神童天才
谷を隔てたその向こうにオオキンケイギクの花が風に揺れていた。
鮮やかな黄色は明るく、のびやかなどという花言葉がよく似合う。
ただ、日本に入ってきたのが土木工事などの後に地面を覆うためにほかの種と一緒に持ち込まれ、その繁殖力の強さから工事区間以外のあちこちに飛んだり、中には庭や道端に移植されたものなどがあちこちに群生するようになって、今では厄介者として駆除され、移植が禁じられている。
草に罪はなく、調べもせずに持ち込んだ人間が悪いのだが、、、、
十で神童 十五で才子 二十過ぎればただの人。と言われるように子供のころはとてつもなく賢かった人が大人になるとその片鱗を無くし平々凡々以下の人になってしまうのを見聞きしたことがある。
その点、将棋界や囲碁の世界では神童 天才などと言われた人たちその後も長い間活躍を続けているのはどうしてだろうか。
常に頭脳を使っているせいだろうか、、、
そうでもないような気がするのは最近いろいろな記録を塗り替えている見た目ではそんな天才児には見えない藤井二冠の応対が、とても十八歳とは思えない節があることである。
囲碁の方もそうであるが、勝っておごらず負けて平静にいられるというか、そういうことを表に出さないで将棋が済んだあとに、どこが悪かったよかったと盤面を改めるところや、羽生九段をして「藤井さんの将棋を学んで、、、」とまでいうところにあるような気がする。
同じ年頃のスポーツ選手は、監督に頼り切り自主性もなく、すぐに泣くし、金メダルをかじって見せるなどの姿とはかけ離れた存在に見えてしまう。
これからの長い棋士生活、これらの人に囲まれて成長していけば、神童天才は輝き続けるであろうことは疑いの余地もない。
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