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2020年5月31日 (日)

眠そうな朝日

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まだ寝足りないような顔をして太陽が昇ってきた。

田植えが終わったばかりの田んぼにほんの少しだが煙を吐く浅間山を投影して「やんなっちゃったな」と言わんばかりの朝が来た。

そんな風に見えたのは、こちらも昨日働きすぎて疲れていたためだろうか。

 

 

おととい、前から循環器系の病で入院しなければならなかった義弟が新型コロナの関係で入院を待たされていたが、いよいよ手足にむくみが出てきたため緊急で入院することになった。

連れは愛知県で足止めを食っているため、自分たち夫婦と望月町の妹とその入院と家の後始末のため、「県境を越えての移動は自粛してください」と書かれた掲示板をいくつも見ながら山梨県を超え長野県まで車を走らせた。

はじめは義妹から「白い目で見られるから来なくてもよい」という連絡だったが行ってみると年に何回も言っているおかげで、そういった嫌みのような言葉は全然なく表向きだけかもしれないが「よく来た~なあ」と言ってくれた。

男やもめに蛆がわく」とはよく言ったもので、近所の人に手伝ってもらってこの地方風にごみを分別し、家の内外の掃除で一日がくれた。

そして、病人の方は今どこでもそうらしいが荷物を持ってはいると「あとはこちらでしますので、、」と言われて追い返されてしまった。

この後面会もできないとのこと、、、、こんな状態なので病院も何変化がないと入院させないのかもしれないが、病状の悪化から治療が長引くのではないだろうか。  

おそるべし新型ウイルス。

 

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2020年5月28日 (木)

気分はすっかり

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青い空を背景に白い水木の花がすがすがしく咲いている。

花びらのような白い部分は額であり、花は真ん中のネギ坊主を小さくしたところだと言われたが、藻のネギ坊主のどこにおしべめしべがあるのかよく見たことがないので気が付かなかった。

しかし、もうふたつきもすると真ん中の緑色のネギ坊主が大きくなり黄色から赤に代わり濃い赤紫になると食べごろである。

同じように見えても、外来種のハナミズキは実が赤くなるものの二つ三つが一か所にかたまり、艶のある小さな丸い実は食指が動かない。

いかにも固そうなせいか、それとも食べたことがないせいか、、、、、、わからない。

ともあれ、爽やかな風に吹かれて花を載せた枝がゆらりゆらりと揺れている様子は、昨日に比べて温度湿度が低いためばかりでなく涼しげに見ゆる。

 

きょうは、ジャガイモと玉ねぎ掘りを行った。

わずかばかりの場所なので、量は少なかったが汗の量は多かった。

下着まですっかりと汗で濡れてしまったので、今年の初シャワーで汗をぬぐった後甚兵衛に着替えて仰向けに昼寝をしたが開け放した窓から吹き込む風で気持ちよく寝入ってしまった。

気分はすっかり夏気分!!!!

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2020年5月27日 (水)

じいじんちのさくらんぼ

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”じいじんちのさくらんぼ”が真っ赤に熟れて摘み手を待っている。

じいじんちは爺ん家の意味で、孫たちが小さいころこの実を喜んで食べたときに名づけた言葉である。

このサクランボは三月末に花を咲かせた桜桃の実で、市販されているサクランボに比べれば真ん丸で艶々と光っているのが特徴であるが粒が小さくつぶれやすいという難点もある。

ただ、いまでもそうだが木の高さが2m少しと小さいため子供でも手が届き自分で摘み取ることができたので、人気があった。

ここ10数年孫たちも大きくなって木の下で騒いでいる声も聞こえなくなり、それこそ爺じが摘み取るだけでほとんどが落果するに任せている。

 

6月19日は桜桃忌と言って作家太宰治の忌日名にこの言葉をつけている。

いまが盛んであり、6月19日にたぶんすべてが落果してしまい葉っぱだけになっている桜桃をこの作家の忌日名にしたのだろうか。

そして、残念なことには又吉らが絶賛する太宰治の小説は一冊も読んでいない。

 

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2020年5月26日 (火)

朽ち果てていく

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木が完全に朽ち果てていくのはコケ(きのこ)などの菌類によって侵されてボロボロになり崩れてしまうからである。

この木は何という木だったのかは今ではわからない。

直径7~80センチはあろうかという堅木だったとしか今はわからない。

どのような事情で切られたかはわからないが、切られる前には青々とした木陰を作っていたに違いない。

 

