季節感がきえる
サクラタデも花開きセセリチョウを晩餐に招いている。
雨上がりのひと時、思わぬご馳走を独り占めにして満足げに御呼ばれの栄によくしている。
哀れ秋風よ こころあれば伝えてよ
ー 男ありて 今日の夕餉にひとり
さんまを食らひて 思ひにふける と
佐藤春男の有名な”さんまの詩”のでだしである。
昭和の二〇年代、鉱山の社宅のあちこちからこの季節になると夕方あちこちから、さんまを七輪で焼く煙とともに匂いが立ち込め、いつもかも腹を空かせていた餓鬼どもが家に帰る時間を教えてくれた。
あの頃は、クジラ肉とともにさんまは庶民の味で、秋も半ばすぎるころになると猫でさえがさんまに飽きてまたいで歩くといわれるほど豊富に出回っていた。
考えてみれば、あのころから食生活はずいぶんと変わり、ニシンをはじめクジラ、マグロ、ハタハタ、タラ、サンマと次々と乱獲?で食べつくしたのか漁獲量が減り、否応なしに食べられなくなってしまった。
ようやく秋の気配も見え食欲の秋というのにさんまを焼く煙どころか匂いさえも遠い存在になり、また一つ季節感が消滅していく。
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