとかで、濃厚接触者の確認やセンターの消毒のために休むなどしたというニュースが流れた。
巷では、さっそく六十代といわれる人の身元がだれかで賑わっていて、その土地ごとに犯人捜しのようなっている。
夕べ来た娘も自分の家の近所の人ではないかなどと言っていたが、駅から歩いて帰宅したということから違うだろうということになったが、SNSでは居もしない会社の会長だとデマが飛び交い、その会社では風評被害だと言っているとかという話しが新聞に載っていた。
感染者は六十代と言い、クルーズ船に乗れるくらいの人なのだから分別もあると思っていたが、保健所の最初の調査ではトレーニングセンタへ行っていたことは隠していたそうだ。
そのほかに行ったところなどは話すのを拒否しているとか、、、、
クルーズ船を下船する際はしばらく自宅待機でいてほしいという要請もあったそうだが、それが守れなかった。
いい大人がそれくらいの辛抱ができないとは、、、、、、、、
2020年3月 5日 (木)
啓蟄
咲き出した菜の花にモンシロチョウが戯れる。
今日は啓蟄、これから地面があったまってくるとほかの虫たちも花に群がり、花粉を仲介するに違いない。
昭和30年代、自分が働いていた鉱山の食堂では昼飯時になるとオイチョカブでにぎわっていた。
オイチョカブとはいま、ゲーム機器で名をはせている任天堂が出していた花札を使って行うゲームで、しばしばお金をかけて行うものもあったが、小さな食堂で行われたオイチョカブはたばこをバラにして行う他愛もないものであった。
親を決めるとそれぞれに札を配り、9に近い数字を作るもので最初は一枚づつ配り、二枚目で子が判断し三枚目を要求するかどうかを決め、同じように自分の札をひいた親と数字の多いほうが勝ちとなりたばこを取り合うというものであった。
ただ、親は二枚目で勝負する相手を決めることができ、危ういと思うものにはもう一枚引いて勝負することができた。
そのほかに、シッピンクッピンは親の総どりとかアラシは親もだが子も作れば勝ちとなるなどの特殊ルールもあった。
花札には絵柄などから特殊な呼び名があり、0はブタ 1はピン 2はニゾウ 3はサンタ 4はシホウ 5はゴケ 以下ロッポウ シチケン ハッポウ カブとつづき、シッピン クッピンは4と1 9と1を言い、アラシは同じ札3枚をそろえた時でシッピンクッピンに比べるとなかなか難しかった。
このようにして親には有利な仕組みだが、親の札が0 すなわちブタになった場合などは賭けたばこをすべてに払わなければならないので、始める前には2~3箱は用意しなければならなかった。
そんなこんなで何回も同元を務めたが、わりあい勝ち運が強くて一時は大きな袋に賭けたばこを持っていて上部一の大親分なんて言われた時もあった。
蛇足として、ピンからキリまでというのは花札の絵柄一月が松なのと十二月が桐ということからつけられたものである。
そのほかにも”思案ロッポウ”というのは最初の二枚を合わせた数字の一桁が6になったとき、もう一枚要求するかどうか迷うときに使うのだが、任天堂がゲーム機器会社になった今では死語になり、再び出てくることなないんだろうな。
2020年3月 3日 (火)
桃の節句
今日三月三日は桃の節句。
今年は暖冬の影響で何もかも早くなるという話しだったが、桃の花にはいま咲き始めたという感じで、いつもより少し遅いような気がしないでもない。
赤みの強い桃の花は艶やかで浮かれたつ春の花としては最高であり、その実はむかし不老長寿の実として珍重されたと聞く。
花のほうは旧暦の三月三日にはどの辺まで北上しているかわからないが、静岡では例年このころ満開に近い状態ではなかっただろうか。
きょうの午後、茄子とキャベツ、レタスの種をポットにまいてみた。
種の袋の裏に、暖地は三月からでもよいという風に書かれていたので、、、、
