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2020年9月30日 (水)

赤くなる

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酔芙蓉の花が咲いていた。

一本の木に赤と白い花を咲かせて、、、、

これは、白く咲いた花がアントシアニンのせいで太陽光を受けると白い花が次第に赤くなっていくとのことで咲き分けているのではない。

この色の変化を見た人が、酒を飲むことによって次第に赤い顔になる人間に例えて名づけたといわれる。

酔芙蓉が赤くなり始めるのは、午後に入ってすぐくらいからであるが、昼酒はまわりが早いとむかし言っていたが、この花もそうなのかもしれない。

 

明日から酒税が変更されるため、ノンアルコールのビールが売れに売れているそうだ。

缶一本につき10円の値上がりだそうだが、量を多く飲む人には大きな負担になるとインタビューに答えていた。

それを見ていて、おもわず「おじさん それは違うって!」と言ってしまった。

テレビに向かって話しかけるのは老化現象の最たるものだそうだが、、、、、、、、

好物を買いだめすると自制が効かなくなって、普段より飲んでしまう結果、チビチビと買ってきた方が安く済むうえ家計は赤くなるもんだ。

そして、いまだに思っているのが、所詮はノンアルコールの偽ビールは最初の一口以外まだまだと言った感じが抜けないでいるのは、顔が赤くならないだけではない。

最近めっきり酒量が減って晩酌もそこそこにしているものにとってビールやワインの値段がどう動こうかは関係ない存在になってしまった。

 

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2020年9月28日 (月)

朝顔に

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朝顔に 釣る瓶とられて もらい水  千代女

 

そのむかし、上水道がまだなかったころの詩で、いまの人には理解しにくい歌であろう。

朝顔は万葉集や源氏物語などに載っているほどの花なので、大昔から人に愛されてきたようだ。

いまでも、七月半ばには大輪で寸詰まりの花を集めた朝顔市があちこちで開かれているが、自分は手入れもされず種を蒔いた後ほったらかしにされ、伸び放題に伸びている花が好きである。

花言葉は、薔薇同様色によって違うそうだが、共通しているのは”絡みつく”だといわれるとさもあらんであり、この鉢をプレゼントされたら  要警戒と心得よ。

 

 

今朝がた急にに寒く感じたので足元に蹴飛ばしたままになっていたタオルケットを引っ張り上げてくるまった。

今年の気候はメリハリがあるといえば聞こえがよいが、七月いっぱい雨降りが続き、八月は一転雨降らずの猛暑が続いて夏バテを起こさせ高と思ったら、九月下旬になって急に涼しくなった秋風がふく。

季節の変化が緩く動き、気が付いたら秋だったというのがこれまでの常識だったが、外国並みに雨季と乾季しかないような激しい気候変動になるのではなかろうかと気にかかる。

そして、今朝がたの寒さは富士山の初冠雪という報道がなされた。

その報道を見て、外に出かけた折富士山方向を眺めてはみたが、こちら側からは暑い雲が遮って、寸毫も見ることが出来なかった。

富士山の初冠雪。実は急に秋の気配が漂った23日には御殿場から富士山の頂上が白く見え、その時が初冠雪だったそうだが、気象庁が決めているのは甲府の気象台からの観測ということなので認められていない。

この話を聞くと、お役所とは面倒くさいものだとつくづく思ってしまう。

天気予報も、気象庁の発表範囲内でなければ、気象予報士は話してはいけないそうだし、官庁が偉いというのは、、、、、、ねぇ~

 

 

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2020年9月27日 (日)

ゆらゆ~らと

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ツリフネソウの赤い花が風に吹かれてゆらゆらと

名前の由来は花のかたちを釣り船に見立てて名づけらたとのことだが、どうやらこの写真からは釣り竿に持ち上げられた魚と言ってよいのではなかろうか。

となると、ツリフネソウではなく釣られた鯛、略して”ツラレタイ”とでもいうことにしよう。

「わたしゃ あんたに釣られたい」なんだか都都逸の文句に出てきそう。

 