木村 花さんというプロレスラーは亡くなったという報道を受けて初めて知った。

なんでも、テレビ出演をした際の言動がよくなかったとかでSNSで非難中傷されたことで自殺したとか。

幸いにしてSNSをやったことがない、いや出来ない自分にとってはそれがどんな苦痛なものかは知らない。

それに比べると、政治家という人種はどんなに責められてもそんな気にならない人でないと務まらないのかもしれないようだ。

面と向かって痛罵されようと、国会の質問には論点をずらしてまともに答えようとはしない。

森友学園、加計学園然り、直近では黒川東京検事長にしても、世間が納得しない詭弁を弄し、「責任は私にある」を何回繰り返したかはわからないがどんな責任を取ったのかわからない。 いや取ったことがない。

蛙の面になんとか、という言葉があるが、ほかの大臣も平気で前言をひるがえし、解釈の違いだと言い募る。

こんな人でないと、政治家が務まらないとすると、国民の声は、、、、、、、、

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2020年5月25日 (月)

コロナ造語

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あっという間に五月も下旬と言われる季節になり暑い日が当たり前のようにつづく。

暑さに弱い自分にとって嫌な季節の到来が目の前に来ているということを否が応でも感じさせられてしまう。

そんな中、畑の隅に野蒜のむかごを見つけた。畑の周りなど肥料を吸ってすくすく育った野蒜は山菜というにはちょっと趣が違うが、子供のころから好きでよく掘って食べたものだった。

いま、このむかごは種の先に落ちたあと葉になる部分を不気味にくねらせている。

こんな状態になったのは、何度も見逃してきたためで、、、、、、、これが食べられるようになるのはいつのことか。

 

今年に入ってから新型コロナウイルスのためいくつもの新しい言葉がテレビや新聞に載った。

クラスター、フェーズ オーバーシュート ステイホーム ソーシャルディスタンス PCR など日本語で無い言葉が次から次へと出てくるたび年寄りはなんだかわからない。

日本語に直せないのかと聞くとそれぞれ当てはまる日本語はあるという。横文字のほうがかっこいいのだろうか、若者受けする「かわいい」なんだろうか。

そして日本語で書かれたのはコロナ太り、三密、アベノマスク、自粛警察、自粛疲れ、、、どれもこれも響きがよくない。

なかでも自粛警察は対策を守らないと思う人に人に対して嫌がらせで対抗しているようで、他県の自動車に石を投げつけたり、営業している店に避難する文書を書いた張り付けたりで、むかし聞いた「国防婦人会」みたいなところがある。

ようするに、自分は我慢しているのに許せないという感情がそうさせるのだろう。

また、”自粛疲れ”という言葉は、一か月半におよぶ外出自粛で家に閉じこもったため、我慢できなくなった人々が声を上げ始めた結果であるが、これも先の大戦時代は「欲しがりません勝つまでは」の標語にあるように四年以上も我慢させられた時に比べれば短いのだが、、、、

あの時の体制が続いていたとしたら、自粛疲れなんて言葉がなかった。

日本が戦争に負けてくれてよかったと思うこの頃である。

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2020年5月24日 (日)

ポツンと希望の光

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一直線のトンネルの先にはまばゆい光が見える。

静岡といまは焼津市になった岡部町を結ぶ旧東海道に作られた宇津ノ谷の明治のトンネルである。

この宇津ノ谷には明治。大正、昭和そして平成のトンネルと年号が変わるたびにトンネルが作られ、明治、大正、昭和と低い位置に下がり、その後作られた平成のトンネルは昭和のトンネルに並行して掘られ、二車線づつの国道1号上り下りとして使用されている。

明治のトンネルは当初1,876年に開通したというから明治の二十九年ということになり、当時の技術のまずさから曲がっていたうえ段差もあったそうだ。

その後火事で崩落などして通行不能になったあと修正して一直線にし、中をレンガ張りにして開通したが、機械化の進んでいなかった当時は難工事だったことは予測できる。

しかし、皮肉なものでそのあとすぐに東海道本線が開通して汽車が走るようになると、利用客も減ったそうだから元が取れたかどうか 、、、、、、

いま、このトンネルは有形文化財に指定されているが、人に知られていないためかあまり人影はない。

ところどころにある電灯の明かりで懐中電灯などは必要ないが、遠くに見える外の明かりを見るとき、なんだか希望の光のような気する。

コロナウイルスで閉塞感のある世の中だが、この光のようにポツンとした光が徐々に大きくなっていくのは遠い先のことではないことを祈る。

 

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2020年5月22日 (金)

