2020年7月31日 (金)
2020年7月30日 (木)
西高東低になった
赤いカンナの花が水路の堆積土で毎年のように花開いている。
寒冷地では球根を掘り上げて冬越しさせるが、霜さえめったに降りない静岡では、ほったらかしの上年に何度も冠水する土でしぶとく生きている。
この鮮やかな色合いは遠くからでも目立つのだが、花びらが大きすぎるのか蕊の存在が目立たないうえ蝶や蜂の類も集っているのを見たことがない。
どちらかというと派手だが結婚できない(しない)人を見るようで、、、、、、
痛ましい思いで見ているのは う~ん
浜松で生活している孫娘が五月の連休に立ち寄ったとき、「コロナに気をつけなよ」て言ったら、「じいじ 静岡の方がよっぽど危ないよ}という返事が返ってきた。
六月に入っても静岡県では首都圏経由の発症者が多く、熱海でクラスターが出たりして静岡市と熱海 御殿場などが多かった。
ところが、七月になると浜松の二つの店から大量に感染者が出て一気に様相が変わってきた。
まさに冬の気象条件のように西高東低である。
この二つの店に保菌者がどこから持ち込んだのか不明だそうだが、この一週間で倍増をはるかに超えて250人ちかくになってしまった。
今回重傷者は少ないようだが、感染能力は極端に強く70人を超える人が一つの店をもとに陽性となり、この人たちの家族に広がる恐れが出ている。
このほかにも、どこでうつったかわからない人が増えてきているそうだから、じわじわと包囲網が狭まってきており、昨今の梅雨空のように憂鬱な気分になる。
まえには、夏になればウイルスも死滅まではいかなくても減少すると言っていたがそれは希望的観測でしかなかったようで、これからの蒸し暑い気候の中うかつに外へ出かけられなくなりそうだ。
とにかく、予防薬 治療薬の開発まで我慢できるのか、、、、、罹ったら仕様がないとは思いつつも後遺症がないようにと、、、、、、、
2020年7月29日 (水)
最上川
五月雨を あつめてはやし 最上川
今日は旧暦の六月九日なので芭蕉が最上川を舟下りしたときよりは少し下っているが、この句がそのままあてはまる最上川の増水がテレビで映し出されていた。
降雨量は300㎜に満たないのにこのありさまということは、流域面積がよほど大きかったのだろう。
八年前になるが自分がこの地を訪れて最上川下りのこたつ船に乗ったときには、ゆったりと流れる川下りで、天竜下りや保津川下りなどに比べるとそんなに急だという認識がなかった。
しかし、この川 先日被害が出た球磨川と富士川を合わせて日本三急流だというそうだ。
今年はそのうち日本の川で洪水が起きたが、富士川にはそんなところがあるのだろうか、、、、、
”二度あることは三度ある”のでんを借りれば、気をつけねばなるまい
それにしても、大荒れに荒れてはいるものの人的被害はないようで良かった。
2020年7月28日 (火)
先が見えない
昨日の天気予報では静岡市の降水確率は一日中80%ほどだったが、予想に反して青空と薄い雲がかかっただけで雨は一滴も降らなかった。
蒸し暑い日中を汗だくですごしていると梅雨も明けたかと思ってしまったが、まだまだだという。
どうにも先が見えないことおびだたしい。
大型コンピューターの導入で天気予報確率は格段に上がったそうだが、線状降水帯などを含めてまだまだ自然に対する人間の知恵は未熟の段階を抜け切れていない。
国道1号沿いの水路から見る夕焼けはひさしぶりの景色であった。
京のテレビを見ていたら、またもや評判の悪かった通称アベノマスクを八千万枚も注文して施設などに配るそうで、そのためまた多額のムダ金が使われるそうだ。
世間の人が一様に首をかしげるゴートゥートラブルを強行したりなんだかちぐはぐした対応がつづいている。
いっぽう、いまだに保健所が高熱を出し味覚障害があるという人にクラスターで無い、若いからとか言ってPCRの検査を拒んでいたそうで、本来 保健所が推進しなければならない業務がかえって邪魔をしているとしか見られない行動をしている。
アベノマスクの不評は、政府関係者 特に国会義委の間でも認識されているようで、国会中継を見てもアベノマスクをつけている人は自分が目にする限り見られない。
ガーゼのようなマスクは予防としては何の効果もないそうだが、そのマスクを意固地になっているのかつけ続けている首相はいまだ感染している気配がない。
厚労省は、このマスクの再配達に「かならずしもマスクが行きわたっているとは言えないので、、、」というが一昨日いったところでは50枚入りの箱が山にして積んであったほか、デザインマスクも何種類となくぶら下がっているのを知らないのか、、、いや見てみないふりをしているようだ。