午後一時半、スーパーのお供で出かけた帰りにラーメン屋により、帰ってきた後満腹感でうとうととしていたら、ゆっくりと揺れた後それより激しい揺れが床から伝わってきた。

テレビによると、静岡と愛知県の境で起きた地震のせいで自分がいる静岡市内は震度3だという。以前にはもっと強い自信もあったが、震度3は久しぶりの大揺れであった。

最近は、蛍光灯からLED照明に代わり切り替えスイッチが紐からリモコンにかわったためスイッチ紐でその揺れを確認できなくなったが、神棚のしめ縄に差し込んでいた紙垂が代わってひらひ~らとそよいでいた。

 

 

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2020年9月25日 (金)

長いわらじ

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立科町の古刹 津金寺の山門に長いわらじが何本(足)もぶらさがっている。

この時代わらじを編める人が少ないのか、そういう決まりなのかはわからないが、新しそうなものが左右の仁王像の前に一足づつしかない。

山門の前にわらじを吊り下げるのはどういう意味か知らないが、一節としてこんな長いわらじを履くものがこの寺にいるぞという意味もあるやに聞いている。

わらじを下げるのは宗派には関係ないようだが、どこの寺にもあるというものではないと思うが、このわらじを履く足はよほど変な足であろう。

むかし、”長いわらじを履く”というのはやくざ映画で不始末をしでかしてその場所におられなくなったものが追及のほとぼりが冷めるまで他所に逃げていくとき使った言葉だった。

その伝で行くと、当寺には長いわらじを履くものが逗留しているという風に見られかねないような気がするのだが、、、、はて???

 

元法務大臣だった河合弘之氏の裁判で弁護人をすべて解任したため裁判が一時中断しているという。

選挙違反事件は百日裁判とかで早期に結審し、判決を確定させるということになっているそうだが、さすが、元法務大臣その辺のことをわきまえたうえで、少しでも長く歳費を受け取ろうとしているのが目に見えてわかる。

今の時代、長いわらじを履いてもほとぼりが冷めることが無いと思うが、、、、、熱しやすく冷めやすい日本人のこと、裁判が終わるころには「はて? あれはなんだんだろう」なんて言いかねないよな。

 

 

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2020年9月24日 (木)

米考

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「ここ二三日でめっきり田んぼが黄色くなってきたな」というのが義弟の感想だった。

事務所の窓から見える田んぼは写真よりもっと黄色味を帯び黄金色に輝き、何枚かの田んぼでは稲刈りを終え、稲架にかけていた。

子の稲架掛けを見ていると、長野のこの地方では二段重ねにして乾燥させるようで、静岡の一段干しや飛騨のように何段も高く壁のように股木にかけていくなど土地のよってちがう。

それぞれ理由があってのことと思うが、その理由はわからない。

しかし、その稲架掛けは最近では少なくなったという、義妹に家ではこの連休中に子ども夫婦6人に孫まで入れて10数人でにぎやかに済ませたそうだがこんなのは珍しく、最近では半数以上がコンバインで刈り取り脱穀まで一反歩30分とはかからずに刈り取ってしまい一日のうちにあちこちの田んぼへと移動し作業する。

おかげで、各地の米が混ざり合う結果自分ちの米が戻ってくることが稀になってしまうそうだ。

むかしは一家総出で田んぼに入って作業し、このあたりの学校では農繁期には学校が休みになったそうだが、三ちゃん農業と言われた昭和30年代から後の農業も姿を消し、日曜農業、委託農業と田んぼから人の姿が消えていく時代になった。

「米という字は八十八と分解できるように、人の手が八十八回加わってできるものだから粗末にしては罰が当たる」とよく言われたが、戦後の食糧難を過ごしてきた自分たちにはそんなこと言われなくても、米一粒も残さないで食べるのが常識だった。

その当時は、コメ余りに時代が来るなんて思いもしなかったが、先日の新聞では未曽有の米余りで倉庫が大変などと書いてあった。

時代は変わった。常識なんてものは捨てて、、、というが、アナログ人間にはどうにもついてい行けない時代にどう対処しようかと、、、、

 

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2020年9月23日 (水)

はじける

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21日長野へ向けて自動車を走らせたが、まるで世間がはじけたかと思える光景が次々とつづく。