古いビデオを見る

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センダンの木の先が淡い紫色になっていた。

この木は本来なら四国のあたりを北限としていたそうだが、この花を愛でてか庭木などにしたのが野生化してあちこちで見られるようになったそうだ。

そのむかし、この木の名前はオウチと言ったそうで、小さな花のおしべの色からオウチ色という名が作られたと書いてある。

薄紫っぽいその色は昔の人に愛されていたようだが、木そのものは薪にもならないくらい、何の役にも立たず”唐変木”という名前の由来になったと聞く。

秋も遅くなって白い実を地面に落としているが、その前に鳥が群がって食べることもなく落ちた実も果肉がなくてしわしわの皮が種に張り付いて一面に転がっているのを見ると、種が芽を吹くのはよっぽどのことなんだろうなて感じがする。

 

先日、当ブログにたびたびコメントをいただいている岡崎在住さんから自分が小中学校をころ過ごした大津山を写したホームページを転送してもらった。

大津山は、神岡鉱山の一番北側にある池の山鉱床から鉱石を採掘していたが、今では採掘も終わりスーパーカミオカンデやカグラで有名になった鉱山である。

神岡鉱山の鉱床は栃洞坑、円山坑そして大津山坑と大きく分かれていたが、それぞれに地質もかなり違ううえ採掘している人たちの気質も富山県系の人が多かったのでかなり違っているように見えた。

ここに自分がいたのは八年くらい、学校に通う生徒は250人くらいだったから人口はその当時家族を含めて1,000人くらいだったろうか、すべてが社宅住まいのため、定年を迎えるとこの地を去っていくという入れ替わりの激しい場所だった。

そのため、10年もすると知らない人がかなりいてビデをを見てもなかなか知った人が出てこない。

何度も画像を止めてみたりしたがわからない。

唯一、社宅全面移転してから下の茂住に住んでいた〇山▢郎さんが徒歩で上がり、あちこちを棒で示しているのを見ただけであった。

その人もすでに故人となったが正式名称は憶えていないが神岡の歴史研究会に所属し10年ほど前に笈割の祭りで語り合ったのが最後である。

このほかにも、全面移転した際には自分も最後の集会に参加させてもらったが、このあと自分が静岡に来てから、社宅のほとんどがタイミングよく火事で焼けてしまった。

この火事にはいろいろな疑惑があるように聞き及んでいるが、一応原因は漏電ということになっている。

なにしろ、企業城下町では鉱山の承諾なしには動けないところがありそうで、いまの中国を見る思いがする。

とはいえ、しばらくは眺めて新発見が有るか無いか調べるつもり、、、、

 

追:5月25日、2018年のビデオに笈割の祭りを写したビデオがあったが、そこには従兄弟の子供が映っていたが、自分が参加した時の顔触れは動作がしても見当たらなかった。

こちらのほうも、世代交代が進んでいるようだが、参加者も自分が出たときに比べれば酸くなっていることから、いずれ、全てが消え去っていくのだろう。

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2020年5月21日 (木)

一気に落ちる

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スイカズラの花があちこちで咲いている。

長い蔦の先に筒状の花を密集して咲かせている。はじめは純白であるが次第に黄色くなっていくところから金銀花とも呼ばれているが、なんだかお金儲けにばかりかまけているように見えてあまり好きではない名前である。

スイカズラは吸葛と漢字で書かれるが、この花を摘んで、吸うと甘い蜜を感じるところから名づけられたといわれるが、この甘さを感じるのは今の人では難しいところがある。

子どもたちは山のものには興味がなく、あっても駄菓子をはじめ食べ物の甘さはこの三つの何十倍もの甘さがありその甘さになれたものにとっては、”ほのか”という言葉は死語に等しいから、、、、

 

「水戸黄門」に代表される長寿時代劇はほとんど同じパターンの繰り返しである。

それでも視聴率が低くないのは、権力者や悪徳商人らが毎回成敗されるところにある。

その伝統は現代にも生きており、政治家や有名人などが事件を起こして失脚するところに留飲を下げている。

 

今回の黒川東京検事長の自粛中に行った賭けマージャンはその典型でであり、コロナウイルスで鬱屈していた国民のはけ口が一気に向かうことになりそうだ。

それにしても、こんなに世間を見ることができない人が良くここまで出世したものだ。

エリートと言われる人によくあることだが、若い時からちやほやされた人は周りがそうしてくれることを当たり前と思い気に掛けることはなく、ヒラメのように上ばかり見る習慣が身についてしまった結果であろう。