話しは違うかもしれないが、静岡市の清水区で病院を津波浸水地区に移転するなどの案に反対する人たちが、既定の五倍ほどになる5万人以上の署名を集めて住民投票にかけるようしんせいしたが、市長はこれに反対する意見をつけて市議会に出すそうだ。
もともと市長選挙の時の公約では住民の意見を十分に聞いてということであったが、ろくな審議もなく自民党の支持であっさりと通過させて経緯がある。
政府もそうだが静岡市も国民や市民の声と相当に乖離しているのだが、、、、、
中国のように全体主義の国ならいざ知らず、民主主義とはこの国においてなんなんだろうとつくづく思ってしまう。
そういえば、日本がお手本にしてきたアメリカやイギリスも、、、、、、、、
2020年7月26日 (日)
気性の激しい
”気性の激しい女性のような雨”という言葉は今のご時世では許されるのか、削除せよって言われるのかわからないが、隙間のないような激しい雨が降ったかと思うと、一転その五分後には青空が見えたりするなど変転極まりない降り方をする一日だった。
自動車がタイヤの隠れるほど冠水した道路を走るのをみて、「なんでそこまでして自動車を走らせるの?」なんてテレビの画面に毒づいていたが、今日雨が止んだのを見て清水のショッピングセンターに行った帰り、この猛烈な雨に遭遇した。
静岡の旧国道1号の南側を走る通称南幹線はJR東海道本線より一段高い位置を走るのだが、草薙付近で道路が20センチ以上冠水し、そのためノロノロ運転になっているところに追いついてしまった。
自分が載る軽自動車はその場に追いついてしまうとたちまち後ろにも車が迫り前の車同様逃げ場のない走行を強いられてしまった。
車の前は自分の車のバンパーと横の自動車から出る水しぶきというより波に囲まれ、ワイパーはフルに動かさないと車間が保てないなど、テレビの画面以上の世界になっていた。
この状況だけを切り取って「なんでこんなときに、、、」と言われてもどうしようもないとしか言いようがない。
出かけるときは「帰りにどこか食堂でも寄って、、、」なんて言っていたがこんな状態になるとそんなことは一切頭の隅にも浮かばず帰途に就いたが、そこを脱して五分後には「そんなことあったの?」と言わんばかりの空模様が頭上に現れた。
その後も何度も激しい雨が断続的に繰り返されたあげく、テレビには静岡市三万余所帯 七万6千人に避難勧告が出されたとテロップが出ていた。
幸いにも、裏の川はブロック三段を残すほどの位置まで上がるものの路上にまで上がってくることもなく、この繰り返しは四~五度繰り返して今のところ無事に過ぎていく。
2020年7月25日 (土)
雨に咲く花
#およばぬことと 諦めました、、、
この歌をふと思い出したのは、明け方の五時に新聞を取り入れるため外に出て気づいたサボテンの花を見てのことだった。
他の題名は「雨に咲く花」自分が二十代はじめと覚えているが井上ひろしが戦前の歌をリバイバルしてヒットさせた歌の出だしの文句である。
五時というのは、自分が起きだす時間なので普段と変わりないが、この時期にしては雨が降っていたせいもあるが、雲がよほど厚いのかくらい朝であった。
玄関わきの郵便ポストに隣接して植えたサボテンは背丈が三メートルくらいになった昨年から咲き出していたがまだ若木という段階らしく今年は今のところ五輪蕾しかつけていない。
どこの国が原産地なのかは知らないが、日本にはこの花の仲介をする生き物がいないようで花は咲けども実がなることはない。
幾世代かたてば日本にも花粉を仲介する生き物も出てくるのかもしれないが、いまのところかたくなに原産地の習慣を守って、夜の間に開花し一夜で花を終わらす習慣はかわらない。
外敵が居なくて異国の地で大繁殖する帰化動植物や次から次へと変化していくコロナウイルスとは全く違う生き方をは時代に対する適応能力がないのかもしれないが、サボテンの場合倒れても切られてもその場で根を張って生きながらえるというすべを持っている。
静岡に来て四十二年になろうとする自分も幾分静岡の風習を取り入れているが、盆や正月の行事などはまだ生まれ故郷の風習を捨て去ることが難しく、よく意見されているが、サボテンはもっとかたくなに自分の流儀を変えられずにいる。
#、、ままになるなら今一度 一目だけでも 逢いたいな
”雨に咲く花”いろんな歌手がこの歌を歌っているが、検索して驚いたのは全然違う歌がこの後というか最近できたようで、、、、、、ただ聞いてみて思ったのはむかしの方が格段に良いと思うのはやはり年のせい?