普段混み合うことのない中部縦貫道が富沢インターの手前からノロノロ運転になった、このインターで降りればよかったのだが、その先が空いているように見えたので南部インターまでの無料区間を選んだのが間違い、、、、インター手前の5km区間が完全な渋滞になり断続的にのろのろと動く状態にまでなり、結局この5kmを40分かけて通過する仕儀となった。

そのさき、どこかで休憩したいとおもったが、コンビニ駐車場、食堂の駐車場などいずれも満杯状態で駐車待ちの車が路上にまでつながっている。

静岡から山梨~野辺山~佐久へといつものコースを走ったわけだが、地元以外に前後を他県ナンバーに囲まれて走る。

ほかの車はどのコースをたどって自分の前後にいるか知らないが、渋滞や満杯の駐車場をみると、十日後~二週間後の状況が目に浮かぶような気がする。

最近では三ヵ所ほどで休憩を入れながら4時間弱で到着する道を、ノンストップで4時間半かけての運転になりかなり疲れはててしまい到着後しばらく横になって過ごした。

例年の東京が、ゴールデンウイークや盆休みではじけると全国的に交通渋滞を引き起こすのが改めて証明されて様な気がした。

佐久市へ入ってからの浅間山はいつになく噴煙の量が多いように見えたが、だれも話題にしなかったが、なんだかこの山もはじけるのではないかなんて思ったのは自分だけのようだ。

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2020年9月20日 (日)

彼岸の入り

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暑さ寒さも彼岸までとはよう言ううたもので、今日は一挙に寒さが押し掛けてきたような感じがする一日だった。

しかし、寒暖計は28度もあり決して涼しいと感じさせる気温ではないが、それだけ暑さになれてしまっていたということになる。

山の畑の周辺では、名前に沿うようにばかりに彼岸花が咲いており、アゲハ蝶もこの花に訪れていた。

 

昨日から東京もコロナ制限を外されたとかで交通機関が混雑を始めたそうだ。

自分もそれに誘われたわけではないが、長野へ行かなければならない用事が出来、人込みに紛れて目立たないように向かうことにした。

昨日から体温を測り、体に異常がないか確認しているが、、、、、、、

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2020年9月18日 (金)

真白き富士

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富士山の上にかかる巨大な笠雲。

その下の富士山は真っ白な雲に覆われて、まるで今の季節の富士山とは思えない格好をしている。

家の北側にある畑へ向かう途中、この景色を見つけ家に帰りなおしてカメラを取ってきた。

その間5分とはかからなかったが、富士山を覆ていた雲は少し乱れて、地肌の黒い部分が垣間見えてきたが笠雲はそのまま残っていた。

富士山に笠雲、富士山に吹き上げた湿った空気が作り出し、雨の前兆だというが、午後8時過ぎになって雨が降り出した。

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2020年9月17日 (木)

夕焼雲に誘われて

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空が一面赤くなったようで、家の中までセピア色の光が差し込んできた。

思わずカメラをもって外に飛び出すとはや低い雲は濃い灰色に変わり始めた。

”夕焼雲”という歌は自分にだぶらせてよく歌った、”夕焼雲に誘われて 別れの橋を越えてきた、、、

同級会でも仲の良かった奴もこの歌を得意にした。

そして、この歌を先取りされると、そばに行ってマイクを取り上げ後半を我が物にした。

#、、、、帰れない 帰りたいけど 帰れない 夕焼雲のその下で 一人の酒にしのぶ町。

昨年、秋遅くそいつが亡くなったと連絡があった。

もうこの歌を取り合うことのない寂しさが、、、、あの世で会ったらまた、、、

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2020年9月16日 (水)

はたして?