彼の眼には政権の気に入られることしか念頭になかったのであろう。

その結果として「余人をもって代えがたい」なって言われ、法律を無視してまで閣議決定で定年が延長された時には有頂天の極みだったの違いない。

その有頂天から一気に奈落の底まで落ちていくのに時間はかからない。

悪女の深情けは「公務員定年延長を断念」をきっかけに潮が引き見捨てられる。

いまになって後悔していることは、定年になったとき安倍首相の指名を断って退官しておけば弁護士として次の道が光り輝いていただろうとということである、と推測する。

なまじっか、NO1を目指して色気を出したことが悪かった、ということしか念頭にないに違いない、そして、とりまきの新聞記者にはめられたと息巻いてく程度にしか見ていないと思う。

こちらとしては、コロナウイルス一辺倒だったワイドショーにまた一つ話題が加わったことで見る気が出てきたのだが、いつまでその興味が続くやら、、、、。

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2020年5月20日 (水)

いずれもアイリス

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いずれが文目か杜若と言われるほどアヤメとカキツバタは似ていて区別がつかない例えに使われる。

花しょうぶや一初も含めて日本では水辺に咲くとか畑地でも咲くとかで区別するが、品種をいじくった結果例外もあるというに至ってはその区別もあいまいになってしまう。

海外では、大雑把にアイリスで済ませてしまうし、仕事で行ったアンデスの山岳地帯ではすべての花をフロールで片づけられた。

ここに咲く花は花しょうぶだと思うが、掛川の加茂の荘では、今ごろこんな風景が広がっているに違いない。

 

近頃になってようやくマスクが店頭に並び始めた。

そうなると現金なもので、ものがあるという安心感からかマスクを買い求める人がさっぱり見かけなくなった。

今日のテレビを見ていて笑ってしまったのが、菅官房長官「アベノマスクのおかげで店頭に並び始め値段も下がった」というはなしであった。

記者会見で真面目に答えていたところを見ると冗談で言っているとは思えない。

この期に及んでまだこんな認識をしているのだとしたら、この人たちには何を言っても一般の国民の声は届いていないのだろうなって感じしかもてない。

大体が、アベノマスクはまだほとんどの家に届いていない。そして、国会議員のマスクを見ていてもあの窮屈そうな小さいマスクは番頭格の菅官房長官さえしていない。

これも彼に言わせれば「すべての国民に行きわたってから受け取る」とでもいうに違いないだろうが、、、

後手後手に回る新型コロナウイルス対策、国民の我慢でようやく一波の終息が見えてきたがこの先の対策もあまり期待できないことが残念である。

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2020年5月19日 (火)

飛騨に地震頻発で

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ほのぐらい池にマガモのつがいがひっそりとたたずんでいた。

暗い渓谷 若葉の隙間から漏れいづる場所がランデブーにはよいのだろうか。

同じ仲間であるカルガモなどは産卵を終え、雛を連れて人目につくところに連れ出していると新聞に報道されているのに、こちらはどこまで進んでいるのだろうか。

 

先日、飛騨市に住む同級生からの電話で、最近震度3~4の地震が頻発していると言っていたが、今日も何度か地面が震えたようでこの一か月に百回を超える地震があったとテレビは言っていた。

震源は長野との国境にある焼岳に関連しているようで、自分がいたときにも焼岳は何回か煙を吐き、登山禁止になった覚えがある。

しかし、その時地震の方はどうだったか覚えていない。

焼岳は、過去に何度も大噴火し穂高岳の麓を流れる梓川の流路を長野県側に捻じ曲げたほか、最近では大正池で知られる湖を作った噴火を起こしている。

同級生からの電話のとき「ひょっとすると令和池なんてのができるんでないの」なんて冗談を言ってしまったが、現在煙を上げているところから噴火すれば上高地入り口にあたる釜トンネル付近に噴出物が流れ下る可能性さえありそうだ。

そうなると、上高地はもちろん自分らが最近頻繁に利用している安房トンネルにも影響が出てくることになる。

天災は忘れたころにやってくるといわれるが、コロナウイルス同様今年は星回りが悪い年なのかもしれないので、、、、、、、、、

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2020年5月18日 (月)

この地に

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「自分が死んだら誰も来なくてよいから、この墓に入れてくれ」というのが遺言の一つである。

この場所を墓に選んだのは分家だった父親が亡くなって墓地探しをしていた時、遠い親類の未使用の墓地があったのと、自分が17歳から39歳まで働いた鉱山、二十五山とその奥に円山がそのまた奥に先祖代々の地笈割に続く山が見渡せることが気に入ったからである。

死んで魂が残るとは思わないが、もしあれば自分が働き、喜怒哀楽こもごもに暮らした場所が見えるのはうれしい限りに違いない。

 