2020年7月24日 (金)
うつせみ
窓を開けたら虫よけサッシの2/3ほどの高さのところに空蝉を見つけた。
昨日見なかったことから昨夜のうちに庭の中から出てきてコンクリートのたたきを這い、そのあとどうやってここまで登ってきたのだろうか。
かなり難しい経路を歩んだようで、よくここまで登ってきたと感心するやら、なぜ近くの庭木に登らなかったのかと不思議がるやらで、、、、、
考えてみたら、蝉は卵から孵って7年間ほど土の中でくらし、脱皮したあとよくて二週間の命だと聞いた。
彼の人生から見れば、脱皮してからの期間は全人生の7%にもならない期間である。
その7%のためひたすら木の根や土から栄養を取り成長することに命を懸けてきたのであろう。
翻って、自分の場合はどうか、17歳から62歳まで働いてきた成果でいまを生かされているのだが、今になって思うのは何度か生き死にのはざまを運よく潜り抜けて、、、、、「運がよかった」の一言に尽きる。
今になって思えば、その時はそう思わなかったが、周りの人の優しい対応にに助けられてきた結果である。
知り合いのおばあさんは自分を見ると「あんたは前世が徳人だったからね」というが、その運もだいぶ無駄に使い果たしてきたようだ。
我昔所造諸悪業、、、、、、、 一切我今皆懺悔
2020年7月22日 (水)
どこ吹く風
今日は”大暑” まさに暦通りに暑くなり、裏の畠に一時間ほどいただけで汗びっしょりとなり帰ってから夕べの残り湯に水をつぎ足した風呂に浸かって体温を下げて、一息ついた。
一方、この梅雨明けを思わせる暑くて刺すような日差しのもと蓮の花がすっくと太陽を仰いでいる。
前にレンコンを掘っていたころ、春先に大量の肥料をまき、その後草むしりの傍ら肥料を何度もあげた。
レンコンづくりを指導してくれた人によると「レンコンはどんな強い肥料も回数もどんどん吸収していくのので多いほうが良い」といわれた。
その成果が、大きな草丈花の大きさに現れ、秋以降に大きな収穫となって報いてくれた。
優美な花から想像できないが、暑さ負けなどどこ吹く風、夏の花である。
ゴート―キャンペーンが今日から始まったものの、付焼刃的な開始だったため混乱を生じていて、毎回のようにあたふたと前言を修正している公明党の国土交通大臣を見ているとこの人も大臣の資質に欠ける人なのかと思ってしまう。
昨日のテレビで自民党議員のひとりが、「この問題は前から準備していて感染者が少なくなった時に出すつもりだったが遅れていただけ、、、」というに至ってはなにおかいわんやといった感じがした。
テレビのコメンテーターたちはゴート―トラブルだと言っていたが何もはっきり決めないで見切り発車的にはじめたキャンペーンは旅行会社や旅館と利用客がもめごとを起こすこと間違いないが、そのすべてを政府が関知しないで行くように見えてしようがない。
また、巨額の援助をなぜ旅行業だけにするのか、、、、、、の説明もない。
先日も書いたように、医療関係者に中身のない感謝でなしに、この金を回せなかったのか、、、
国民の声など”どこ吹く風”で通していく政府を持つ国民は不幸である。
2020年7月20日 (月)
近寄らないで
久しぶりの青空にひかれて森町の香勝寺に行ってきた。
この寺は、別名をききょう寺とも言い、寺の隣の敷地に桔梗を咲かせている。
自分には青紫と白い色の花にしか区別ができないが、いろんな名前の名札が根元にあるところを見るといろんな種類があるようだ。
ただ、花の時期はもう末期で、この庭の見物は今日で終わるとのことで、駐車場もガラガラであった。
ともあれ、入場料を払って中に入ってみたが長雨の影響もあってか、かなり寂しくなっていが代わって女郎花の黄色い花が真っ盛りといった様子でもりあげていた。
また、この寺のもう一つの見どころは、小さなお地蔵さん風の石像があちこちに置かれており、その脇に「和尚の独り言」と書かれた立て札が立てられ上の像の脇には「成す業を わが身に返ることわりを 知らぬ人こそ ふびんなり」と禅問答風に書かれていたが、この像だけ見ているとこっちに寄らないでとでも言っているかのように見えてしまった。
境内の入り口には「マスクをかけた小さな青銅の小僧さんがいて「マスクをかけて、、、」とあったがその印象から、コロナウイルスに関連づけてみてしまったのはご時世のせい。
それにしても、まばらなお客にカンカン照りの太陽のもと麦藁帽の下でマスクをつけての散策はあまりにも杓子定規ではないのだろうか。
