分水堰
いまは長野県東御市と言われているが、その一角八重原は米の名産地として知られている。
そこに、連れのいとこが居て毎年米を90~120kgほど分けてもらっている。
とてもうまい米で義弟の米もうまいというが、八重原の米の前では脱帽だという。
もともとこの辺りは、うねうねとした丘陵の上の大地で米は取れなかったらしいが、江戸時代以降蓼科山から水を引きうまい米がとれるようになったのは、水もだが土がよかったのではないだろうか。
ただ、何年かごとに雨の少ない年があると水を田んぼに分けるのが困難になるため、田んぼの面積などで水を制限しなければならなくなる。
この堰は明神池というため池の下にあるものだが、右上の黄色い立て札にその決まりが書いてある。
それでも、おととしあたりは空梅雨で隣町から水を買って育てたそうだから、、、、、、
先日、義弟の家に近所の人が集まっての会話のなかに「おら家の町の米は日本一だと」という言葉があった、よく聞いてみると「反当たりの収穫だと」いう。
本当?っていうと役場の広報だとかに載っていたという。
「日本一!」 何とも心地よい言葉であるが、米だけに限ってみても日本一というのは幾種類あるのだろうか。
ただ、味覚だけはその焚き方柔らかめが好きなどの趣向で人それぞれがあり、どれが日本一とは言えないものの、”まずい”の日本一は自分の経験で一つあるが口にはできない。
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コメント
岡崎在住さま
そうあん時やぁ大変だったね。冷害で米が取れなくて、外米抱き合わせだった。
しかし、昭和35年くらいまでの米の配給制の時に比べればまだましだったよ。
聳南寮に入った四年間は御飯を秤にかけてから受け取ったもんです。
食べ盛りのころ、米の美味いまずいは二の次で量さえあればよかったもんです。
そのため、食堂のおばちゃんの心証をよくして少しでも色を付けてもらおうと色目を使ったもんです。
投稿: オラケタル | 2020年6月10日 (水) 21時57分
「まずいお米」はタイ米(インディカ米)で、かなり前に冷夏による不作で日本の皆さんがお馴染みの長い粒のお米でパサパサやさな。インドも同じお米。でも、カレーに良く合うんやねー。チャーハンにも良いけどね。うーん、神岡の「内地米」とかの品種は、旨いとは言えなんだね!
投稿: 岡崎在住 | 2020年6月 9日 (火) 21時47分