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家の北側にある麻機沼の一角、昨年までは散歩などで行きかう人によりこのあたり一帯は草丈の短い木陰道であった。

しかるに、ここしばらくはコロナ自粛のためか、市役所で草刈りを入れなかったせいか50センチ以上に伸びた叢には入る気もしないほど荒れ果ててしまった。

 

今日安倍内閣が総辞職し、菅内閣の発足となった。

普段なら、首班選挙の後マスコミは「今 誰それさんが呼び込まれました」などと大騒ぎをする夕べなのだが、今回は異例というべきなのだが首班選挙の前に各大臣が決まっているという変な組閣である。

顔触れは、マスコミでいちいち論評しているが、菅首相が組閣前に行っていたのとは少々違う感じがし、後ろで誰かが操っているとしか思えない人事である。

”船頭多くして船山を登る”ということわざがあるが、足元が盤石でない人が頂点に立つと、早々にぐらつきかねないのであるが、、、、、

   はたして????       お手並み拝見と言ったところか。

 

 

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2020年9月15日 (火)

第三波

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月下美人の大輪の花が今日も十輪ほど咲いた。

表は赤い色の鞘に包まれているが、開ききった花は純白の花びらで淡い芳香とともにいかにも清楚な美人と言った雰囲気も醸し出している。

今年は、コロナ流でいうと第三波と言ったところか。

というのは、大体開花する日が一日であるときと三日ほどに分けて咲くときとあるためなのだが、まだまだ気温も高いので今年中にはもう一回咲くと期待しているのだが、、、、、

 

今日は、むかし風に言うと「老人の日」である。

人間いくつになっても年寄りだの老人だというのは世間が言うからで、自分自身では歳をとったことを認めたくないものである。

だから、面と向かって老人の日、というのは少々えげつない言葉だとおもっている、そして、それを察したのか1,966年になって「敬老の日」に改めたが、心のこもっていない敬老という言葉にも面白くないものがあった。

その証拠に、2,003年には決まった日でなく九月の第三月曜に変更してしまったことからもわかる。

つまり老人を思うのでなく三連休でどこかへ遊びに行きたいだけである。

今朝のニュースでは100歳以上の年寄りがついに8万人を超えたと報じていた。

その数の増え方は尋常でなくついに人生100年という時代が幕開いたと言っていいだろう。その内訳で驚いたのは、男性の数が一割しかいないということだった。

これは何を意味するのか、動物学的に女性の方が長生きする機構になっているのか、男性の方が体に頓着なく不健康な生活をしたからなのか、、、、、

 

ともあれ、昨日町内会からお祝いだと言って甘い菓子を持ってきた。

辛党で皮肉屋の自分はありがたくいただいたものの、「こんなに甘いものを沢山、早く糖尿になれってことか?」と疑念を持ってしまった。

男の平均寿命を前にして、もっと耳従うことにしようよ。しかし、

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2020年9月14日 (月)

大きく外れて

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五月頃から家の裏の川にそそぐ雨どいからの配水管が常時一定のきれいな水が出るようになった。

ちょうどそのころ、市役所の水道課から量水器付近の鉛管を取り替えたいという話があったそうだ。

それから三ヶ月以上何の音沙汰もなかったので「どうなっているの?」って電話したところ、さっそく市役所が来て、依頼されたという調査会社が来て漏水個所を聴診器で探し当てて今日工事になった。

朝からトラック二台と小型掘削機が来て、漏水しているという印のところを掘り始めたが、結局、調査会社がつけた印から1m以上離れた場所まで探ってようやく見つけたため、家の前の道路を2m四角プラスで深さ1m余も掘ることになった。

掘ってみてわかったのは、漏水している上水道、下水道、そしてヒューム管、雨どいの配水管のほか分けのわからない配管が複雑に入り組んでいたことだった。

結局工事は大幅に遅れ、作業は暗くなった七時までかかってしまった。

 

今日は自民党の総裁選挙、事前にわかっていたが圧倒的多数で菅氏が当選した。

自民党の中の選挙なので、どうこう言う資格がないが強い人のところへ雪崩を打っ傾いていく人間の業というか、損得勘定というか、、、、

各派閥からの推薦を受けた段階で思ったのは、この先大変だなのに首相の座ってのはそんなに魅力的なのか、ということであり、マスコミこぞって提灯持ちをしていたが、官房長官としての記者会見からいやな質問をそらし、ぶっきらぼうな対応が思い出されて、あまり期待できない人という印象を持っているのは自分だけなのだろうか。

 

とにかくどんなに事前に調べてもなかなか、思う通りにはならないものだね。

 