2020年7月19日 (日)
希望の墓に
笹原の中にヤマユリの花。百合根はほくほくとしてうまいのだが笹の根っこが邪魔をしてとても掘れたものではない。
そのためか、すくすく育って六輪の花をつけた立派な百合に育っている。
いつのころだったか、ユリの花は毎年ひとつづつ増えていく、と聞いたことがあるが、むかごからだと何年後に花をつけるのは聞かなかった。
そうなると、このヤマユリは何年この場所に住んでいるのだろうか。
コロナウイルスは、第二波に入ってますます猛威をふるっていてこの先どうなるのかわからない。
治療薬、予防薬の完成はいつになるのかわからないが、このウイルスは今までの社会のの仕組みを変えていくことは間違いない。
コロナウイルスが流行してから、ソーシャルワーカーなどの言葉とともにハンコ社会から脱却など言われているが、これは今後完全に元に戻ることはないだろう。
また、最近目に付くのは新聞に載っている「お悔み」欄には葬式の際は近親者のみで、弔問は外で焼香のみという風に変わってきている。
これによって、コロナが済んだとしてもこのやり方が継続し、家族葬が今まで以上に増えていくとすると少子化社会のなかでまた変革がおき、お寺離れ、墓じまいの加速とともに将来の葬儀はずいぶんと変わっていくことになる。
自分の最後は見届けることができないが、何とか希望の墓に納めてほいいものと、、、、
2020年7月18日 (土)
ブンブンブン 鉢が飛ぶ
ムクゲの花にクマンバチが頭から突っ込んで出てこない。
朝から大雨が降っていたが十時半ばを過ぎたところで急に雲が切れ日差しが眩しくなったころやってきた。
しばらくの雨で腹を空かしていたのだろうかいかつい身体つきのクマンバチが、、、、
子どものころ羽根音のおおきいクマンバチは恐ろしげに見えて怖かった。
しかし、この蜂はスズメバチのように肉食ではなく、群れを成して飛ぶということもなく、ごくおとなしい蜂だだったことは大人になるまで知らなかった。
ブンブンブン蜂が飛ぶ、、、、、
アベノマスクが届いたのは二週間前、10万円が振り込まれたのが四日前、それにしても鼻先でかがされてから手元に届くまで長すぎた。
連れと話し合った結果、マスクはどこかに寄付しようということになったがどこも欲しいところがないそうで棚の片隅に上がったままほったらかしになっている。そして、10万円については買おうとは思っていたが設置費用まで見積もってもらったところかなり高額になるので保留していたドライブレコーダーを買い、洗濯機の調子が今一つなので故障次第買い替える費用にしよう。
そして、欲しいものがあるというので連れには5万円、あとはいまのところ”こがるるなんとしょう”
2020年7月17日 (金)
未ではない
水面に浮かぶ睡蓮の花、別名をヒツジグサかと思っていたら、ヒツジグサは日本古来の小さな池などで咲く白い花を言うそうで、その茎や葉は鯉など草食性の魚に食べられてこれらがいる池では絶えてしまうとかで現在はあまり見られなくなってしまったとか、、、
ヒツジグサは漢字で書くと”未草”と書き、その意味は未の刻ころ、つまり午後の二時ころになってようやく開くという意味だそうだ。
ただこれも本当ではないようで、なんだかすべてが違う違うの塊みたいな花である。
子どものころ映画などで見たプロ将棋の上級者はかなり貫禄があって年寄り気であった。
野武士風の升田幸三 金持ちのおっさん風の大山康晴名人 そして実際には見ていないけれど大阪の坂田三吉などいずれも風格がにじみ出ていた。
その人たちの印象がガラッと変わったのが羽生善治名人たちが出てきてからだったのは、自分が年を取ってこれらの人よりずいぶんと年長になったためかもしれない。
それからうん十年、今度は藤井七段が快進撃を始めてからまたまた印象が変わってきた。
一時は、将棋や語の世界にAIが乗り込んできてさすがのプロもAIには太刀打ちできないことから人気が落ち目になってきていたが、今回はAIも想定しない手で勝利を収めたとあっては”万歳”と言ってあげたい雰囲気である。
碁の世界でも中村菫さんが人気のようで、どちらも怖い顔したおじさんが代替わりをするのを待っているようで、、、、、、
2020年7月16日 (木)
喉チンコが、、、ない
三日にわたって分散ながら咲き続けた月下美人も今日で今回の咲きおさめになった。
一日目に大量に咲いて翌日が四輪咲いて、今日が一輪だったが、今回改めて眺めていて感じたのは、花の中心に蕊が大きく口を開けた人間の口のように感じてしまったことだった。
