生きながらえて
興津の古刹清見寺の下、旧国道一号の脇に写真のような高札が草に埋もれて立っていた。
”しょうじじだい こういんおしむべし むじょうじんそく ときひとをまたず”と読む。
禅寺ではこの言葉をよく聞き、修証義に出だしは、生を明らめ 死を明らめるは 仏家一大の因縁なり で始まり菩提寺ではよく読まされてきた。
多芸で有名な蜀山人が、「昨日までは他人事と思いしに 俺が死ぬとはこれはたまらん」と言ったとか 言わなかったとか、、、、
自分らの年頃になると、周りから次々と人生の幕を引いていく人が多くなる。
人はいずれ、旅立たねばならぬあの世に自分も行くのであるが、23歳のころ山で怪我をし出血多量で死の縁を見たとき、ただ眠くて眠くて、、、このまま寝てしまえば死んでしまうと思いながら、「まあ いいか」と簡単に向こうへ行きかけたが、それから50有余年生きながらえて結婚し子供に恵まれ孫まで出来て今日を迎えている。
そのあいだ、坑内という危険作業で何度か怪我をしないまでも一つ間違えばという経験も幾度かあり、静岡に来てからもあとから考えれば、、、ということもあった。
そんなこんなで今日を迎えているのは先祖のご加護であるとおもっている。
我々の先祖ががこの世に出現した時まで遡るまでもないが、少なくとも400年余 いやもっと前から先祖は、飛騨の山奥 笈破の地で山仕事を主にして生活をして以来江戸時代の飢饉やコレラ チフス 流感などの伝染病を治療薬もない中潜り抜け 生き永らえて今日を迎えているのは、奇跡の一言でしかない。
そして、いま新型コレラを孫たちが潜り抜けて繋いでいって欲しいものと祈っている。
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