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2020年9月13日 (日)

季節感がきえる

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サクラタデも花開きセセリチョウを晩餐に招いている。

雨上がりのひと時、思わぬご馳走を独り占めにして満足げに御呼ばれの栄によくしている。

 

哀れ秋風よ こころあれば伝えてよ

ー 男ありて 今日の夕餉にひとり

さんまを食らひて 思ひにふける と

佐藤春男の有名な”さんまの詩”のでだしである。

 

昭和の二〇年代、鉱山の社宅のあちこちからこの季節になると夕方あちこちから、さんまを七輪で焼く煙とともに匂いが立ち込め、いつもかも腹を空かせていた餓鬼どもが家に帰る時間を教えてくれた。

あの頃は、クジラ肉とともにさんまは庶民の味で、秋も半ばすぎるころになると猫でさえがさんまに飽きてまたいで歩くといわれるほど豊富に出回っていた。

考えてみれば、あのころから食生活はずいぶんと変わり、ニシンをはじめクジラ、マグロ、ハタハタ、タラ、サンマと次々と乱獲?で食べつくしたのか漁獲量が減り、否応なしに食べられなくなってしまった。

ようやく秋の気配も見え食欲の秋というのにさんまを焼く煙どころか匂いさえも遠い存在になり、また一つ季節感が消滅していく。

 

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2020年9月11日 (金)

入道雲の下では

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もくもくと湧き上がっている入道雲が南の海上から日本平の山頂近くをかすめるようにして近寄ってくる。

一時間ほどしてこの雲の下に入れば今にも雨の落ちそうな気配の空模様となって出がけに干していった洗濯ものが気にかかる。

日本海側から南下してきた秋の前線に惹かれるようにして湿った空気が引き寄せられているからだそうで、浜松地方では被害がなかったものの大きな竜巻が発生している映像が流れていた。

外から見れば奇麗な入道雲も、その下では、、、、、

 

日本でコロナウイルス感染者が一番遅かった岩手県、いずれ第一号が発生すると岩手の人々も予想していたのだが、その一号にはなりたくないと誰もが願っていたと思う。

特に世間の狭い田舎に行くほどその感はつよいものだ。

そしていま、日本全体的には感染者が出ているものの、狭い地域で見るとまだ患者が出ていないところがあり、自分の故郷である飛騨ではまだ出ていないと従兄弟の子が言っていた。

そして、岩手県同様の現象が起きているようで、子供達には会いたくても会えない状態がず~っと続いていて、「これがストレスみたいで、怒りっぽくなってきたような気がする」なんて言っていた。

 

今日政府はゴートゥキャンペーンから東京を含めるようにするといい、「これで旅行に行ける」とはしゃぐ女性の姿を映していたが、、、、

まだ罹患者の出ていない地方では、バスなどでどっと押し掛ける多発地域からの観光客に対して、旅行業者以外は歓迎という雰囲気になれないのではないだろうか。

先日も長野県の定宿から「またのお越しを、、、」という手紙が来ていたが、連れの兄弟は他県ナンバーにいたずら 嫌がらせをする人がいるようだから、と言われると、一般の人は旅行業者ほど喜べない状況であることが読み取れる。

 

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2020年9月10日 (木)

朝焼けに

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夜明けもぐっと遅くなって寝すぎたかなと思った五時半すぎだったが、まだ太陽は山の端から出ていなかった。

ただ、空は異様に赤く、「朝焼けに川を越すな」ということわざを表さんばかり、今日一日が無事に、、、と祈りたいという気分にさせられた。

今日は春分からかぞえて二百十日、幸いにして天気予報から台風の影は表示されていないが、これからの台風は自分らの方に向かってくる季節になった。

 

そのむかし、長髪が流行り#僕の髪が肩まで伸びたら結婚しようよ、、、なんて歌まであったころ、自分も耳が隠れるほど伸ばしたことがあるが、今ではすっかり刈り上げた結果、耳に髪の毛が触るようになるとうざったくて、床屋に走っていくようになった。