昨日安倍首相が「私の責任でウイルス対策をします」テレビで言っていたらしい。
らしい。というのはその時テレビで見ていなかったからである。
どうやら、対策が後手後手になっているという指摘に、専門家の意見も聞かずに思い付きで発表した様子で、学校の現場をはじめあちこちで混乱をきたしている様子だった。
もっともこれを聞いたとき、今まで大臣などがスキャンダルで辞めたとき、「任命責任は私にあります」と言っていたことを思い出し、結局は何も責任を取らないのではないかと思ってしまった次第である。
そのくらい政治家に対して失望感は強い。
そして、今日になってようやく広島選出の河合案里議員の秘書が逮捕されたというが、あまりにも遅すぎるという感じがする。
そして、秘書が香典をもって選挙区を歩いていた選挙違反事件はまだ手がついたのやらどうやら、、、、
検察上部の定年延長も絡んで忖度が横行しているのか、、、この国に対して何を望んでいいのやら、、、
2020年3月 2日 (月)
ネコネコオンボ
ネコヤナギの花が先端からつぼみを開かせ始めていた。
厚いコートの毛皮を脱ぎ捨て、もうこれから寒いとは言わせないというかのように薄い黄緑の穂をのぞかせる。
下の枝の穂は「大丈夫かな?」とでも言いたげに上を眺めて様子見をしている。
飛騨では、この時期のネコヤナギを”ネコネコオンボ”と言って子供のおもちゃにしていた。
とうぜん、この名前は日本中の共通語だと思っていたらそうではないと、飛騨言葉を紹介している「佐七」という人の多分同年代か少し上の人の解説に載っていた。
そして、ネコネコオンボは木の枝に抱かれた猫からきているのではないかとあった。
しかし、自分の小さなころからの思い出としては、猫のしっぽという解釈で過ごしてきたので、、、、
飛騨では今年は特に雪の少ない年だったそうで、積雪もすくなかったようだが、思い出すのは雪に押さえつけられた木の枝がもう少しすると雪をビシッとはねのけて雪の上に小さな花芽をつけた猫柳を思い出してしまう。
まるで、江戸時代、権力に押さえつけられた飛騨の百姓一揆のど根性のような感じがして、、、、。
2020年3月 1日 (日)
陰に隠れて
知らない人が見たら柿のヘタかと思うような寒葵(カンアオイ)の花が落ち葉の影に隠れて寝ころんでいた。
色といい形といい、虫に来てもらいたいとアッピールする気が全くないと思われるその花は、残る匂いが武器のようである。
この地味な花葉っぱは冬でも青々として枯れないところから名づけられたそうだが、この草の名前を初めて知ったのは春の葉や時期に出てくるギフ蝶の幼虫の食草だということであった。
この草を目当てにすれば春の妖精ギフ蝶が来るのでないかと毎年生えている場所に通ったが、タイミングが合わなかったのか、この草の生える場所には来なかったのかついに見ることがなかった。
長野に住む義妹からトイレットペーパーがないかと電話が来たそうだ。
なんでも、あと少しになったのでいつも店に行って見当たらないし、ほかもそうだったとのこと。
先日来、コロナウイルスに絡んで「中国からトイレとペーパーが入ってこなくなる」というフェイクニュース流れ、日本のメーカーが「トイレットペーパーは国産がほとんどでその心配がない」と否定していたというのは聞いていた。
それなのに、それなのに、、、、、、聞いたら静岡でも少なかったそうだ。
何十年も前、オイルショックの時に起きたことをまた繰り返している。
人間って全く進歩しない動物なんだな。
このことを最初に発信した奴はどっかでにんまりとほくそ笑んでいると思うと腹が立つし、それに乗っかった主に女性だと思うが、、、、、、、、いう言葉がない。
しかし、現実長野の義妹には前に買い置きしているのを半分送ってやるしかない我が家も被害者なのだ。
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