口の中には大きな舌のような蕊に喉チンコが、、、、、ない。
自分はどちらかというと喉の粘膜が弱いようで、風邪をひくと喉がいがらっぽくなってひりひりと痛むようになることが多い。
何かの折喉を見てもらった時医者から「扁桃腺を切りましたか」って言われたことがあるが、何度もの風邪で溶けたのかもしれない。
幸いというか今年に入ってこの喉に来る風邪にかかっていないのだが、これが来たらどうなるのかと心配することもあり、風邪をひかないようにと心がけている。
今日東京でコロナウイルス感染者が過去最高の286人になったそうで、感染拡大がとまらない状況のようだ。
静岡でもついに累計で100人越えになってしまったが、そのほとんどは関東圏経由罹患者で、仕事や演劇 会食が原因のようだ。
先日、知り合いの人と話したとき「息子がよその土地で働いているが、今度の盆休みには帰ってくるなと言っておいたよ」という。
「家が感染源になったらしばらくはこの辺にいられなくなるから、、、、」と、
保健所がいくら隠しても、しばらくすると突き止められるものだそうで、田舎に行くほどこの風評は広がってしまうそうだ。
なんだか、この第二波は最初の感染に比べて身近に感じるのはなぜだろう???。
ゴート―キャンペーンが始まっても、あちこちから人が来る宿は危なくてしようがないので、利用したいとは思わないんだけど、、、、、、、、
2020年7月14日 (火)
月下美人
遅れに遅れていたが今年はじめての月下美人の花。
今日はあいにくと空が曇って月は見えないのだが、、、、、、、、
先日来15~6個の蕾を持っていたが、今日は先人の八個が満開となった。
明日の朝にはしおれてしまう一夜花だが、8個も一斉に咲くと久しぶりに強烈な花の香りに懐かしさを感じながら一夜を過ごした。
どこかの大学病院で看護師のボーナスを不支給にするとしたため、大量の看護師が退職を希望していると報道していた。
今回のコロナ騒動でどの看護師も感染を覚悟しながら頑張ってきたのは誰もが知っていることである。
それを病院の経営が悪いことを理由に不支給にするというのはどういう根性なんだろうか。
「同情するなら金をくれ」ってセリフが流行ったことがあるが、努力した結果が拍手だけっていうのもどうかしているのではないだろうか。
政府も、ゴート―キャンペーンで何千億円のお金を使う前にこれら努力をした人たち個人に何らかの報奨金を払うべきではないのかと思う。
医療関係者に感謝っすると言って拍手を送ったり、ジエット機の編隊を空に飛ばしたりしてみても何の腹の足しにならないことを知ってほしい。
お金がすべてではないが、せめてもの努力に報いるには政策が必要なのではないだろうか。
2020年7月13日 (月)
蓮華寺公園の蓮
藤枝に用事があって出かけたのだが、帰り道久しぶりに蓮華寺公園に立ち寄ってみることにした、ここはコロナウイルスが流行り始めたころ、、、そう確か桜の時期だったと思うがしばらく駐車場を封鎖し立ち寄りにくくなっていた。
この公園は、もともと農業用のため池に作られた場所だったが、いつのころからか公園として整備され、自分が静岡に来た四十数年前にはすでに池の周りに遊歩道が作られていた。
梅 桜 藤 サツキ 花菖蒲 蓮華 紅葉と四季ぞれぞれに花と水の競演を楽しむ場所として家族で何回も来ていたが、今日は駐車場かすぐそばのベンチに座り込んだ連れを残して一人で講演を一周する身になってしまった。
大きな池の1/3くらいに繁殖力旺盛な蓮が占領していて数知れない蓮の花がピンクに染めていた。
ただ、残念なのはここしばらくの雨風が影響してかちょうどいい加減な花がなかなか見当たらず、どちらかというと世慣れた年増の女性があっけらかんと開き放題に開いているような花がおおかった。
それでも久しぶりに、!,5kmと言われる池を一周してくると最近の運動不足がたたって最後の200mほどがつらかった。
2020年7月12日 (日)
蛇の目に似て
ハルシャギクの咲く季節になって麻機沼の周りのあちこちで真ん中が濃い赤茶色に染めた花が見られる。
この花は別名を蛇の目草というが、蛇の目傘の中心部がこんな風に色違いになっているところから連想されたらしい。
童謡にある#雨雨ふれふれ母さんが 蛇の目でお迎えうれしいな、、、といかにもこの季節に合いそうな雰囲気で、、、、、