そして、今日その時期になったので雨の止み間を縫って床屋まで片道500mほどを歩いて行った来た。

先日足を痛めて以来、歩くのを控えていたが平地を歩くには差し支えないという確信が持てるようになったので歩いてみたのだが、歩きだしてみたら意外と軽く歩けたので、調子に乗って一気に向かったところ、ついた先でかなり息が上がってしまっていた。

 小渕恵三氏が平成の額を上げたのを見習って、菅官房長官も同じことをして見せ若い人から「令和おじさん」なんて声をかけられ喜んでいたときいたが、「どうもこの令和になっていいことが無いなあ」というのが今日の床屋談義。

これで、オリンピックが無くなったら令和という元号も廃止にしなければなるまい。

明治になってから四回は天皇在位中の改元はなかったのだが、それ以前には天災や疫病など災難が来ると何度も改元をしたことがあるのだから、いまの天皇がおなじ元号でいなければならないという法はないとおもう。

令和の例は冷や零に通じるような気するのは、、、、、あやしゅうこそものくる欲しけれ

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2020年9月 9日 (水)

ちきゅうを見た

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「あれっ! あれはなんだろう?」っていうので、横目でちらっと見たら地球深部探査船”ちきゅう”だった。

先日の新聞によると母港の清水港で二ケ月ほどメンテナンスのため停泊するとあったのでそのうち日の出埠頭の傍に行って一枚写真を撮りたいなとと思っていた。

国道一号から通りすがりに高さ120m余のデリック(やぐら)を何度か見ていたのでそのうち、、、そのうちと思っていた。

それが駿河湾に出ていたのを旧蒲原町のバイパス沿いから見えたってことは、試運転で出かけていたのかか、次の掘削位置に行くところだったのか、、、、、、、

これまでに、熊野灘沖や岩手のプレート境界線近くで何千メートルものボーリング調査をしてきたことで知られるが、清水港が母港になったのは高さ120Mのデリックが通過できる橋梁がないので東京に近い清水になったそうだ。

自分も長年ボーリング関係の仕事をし、アンデス山頂での1,000m級の仕事やトンネルの先進ボーリングなどはしてきたが、石油関係のボーリングや大仕掛けのボーリングは経験がないので一度見てみたいという願いはあった。

操作は、そのほとんどが遠隔の制御室でするようなので、参考にはならないと承知しているが、、、、

 

今日ここに通りかかったのは、伊豆の鮎専門店で今年最後になりそうなアユの塩焼きを食べたいと思って出かけたためである。

行ってみると、千葉や東京ナンバーの車が車が駐車しており、一瞬どうしようかなと思ったがせっかく一時間以上運転してきたところなので店に入ると、いきなり体温計を突き付けられ熱を測られたうえ注文書に名前と住所 電話番号まで書かされる始末。

御時勢とは言え気分の良いものではない。

しかし、関東ナンバーの車が何台も駐車しているのだから、、、、、、仕方がないか。

ゴーㇳゥーキャンペーンでは、東京が除外になっているし、あちこちの横断幕には、「ほかの県への移動は慎重に」と書かれているが、どこの観光地に行っても結構いるんよね!!!

今日 静岡は三日ぶりとかで五人の感染者が出たとか、、、”くわばらくわばら”と言ってみたものの、これって地震除けだもんな。

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2020年9月 7日 (月)

篠突く雨

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今日は”雨露” 陰気ようやく重なりて 露こごりて白色なれば也 とある。

それを表すかのように、台風10号の余波が静岡の西南の海上から雨雲を運んでくる。

ただ、その雨雲は帯状ではなく団子を連ねたような格好で来るらしく、青空が見えたり、いきなり篠つくような雨が降ったりで、雨の止み間にでかけたが帰りはずぶぬれになって戻る始末。

気温は今日も30度越え、雨に打たれてもシャワー同然で寒くなるということはないのだが、日本人の常として雨に打たれるのはいやだ。

むかし、「雨に歌えば」なんて映画があったが、ジーンケリーが傘を振り回して歌っていたのは目にうろこて感じだったな。

 