先年、先祖から栃洞に私宅があり、小中高校と通い、仕事は自分と同じ職場だった同級生が、ここから3kmほど離れた東雲の墓地に同じようなことを言って埋葬されていると聞いた。

彼は、自分が鉱山を辞めた後東京の本店(三井は本社と言わず本店と言った)勤務になっており、奥さんも関東の人だと聞いていたのでそちらの方に埋葬しているのかなと漠然と思っていたが、やはり、飛騨が、、生まれ故郷が懐かしかったに違いない。

いずれ機会があったらと思っているが、今年はコロナが行く手を阻んでいる。

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2020年5月16日 (土)

お茶を飲んでは、、、

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庭に咲くニオイバンマツリ昨日まで強烈な香りを放っていたが、朝からの断続的に続く雨のなか、一気に無臭の花となった。

買ってきたのは二十三年前に亡くなった母親が高さ30センチほどの小さな木だったが、鉢に収まり切れなくなって庭に下したのが契機となって毎年高さや幅を剪定したが、今では2mを超え幅も2m以上の巨木になり、剪定のためもあってか木全体に青い花が広がると芳香以上のものになってしまう。

 

今日は、昨日までの暑さが嘘のように冷え込み長袖の上にジャンバーを羽織って過ごした。

こんな日なので、外出する気になれず漢字のクイズをして過ごしたが、お茶を飲んでは小便、にコーヒーを飲んでは小便に、そして紅茶を飲んでは小便にと、、、、、

1時間に一回、まさに頻尿状態となってしまった。

昨日までは、食事以外では1リットル程度だった水分も今日は優に2リットル以上今夜が思いやられる。

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2020年5月15日 (金)

三年前でよかった

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三年前の今日は痰に血が混じっていたが、そんなに大変とは思わなかった。

富山で行われた同級会を済ませ帰宅してからかかりつけ医でレントゲン写真を写した結果、どうも肺炎の疑いがあるということで、同業の呼吸器外科を紹介してもらった時にはまだ大したことがないと思っていたのと呼吸器の医者は土日が休みなので月曜日に行くとのといったら、かかりつけ医も了承してくれていた。

ところが、日曜日の朝はやく急に悪化して呼吸が出来なくなり、救急車を考えたが我慢して専門医に行くとすぐさま県立病院に手配され入院となった。

三年前でよかった、といましみじみ思う。

これが今だったら、大騒ぎになり厳重に密閉した救急車で施設のある市民病院送りになっていたことだったろう。

熱が出たという記憶がないが、今までの制度では37,5度以上の熱が四日間出てからでないと検査をしてもらえないし、その間自宅で待機してくれということで悪化、重篤化するしかなかった。

それを今頃になって「誤解だった」というに至ってはなにをか言わんである。

政府がこの問題に真剣に取り組もうとしなかったためどれだけの人がわけもわからない状態で自宅待機をさせられたことだろう。

二十八歳大相撲の力士が亡くなったのは、治療する病院がなかったためであるといわれると、これは一種の殺人ではなかっただろうかという気さえしてくる。

 

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2020年5月13日 (水)

桑の実熟れた

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桑の実が熟れかけてきた。赤い実が黒くなると完全に熟れて甘くなる。

その甘い部分を待ちかねたように通称カッチンムシが取り付いていた。

カッチンムシ。はっきりした名称は知らないがコメツキムシのなかまか?

カッチンムシの由来は、この虫を捕まえて仰向けにしておくと横に転がって起きるのではなく胴と羽根の部分を一気に跳ね上げてポンと飛び跳ねて起き上がることから名づけたものとおもわれる。

噛みつくこともないし、臭くもなし、素早く逃げることもないのでので子どもたちの良いおもちゃだった。

子供のころカイコを飼っていたおばあさんの家の向かいにこの木があり、よく登って食べたものだったが、黒い実の果汁が口を紫色に染めるのでごまかしようがなかった。

この木によじ登って食べるころには、鉱山に付属する隣の学校だったので、すぐそばにある生徒たちは赤痢の原因になるとかで食べるのを禁止されていた。

一方、自分の学校周りには桑の木がなくその禁止令がなかったため山から下りてきて食べるのは何の差支えもなかった。

そのため、うらやましさも手伝って、当時の子供のけんか手段である罵声とともに石を投げつけられたものだった。

当時の赤痢は、時々子供が亡くなることもある流行病で恐れられておりその原因の一つが桑の実だと思われていたことからおばあさんのいた集落では子供たちが我慢を強いられていた。

さしづめ、新型コロナウイルスにもそんなところがあるみたいで、他県ナンバーの車に対する嫌がらせや営業しているパチンコ店やそれに群がるお客に対してテレビなの報道が多発しているが、それを見るとその頃の子供と精神年齢はおなじような気がしてならない。

