窮屈
杉林の中に一本だけ藤に絡みつかれた小さな杉が紫色に染められていた。
規格外というか、ひときわ小さな杉だけにその重さは過酷なものと思うが、藤の方も立派な太い杉には巻き付かずひ弱なものを選んでいるという感じがするのは自然の原理というものかもしれない。
見ていると全身縛られていかにも窮屈って感じがしてしまう。
この山も手入れがなされていれば、巻き付いた時点で刈り払われていたはず、何とか美林というのは昔話の中に消えてしまったようだ。
静岡県では今日から一規制解除がおこなわれ、商業施設なども条件付きながら再開を始めたようで、藁科川中流の蕎麦屋さんも営業を開始、さっそく”山菜天ぷら”を食べてきたがタラの芽、コシアブラ、を中心にした天ぷらは美味かった。
外出自粛中も近所をあちこちと出かけていたが、気分的には「規制」という字が重しだった。
生活が規制されたというのは、まだ学校に行っていなかった太平洋戦争中以来のことであり、七十五年ぶりということになる。
当時は、夜になると田舎町でも国防婦人会や自警団のような人が何人かで街道を歩き家の外に明かりが漏れてるとか、髪型や服装が派手だとかといって集団で行動し、われわれ幼い子供たちでさえ巡査がサーベルを下げて見回るのを戸の隙間から覗いていた記憶がある。
その反動で、戦争が終わった後はそれらの規制を先頭切って働いていた人や鉱山に連れてこられた捕虜を虐待したといわれる人が逃げ去ったり、こそこそと身を縮めているという噂話を井戸端会議から漏れ聞いたものだった。
それにくらべると、コロナ対策でPCR検査やアベノマスク、生活保障などいくら言っても後手後手の対策しか打ち出せなかった人はどうも「カエルの面に念仏」程度しか影響がなくて済むような気がするんだけど、、、、、、
外出自粛を完結できなかったおれも? おれもそのうちのひとり?
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