安倍首相の後継争いは何の波風も起こさないで済みそうな気配になっているようだ。

三候補の争いというが、はじめっから勝負にならないらしいというのは、みんな勝ち馬に乗っかって候補者の政策とか、理念なんてものは全然問題にならない。

そして、ワイドショーをはじめマスコミも有力候補の人柄や背景を「よいしょ!」とばかり持ち上げ始めた。

近いうちに形だけの選挙があり、当選者は自民党総裁にその後内閣総辞職を受けて首相選挙となるが、有力候補と言われている人は安倍路線を継承すると言っている。

しかし、そこは政治家、当選すれば二枚舌でどうなっていくものやら、、、、

 

「雨に歌えば」この映画は1,952年の映画だそうだが、そうなると自分が見たのは中学1年ということか、カラー映画になって間もなくのころで大津山の映画館で見たことになるが、そんな昔の映画の主役”ジーンケリー”という名が即座に出てきたのは、我ながらびっくり」

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2020年9月 6日 (日)

ひな人形のように

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オンシジュームの黄色い花びらを見ているとなんだかお雛様のように見えてきた。

ランの中では比較的育てやすいと聞き、花屋に行くとバケツの中に一杯入れられて売られているが、育てるとなると素人にはちょっと難しく、これまでに何回も失敗しやめている。

原因の一つは水やりと場所にあるようだがつい忘れてしまい枯らせてしまう。

しかし、花は花瓶に入れて置くぶんには長持ちするので、、、、、、、

 

いま台風10号が九州の西を北上し気象庁は厳重警戒をするよう勧告している。

先月末以来、八号 九号 十号と立て続けに発生しているが、そのコースはほとんど同じように進み、まるで見えないレールが引かれているかのようだ。

二度あることは三度あるというが、もうこの辺で打ち止めにしないと沖縄や九州の人たちに気の毒というよりほかない。

台風は暖かい海で上昇気流が激しくなることで気圧が低くなり、進むにしたがって海からのエネルギーがさらに勢力を強くして北上する、

その勢力を低くしたり、方向を変更するには人間の力ではまだ制御することは不可能なこようである。

 

今日も夕方になって気温が少し下がってから畑に行っ少し農作業をしたが、五時少し前になって、台風余波の雨に打たれてしまった。

明日から静岡県は400㎟ほどの雨予報が出ており、その後はしばらく雨が続くという予報が出ており、この後秋野菜の種まきの準備に入らなくてはならない。

まだアキレス腱の具合がよくないのでマッサージを続けながらできるところの農作業をするのだが、、、、、

 

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2020年9月 4日 (金)

へとチの間

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昨年秋も深まったころ、見知らなぬ人から「これをもらってください」と言ってヘチマをもらった。

しばらくそのままにしておいて、乾いたところで皮をむき、種を取り出してとっておいたものを、6月になって思いだして植えた。

しばらくは、芽を出したものの成長が悪くダメかなと思っていたが、先日らい急に勢いをつけて伸びだし直径8cmほどもある大きくて黄色い花を咲かせ、今では5~60cmにもなる実をいくつもぶら下げている。

むかしは食器洗いや風呂で使うためによく植えられていたが、最近ではスポンジにとってかわられて久しいようで、通りすがりの人から「この長い実は何ですか?」ってよく聞かれるくらい忘れられていて、ヘチマっていうんだよと言っても、「食べられるんですか?」って聞かれる。

自分は、食べたことがないけれど、「むかしはタワシ代わりにしたり風呂で使ったりしたし、ヘチマ水といってこの蔓から化粧や薬ににもなる水が取れる蔓だ」と言ってもなんだか分からないと不思議そうなそうな顔をして行き過ぎる。

ヘチマにはこんな話がある。

もともとの名は糸瓜(イトウリ)と言っていたそうだが、どこかでトウリと呼び名が縮まり、「と」という字はい”ろはにほへとちりぬる、、、」のヘとチの間にあるのでヘチマになったという、とんち話みたいな言い伝えがあると聞いている。

どこまで本当か知らないが面白い。

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2020年9月 3日 (木)

レトロ

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昨夜来断続的に激しい雨に見舞われ、午後三時ころにはワイパーをフル運転しなければ前が見えないような降り方をした。

sしかし、この雨で気温は少し下がったのだが湿度が高く体感的には嫌な一日であった。

 