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2020年5月12日 (火)

だるまさん

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”だるまさん だるまさん にらめっこしましょ 笑ったら負けよ アップップ”

と言わんばかりの殿様蛙、真剣な表情をしてこちらを睨んでいたが、「なにか わるいこした?」って聞いてみたい。

今日も気温は高く25度以上のなった。

たぶん水温もこのくらいの小さな池ではあったかくなっているに違いない。

やっとこの間冷たい土の中から出てきたばかりなので人間同様身体が追いついていかないのだろうか。

それでも水の中ならと思って入っては見たものの、、、、ってところかな?

 

今日は、久しぶりに買い物お供でスーパーに入ってみたが、マスクの中が蒸れ蒸れになり鼻の周りがむずがゆくなってしまった。

マスクは寒い季節のものである。

コロナウイルスの終息はいつなのだろうか、マスクを外して買いものに行けるのはいつのことやら。

 

それにしても、アベノマスクは今どうしているのだろうか。

写真で見る限りの小さなマスクなら夏場になっても横から空気が入ってきて蒸れないのかもしれないと思いながらも、ぼちぼちといろんな種類のマスクが出回りだしたいまアベノマスクが届いてもまず使わない。

スピード感にかける無駄遣いと言った感じがますます強くなっている。

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2020年5月11日 (月)

タニウツギから

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給に暑くなってものみなボーっとなってしまった。

朝の曇り空から厚くなるという気象情報を信用せずに掛川まで行ったが午前十時で早くも29度となり、自動車のエアコンを動かしてしまった。

午後になって31度、ポットの実生の苗はぐったりと、、、、近所のおばあさんもうだって何もできないとこぼす、、、、

この頃は希少が荒っぽくていけない。

 

そんなか元気なのは山の草木、

ラッパ状に先端を開かせてタニウツギが空に向かって花が咲かせている。

日本海側に多い花木と言われるが、静岡の山中でもごく普通にみられる花である。

ウツギとは漢字で空木とも書かれるのは、木の中心にスポンジ状の白い部分があり中心が空になっているからと言われる。

飛騨ではこの花が咲くと標高の高い山山で根まがり竹の竹の子が芽を出す目安にしていた。

子供のころは、これの1mくらいに伸びたものを取ってきてチャンバラの刀の代わりにしたものだったが、昭和四十年代に入ると山菜取りが流行し我も我もと山に入ってタケノコ取りに励んだ。

その結果、標高1000mくらいの山の村に人が押し寄せ、山を荒らすの集落の人は峠を封鎖して人を入らせないようにし、もめごとが起きるまでになった。

 

先日テレビを見ていたら、長野県北部の人たちはこの竹の子と鯖缶(水煮)を合わせて食べるのがソウールフードで都会から家に帰ってこれを食べるのを楽しみにしている、と言っていたが、飛騨ではシンプルに塩漬けした竹の子を塩出しして煮しめにするのがソールフード、郷土の味である。

一方、テレビの番組を見ていて思ったのは、タケノコに代わって白菜と鯖缶を合わせて煮るのを”ひきづり”と称していたが、鯖缶はどんな山菜にも合うのかもしれないという思いに至った。

 

なんだか、しっちゃかめっちゃかになったが、今日の暑さのせいにしておこう。

 

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2020年5月10日 (日)

こもどうふ

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飛騨全体の土地言葉かどうかは知らないが豆腐のことを”トッペ”と言っていた。

自分のおばあさんも茂住という集落でトッペをつくり、縄で縛って配達しており、自分も何度か知り合いの家まで届けたことがある。

固いとはいえそこは”トッペ” 着ているものに触ってはいけないし地面に触れてもいけない、用心しいしい手をあげて歩くのはすぐにだるくなるし大変な使いだった。

豆腐を縄で縛って、、、、今どきの豆腐はそんなことができないがそのくらい硬かったのが昭和の初めの豆腐であった。

そして、いま、ふるさとに帰ると帰り土産にというより、自分が食べるために買ってくるのものの一つに「菰豆腐」(こもとうふ)があり、どうも飛騨でも高山から北の方しか作っていないような気がする。

その作り方は豆腐を半分に割り、すのこで巻き茹でたものだが、巻き加減が難しく一度木綿豆腐でやってみたが見事失敗した。

出来上がった菰豆腐は固く締まりその中に無数の穴が開いており、煮しめなどに使うとその穴にだし汁が染み込んで懐かしの味わいが出てくる。

 