「一番でなきゃダメですか」で有名になったスーパーコンピューター京に代わって富嶽という名のコンピューターが世界一を四タイトルも取ったと誇らしげに記者会見をしていた。
そして、いまになって”京”は使い勝手が悪く、電力を無茶苦茶食ったと悪口をらしいことを言っていた。
自分としてはそんなことより”京”がどれほどの成果を上げたのか知りたかったが、記者会見ではそのことを聞いた記者がいなかったようで、成果についてはわからない。
また、使い始めたばかりだが最初の成果は対面した人の口から出る飛沫がどう飛び散るかだったが、尊案ことくらいこれほどのコンピューターでなくてもできたことではなあったのかと言いたい。
同じようなことは、宇宙ステーションでもそうだが巨額の費用を使っている割にはどんなことをしたのかということがちっとも伝わってこないのはなぜなのだろう。
コロナウイルスで、自宅にこもりがちだとストレスがたまり、ちょっとしたことに攻撃的になってしまうそうだが、、、、、、
2020年7月10日 (金)
ひと時の青空
午後になってほんの一時北の方に青空が見えた。
この青空はいつ見たのか 何日ぶりだったか 忘れてしまっていたが、雲の上には夏がいたようで入道雲の切れ端が見え、一時的にその隙間から太陽が顔をのぞかせていた。
この晴れ間を見て久しぶりに麻機沼に行ってみたが沼の水位は水位が上がっていて桟橋がぎりぎり歩けるものの以前散歩に歩いていた地面はうっすらと水につかり歩けたものではなかった。
そして、水が引いてもしばらくは来ることができないと思ったのは、コロナウイルスも関係しているのか散策者も減ってしまったようで、草がかなり生い茂ってしまっていた。
そして、いととき後再びポツポツと雨粒を感じたので家に帰ってきたのだが、入る間もなく篠付く降りで遠くが見えなくなった。
ここしばらく、コロナウイルス感染者が関東圏で右肩上がりに増加し、今日は東京で243人といままでの最高を記録したそうだ。
静岡県でも毎日のように感染者を出しているがいずれも関東から来た人とか関東に行った人由来の感染者である。
過去最高の感染者が出たことで驚いているのはどうやら自分たちだけで、政府は専門家会議に下駄を預ける格好にして対策に手を出そうとするどころか経済再生に前のめりになっているような姿勢に終始している。
日本人は、コロナにかかりにくいとかかかっても重症化しにくいとかというが、、、、、
なんだか近いうちに自分のまわりがコロナに包囲されそうな気がしてならないのだが、、、、、、、
2020年7月 9日 (木)
十王気取りで
とある禅寺の庭先にしつらえられた十王像。
詳しいことは知らないがもともとは中国の道教由来の石仏で亡くなった人がこの十王によって審判を受けるとのことだそうで、閻魔様とよく似た仕事をするらしい。
秋霜烈日とは冷たい秋の霜 カンカン照りの太陽を意味し日本では検察のバッジがそれを表していると聞いた。
検索してみると、「刑罰や権威が極めて厳しく 厳かな例え」とある。
むかし(2000年以上前)、秦の始皇帝が刑罰を決めるとき身分に関係なく公平せよと伝えとある。
国家や人が人に刑罰を与えるときはこの公平ということが一番の根本であることは間違いなく、これを破れば法律そのものの信用性がなくなるはずである。
昨日、先の参院選挙で買収などの選挙違反事件で元法務大臣だった河合克之氏と妻の参議院議員案里容疑者を起訴したが、収賄の疑いを求められていた県会議員や市町長ほか議員を含めて百人の刑事処分を見送ることにしたと報道された。
金額の多い少ないばかりを言うのではないが200万円を受け取った県議さえいる中でこれが不起訴というのはどういうことだろう。
全く選挙のことを知らない人がもらったのではなく、議員ともなれば選挙のプロのはずである。
過去に、鹿児島県ででっち上げの収賄で刑に服し出所後の裁判で無罪になった事件では脅したりすかしたりした捜査の手口があからさまになったが、今回はほとんどの議員たちがペラペラと罪を認める供述をテレビの前で話している。
日本の裁判は起訴されると前例を踏襲して99%有罪になるそうだが、その起訴さえされないということは検察が十王気取りで六法全書を捻じ曲げたということだが、そんな権限をいつから手にしたのだろうか。
この調子では今後”収賄”という罪はなくなること間違いないだろう。
次回の選挙からは、候補者にお金をねだろうではないか。
投票さえ自分の思ったようにすればもらい徳(毒)間違いなし。
2020年7月 8日 (水)
いつまでつづく?