昨日のことだった。台所の水屋のガラスが割れたのでガラス屋に電話したが、そこの受付が水屋の何たるかが理解できず、説明に一苦労した。

そして、今日そのガラスを作ってもらったのだが、五十代とみられる主人夫婦は「水屋と言ってわかる人は七十歳から上の人ですよ」って言われた。

「えっ! 水屋って死語に近いの???」と絶句。

むかし台所を水屋といい、便所を川屋(厠)といった。

そして、水屋は次第に台所の収納家具や食器棚を言う言葉になった。

戦後焼け野原から家を建て始め、少し余裕ができるようになるとどの家も茶碗や皿 鉢などを収納するため競って豪華(当時としては)家具を入れることになった。

その後家電製品などに中心が移ったが水屋は主婦の見栄がいっぱい詰まった家具だった。

それが、いま通用しない言葉になったのは洋家具がとってかわったためらしい。

日本古来の引き戸が洋家具の観音開き(ひょっとしてこれもわからないかもしれない)に変わってかららしく、「今では収納家具になってしまった。といい、ガラスの引き戸を持つ家はほとんどないと」と言われると、築50年余の我が家は家ごと”レトロ”で文化財になってしまったようだ。

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2020年9月 2日 (水)

失敗しました

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年年歳歳 花相似たり というが、今年も仙人草の花が木を覆うようにして真っ白な花で飾っている。

多年生のつる植物なので手入れのされていない灌木帯では毎年同じように花が咲くが、全草に毒があるとかで馬食わずの名称を与えられている植物の一つである。

仙人草の名の由来は、花が散ると白いひげのような綿毛に包まれる様から来たそうだ。

 

最近テレビでおかしなCMを見た出演は”私は失敗しません”という文句が売りのドラマに出ていた米倉涼子であるが、いきなりテレビの画面いっぱいに映し出されて「携帯はたか~い」とのたまうコマーシャルである。

そんなことむかしからの通り相場で当たり前であるが、これを言わせているのが楽天である。

今までも。携帯を扱っている各社はなんかんだと言いながら、横並びでいろいろな規制を作り横並びの価格でカルテルを結んでいたかのような販売をし、政府からま「規制を緩め 料金を下げよ」と指導されしぶしぶ従ってきたのではなかったか。

それなのにこんなCMを打つなんて、、、、、、、評判も自分だけでなくかなり悪いようだ。

「わたし失敗をしました」と言って出演を辞退されることを、、、、なんでも金になりゃいいというんだったら別だが。

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2020年9月 1日 (火)

ヒシの花

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ヒシの花が咲きだした。

この花が結実すると菱形の語源にもなった黒い菱の実になり、古来日本人が食べてきたそうだ。

茹でて食べると非常においしいと言われているが、まだ食べたことがない。その理由としてあまりにも汚い水面覆いつくしていて、実は泥にまみれているからなのだが、、、、、考えてみれば、これってレンコンも同様の状態である。

この草も水質浄化の役を果たしていると聞くとあまり粗末にはできない草である。

 

先日加山雄三氏が誤嚥性肺炎で入院したそうだ。

コマーシャルでは元気な八十代を演出していたが、何年か前軽いながら脳の病もやっていたとか。

この歳になればなんだかんだと言っても身体に故障が出てくるのは、仕方のないことなんだろうな。

自分なんかも、楽観的性格のためかストレスがあまり貯めていないようで胃腸の病気は今までのところ無縁ではあるが、なんせ坑内という厳しい環境と静岡に来てから激しい太陽の下での仕事で何度か大怪我もし、手術もして肉体的外傷はあちこちに残っており、八十年も使い続けた身体はかなりダメージを受けている。

それもあってか、時々気管支に飲み物の水やつゆが入り咽ることが多くなったような気がする。

テレビによると、話しなどををして喉の筋肉を鍛えるようにとのことであったが、夫婦二人では会話も少ないし、山の畑も畑の持ち主で、中心人物だった人が奥さんの病状が悪いのとコロナ禍で出てこなくなったため途切れている。

段々と寂しくなるのが実感。

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