その菰豆腐をはじめ蒲鉾や黒作りが今日届いた。

思ってもいなかっただけにうれしすぎてついご飯のお代わりをしてしまったが、ご飯のお代わりなんてここ久しくやったことがなかっただけに、満腹感でいま眠くてしようがない。

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2020年5月 9日 (土)

タンポポの綿毛

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ときおり吹く風に乗せてタンポポが綿毛を放出する。

見ていると黄色い花が在校生、綿毛が卒業生と言った感じがし、その横に立って身をかがめているイタンドリはさしづめ父兄ということになるか。

飛んで行った綿毛はどこに着地するかでその運命が決まるが、人間も出だしがその後の人生に大きく影響することが多い。

 

コロナウイルスで、授業が出来ない学校が増えていることから世界基準(?)九月入学に変更したらどうかという議論がなされている。

今までは、「サクラサク」などと言ってきたが九月になればなんて言うのかだろうか。

暑い夏休みが終わって入学式とか入社式というのはどうもぴんと来ない感じがするが、これは慣れればどうってことないと思う。

ただそうなると、会計年度今まで四月を基準にした制度も変わっていくのだろうか。

現状維持が一番良いと言う頭の固い連中には、、、オッというまい自分も結構硬くなっているのだから、、、、

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2020年5月 7日 (木)

窮屈

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杉林の中に一本だけ藤に絡みつかれた小さな杉が紫色に染められていた。

規格外というか、ひときわ小さな杉だけにその重さは過酷なものと思うが、藤の方も立派な太い杉には巻き付かずひ弱なものを選んでいるという感じがするのは自然の原理というものかもしれない。

見ていると全身縛られていかにも窮屈って感じがしてしまう。

この山も手入れがなされていれば、巻き付いた時点で刈り払われていたはず、何とか美林というのは昔話の中に消えてしまったようだ。

 

静岡県では今日から一規制解除がおこなわれ、商業施設なども条件付きながら再開を始めたようで、藁科川中流の蕎麦屋さんも営業を開始、さっそく”山菜天ぷら”を食べてきたがタラの芽、コシアブラ、を中心にした天ぷらは美味かった。

外出自粛中も近所をあちこちと出かけていたが、気分的には「規制」という字が重しだった。

 

生活が規制されたというのは、まだ学校に行っていなかった太平洋戦争中以来のことであり、七十五年ぶりということになる。

当時は、夜になると田舎町でも国防婦人会や自警団のような人が何人かで街道を歩き家の外に明かりが漏れてるとか、髪型や服装が派手だとかといって集団で行動し、われわれ幼い子供たちでさえ巡査がサーベルを下げて見回るのを戸の隙間から覗いていた記憶がある。

その反動で、戦争が終わった後はそれらの規制を先頭切って働いていた人や鉱山に連れてこられた捕虜を虐待したといわれる人が逃げ去ったり、こそこそと身を縮めているという噂話を井戸端会議から漏れ聞いたものだった。

それにくらべると、コロナ対策でPCR検査やアベノマスク、生活保障などいくら言っても後手後手の対策しか打ち出せなかった人はどうも「カエルの面に念仏」程度しか影響がなくて済むような気がするんだけど、、、、、、

外出自粛を完結できなかったおれも? おれもそのうちのひとり?

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2020年5月 6日 (水)

レモンの花も咲いて

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「レモンを摘んで行ってよ」と言われたので「そんじゃ二~三個もらっていくよ」と言って木のところに行ったら、すでに次の年のレモンの花が咲き出していた。

ハッサクや甘夏などの柑橘類の白い花が多い中でレモンは明るい紫の蕾が奇麗な花である。

五弁の花びらをそっくり返して大きな蕊から甘い香りを漂わせてミツバチを誘っている。

レモンはまだ五~六十個はついているが使い道を知らないので我が家の分二個とおすそ分けに三個もらってちっとも減ったようには見えない木を後にした。

 

昨日の立夏は暑かった。

夏日を上回ったそうで、家の中では肌着一枚で過ごした。

その影響で、夜は寝床の窓を少し開けて寝たが寝苦しかったのは、急激な暑さにまたしても身体がびっくりしていたためのようだ。

今年のゴールデンウイークは天気に恵まれ穏やかに晴れ上がった日が続いたが、こんなのを「無駄な日和」とでいうしかない。

ふるさとの同級生から久しぶりの電話があったが、「こっちはコロナ感染者が全然いないのに外出自粛とかで身動きが取れないので退屈のしっぱなしよ」と嘆き節。

見通しのきかない前途はそれ以上に長く感じるものだ。

 

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2020年5月 5日 (火)