飛騨川沿いの国道41号線の決壊現場を写したテレビから
「土方殺すにゃ刃物いらぬ 雨の三日も降ればよい」とむかしは言われたものだった。
雨でぬかるんだ土砂を相手の土方、今では建設作業員などと言っても本質は変わらず仕事には出られないでいる。
それにしても今年はこれで何日雨に降りこめられているのだろうか。そして、この状況はいつまで続くのやら、、、、
キュウリやナス、トマトの成長がはやくて、長靴を履いて畠には時々出かけているが本質的にはほとんど家の中にいてテレビを見ながらストレッチ体操をしていても一日千歩歩いたかどうかという状態では身体がなまってきているのがわかる。
今朝がたから飛騨と長野が大雨に見舞われ、飛騨川、木曽川 天竜川と梓川などがかなり増水しているとのこと、そして下呂の近くでは氾濫さえしていると報じていた。
この雨の被害としては、松本から上高地に至る道路や飛騨川沿いに走る国道41号線が通行止めになっているそうで、テレビで見る限りでは復興に時間がかかりそうな気配。
今年は久しぶりにお盆の墓参りを計画していたが、ふるさとへの経路は二本が難しそうになった。
2020年7月 7日 (火)
雨降りお月さん
#雨降りお月さん 雲の影
お嫁に行くときゃ誰と行く 一人で唐傘さしていく
唐傘ないときゃ 誰と行く
シャラシャラシャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて ゆれていく
子どものころ歌った”雨降りお月さん”だが、いま歌ってみると何とも奇妙な歌詞である。
いくら月が一つで輝いていたとしてもだよ、、、、
この歌が今日口について出たのは、朝からの雨空が急に明るくなったので外に出てみたらまだ細かい雨が降っていたのに、空の一角では青空が出ており、その隙間から太陽が顔を出していたことにあった。
狐の嫁入りにしては、中天に近いところにから降り注ぐ光は二次も出ないし味気ない。
この青空も一瞬のことであり、空は再び雨空に戻った。
おかげで、今年も天の川はカササギの架け橋がかかることもなく、七夕はコロナウイルスで中止になったようだ。
我が家の家紋が抱き茗荷だからというわけでもないけれど、茗荷は好物の一つである。
春にタケノコのように出てくる芽もそうだが今の時期は花を包んだ苞が出てきて今日も少しばかり収穫できた。
2020年7月 6日 (月)
五月雨式に
”五月雨を 集めて早し 最上川”というのは芭蕉の句であるが、今日は旧暦の五月十五日で、まさに五月のまっさかりである。
先日来の五月雨は九州地方で大雨を降らせた結果かなりの人的被害が発生しているが、毎年のようにこの被害はなくならないどころか、近年ますます激しさが強くなっているようで「経験したことのない、、、」という言葉で気象庁が注意を喚起するのも多くなってきた。
「五月雨式」という言葉が昔からあるが、この言葉を検索してみたら何度も同じことを繰り返しながら続けていくこととあったが、まさに今日の静岡の雨のように降ったり止んだりが本来の五月雨だったのあkも知れない。
いま心配しているのは、いつこの豪雨が頭上にくるのか、いつウイルスに感染するのかであろう。
今までは、なんとはなしに自分の身の上に降りかからないなんて根拠もなく思っていたが、、、、、、、
あまりの長雨に脳みそにカビが生えなければよいがと思っている。
2020年7月 4日 (土)
天の声
今年初めてもった月下美人の蕾、雨粒を身にまとい二週間ほど後の大輪の花を夢見ている。
外に出しっぱなしの花は早くて六月末なので今年は少し遅れ気味とみたが、気候のせいか気まぐれか、、
雨は朝のうちに一応やんだが、時折パラパラと降っていた。
しかし今日の主体は風が強く吹く時間が多いため、畠に様子を見に行くとカボチャの蔓の受けにしておいた網が風にあおられてひもが切れ地面に蔓ごと落ちていたため補強しようと持ち上げてはひもで結び始めたが、それを咎めるように急に激しい雨に見舞われた。
やりかけた手前、何か所かを結んでいたがたまらず畑から出て自転車でずぶぬれになって帰ってきた。
「今日の畠作業はご法度だよ!」という天の声を聴いたような気がした。
2020年7月 3日 (金)
朝焼けに
朝起きてみたら異様に空が赤かった。
ここしばらくの梅雨空で朝焼けも夕焼けも見ることがなかったので、この空の赤さはあまり良いことの前兆ではないように思われる。
天気予報は曇りのち午後には雨が降り出すというのであったが、この朝焼けのあと高曇りの空のもと墨絵のように真っ黒な富士山がしばらく見えていた。
先日ロシアの大統領が戦勝記念日のあいさつで、全体主義の国に断固として戦い、打ち勝った、、、と言っていたが、共産主義国のソビエト連邦もどちらかというと一部ポルシェビキのもと全体主義の国だったのではなかっただろうか。
スターリン率いるソ連は一説によれば、何千万人と言われる人々を粛正という名のもと自国民を殺害し意見を異にする人を無くする恐怖政治をしたとされる。
同じように中国の毛沢東や北朝鮮の金日成らも行ってきたのは共産主義の本質だったのだろうか。
若いころ、”働かないもの食うべからず”人は一様に働いて生活の糧を、人を搾取することによって裕福な生活する人がいない社会を目指すのが理想と言われていたが、それはごまかし、詭弁でしかなかった。
戦前の日本も同様であったが、幸いと言っていいのか敗戦によってその呪縛は解かれた?????一応見かけは、、、、
いま、香港の情勢を見るにつけ中国の強権的政治、独善的政治はいつになったら完結するのかわからないが、つくづく彼の国に生まれなくてよかったと思う。
2020年7月 2日 (木)
コメンテーター
麻機田んぼのあぜ道にカルガモの牡三羽が交互にわめきたてている。
カルガモは巣立ちした雛は雌に連れられてあちこちで食べられる餌を教えてもらうようで、雛の群れな一羽の成鳥だけで世話をしている。
カルガモのことは知らないが、抱卵までは雄雌共同なのかもしれないが、孵った途端雄の仕事はなくなるようであぜ道や土手に集まって退屈そうに過ごしている。
人間でいえばぐうたら親父そのものを実践している。
今日東京ではコロナウイルスに感染した人が百人越えをした。
数日前から次第に数を増やしているのは、PCRの検査が多くなったばかりではないようだが、小池知事はなかなか東京アラートを出そうとはしない。
どうも、休業補償に充てるお金が無くなったためでないかという憶測も流れているとか、、、、
東京を含む関東一帯になぜこんなに罹患者が増えてきたのだろうか人口が多いというばかりではなく10万人当たりでも多くなってきたのはなぜだろう。
「お上の言うことに従いたくない」という反権力の志向が強い関西圏が意外と低いのに、、、、
上の写真を見ていると、最近のテレビのコメンテーターを表しているようにも見えて仕方がない。
2020年7月 1日 (水)
豪雨
テレビの全国放送で静岡市葵区の大雨情報が藁科川上流の濁流とともに映し出されている。
心配してあちこちから電話が入るが、全国有数の面積を誇る静岡市にあって自分の住んでいるところは断続的に激しい雨が降るものの降雨量は少ないようで裏の川の水位は30センチほどにしか高くならないで推移している。
ただ、昨日午後になって激しい風が吹き、柔らかくなって畠のキュウリとササゲの手が茂った葉の影響もあって倒れかけていたので、合羽を着て畠に入り補強してきた。
静岡は四十数年まえに七夕豪雨という名の梅雨末期の豪雨があり、今日のように梅雨前線がかかると海からの暖かい空気とが原因の大雨に注意しなければならない地形なので、、、、、、
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