「こころ旅」を見て

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先週金曜日BSの「こころ旅」という番組を見ていたら神岡から旧上宝村長倉の桂峰寺への道を行くというので見入ってしまった。

気動車とバスを乗り継いで神岡から上宝村へ行くのだが、自分の初めの感覚では高原川右岸の道を走るとばかり思っていた。

この道なら、昨年も法事などで何度も自動車を走らせた道路なので自転車なら緩い上り坂ながら比較的楽に行けるし、自分も六十年くらい前舗装されていないこの道を知り合いの人と途中双六谷まで自転車をこいだ経験があった。

しかし、画面はいきなり相生町の大洞水道脇の道を通り菩提寺である洞雲寺のそばを回る道(写真)を登っていった。

その後も高原川左岸をひた走ったのは自動車が少ない道を選んだのかと思うが道が細く上り下りが激しい道ばかりで、日野正平さんがゼイゼイとあえいでいたのを痛ましく見ていた。

さて、この日の目的は桂峰寺へ行く途中の場所から見える北アルプスの焼岳が奇麗に見える場所だということで向かった。

すぐ下の国道沿いの人も自慢するくらいの場所らしいのだがこの時はあいにくのガスで見ることが出来なかった。

 

この桂峰寺へは自分が自動車免許を取り自動車を手に入れたばかりのころ、伯母さん夫婦を載せて行ったことがある。

どんな用事で行ったのかは覚えていないが不慣れな運転で舗装されていない(当時はどこも未舗装)山道を半道も登っていったのだが、運転に夢中だったのか、余裕がなかったのか、それともこのテレビの時のようにガスっていたのか焼岳は見た覚えがない。

高原川ぞいに何か所か焼岳を望める場所があるが、今度ふるさとの行く機会があったら寄り道をし、この場所まで上がって目に焼き付けたいと思う。

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2020年5月 4日 (月)

杉の子

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地面から1mほどのところで二股に分かれた杉の間に種が零れ落ちたようで、20センチほどの杉の子が芽を吹いていた。

たぶん芽を吹いてから二年くらいと思うのだが、そのそばには同じくらいの大きさの枯れた杉の幼木があるところから、この若葉を吹き出している杉も大きくは育たないだろうと思う。

それでも、なにかのチャンスに巡り合えば十に一つ 百に一つの運命が待っているのかもしれない。

 

先日テレビで”正常性バイアス”という言葉を知った。「自分は大丈夫」「今回は、、、」「まだ大丈夫」と目の前の出来事を過小評価して逃げ遅れるとか予期せぬ出来事に鈍感になることだという。

言われてみれば、いくつかの危機を免れてきた自分にもそう言うことが当てはまるような自信があるのではないだろうか。

ただ運がよかっただけで、危機を潜り抜けてきたことに何の根拠もない自信である。

今回のコロナウイルスに関してもまだ周りに感染者が出ていないことを理由にしているが、相手は目に見えないものだけにいつ我が身に降りかかってくるかも知れないのに、、、、

もし、ウイルスに取りつかれれば、三年前に肺炎をやっている身にとって完治と言われて退院したもののダメージは残っているかもしれない。

とにかく、「手洗いだけはしっかりと」と連れ合いにいわれて前より多くなってきたが、マスクはお供していくスーパーなどでするだけ、、、、、

正常性バイアスの反対は非正常性バイアスというんだろうか。

 

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2020年5月 2日 (土)

山笑うとは

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晴れた五月の青空は高気圧の真っただ中ということで気温があがり、四方の山山からあがる霞のためか富士山が全く見えない日が続く。

ただ、近くの山では椎の木や栗などの花が咲き若葉とは違った趣の色に染め上げている。

そばに寄ってみれば若い男らしい匂いが鼻を突き、「コロナウイルス何者ぞ」と言わんばかりに高笑いしているように見えてしようがない。

”山笑う”ということはこんな状態をいうのだろうか。

 

 

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2020年5月 1日 (金)

八十八夜

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夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る

     茜たすきに 菅の笠 トントントン

 

今日は立春から数えて八十八日、古来このころがお茶を摘み始める日だった。

この歌の前半はいまもむかしも変わらないが、農作業も高齢化が進み、手摘みはほんの数えるくらいしかやっていないうえ茜たすきに菅の笠は観光以外にはやらない。

その観光も、”他県ナンバーお断り”という事態に陥ってはいやはやということ、、、、

お茶の需要も年々少なくなり、先行きの見えない暗い話ばかりの昨今さらに一か月の外出自粛と来ては、明るくて暖かい青空さえが恨めしくなってしまう。

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