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2020年11月 6日 (金)

榑れ板葺きの屋根

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ひさしぶりに懐かしい屋根を見た。

藁科川を望む山の尾根すじにダイラボウというところがあるが、ここにある槫板葺き(クレイタブキ)の屋根を持つ小屋はもう二十年くらい前に建てられたもので、いままで何回も見ていたはずのものだったが気にはしていないため知らなかった。

榑れ板とは木を5~70センチくらい切って剥いだ板を檜皮葺きの屋根のように下から重ね合わせて葺いていくやり方で、飛騨や信州などの山家では普通に見られた屋根の葺きかたで、かの地では更にその上に石を載せて刳れが飛んでいくのを抑えた。

榑れ板は、栗の木など堅木が喜ばれたが、そのほかの家の端材や周りの木でつくるため、合掌造りのように萱を集める苦労もないし、瓦のように高価でもないため母屋以外の小屋などに使われた。

不思議なことには、スイスでもこの屋根を見かけたのだが雪の多いところでは世界共通の建て方だったのではないだろうか。

その刳れ板も次第にトタン屋根に代わり、今では雪国でもほとんど見かけることが無くなっている。

 

同じようなものだが、楢の木や栗の木を三尺に切って厚さ2cmほどに割ったものは鉱山で矢板と呼ばれる落石防止材に使ったが、これだけ長いと堅木でねじれの強い木だけに剥ぐのが難しかった。

自分の親父はこれが得意だったようで、従兄弟を連れて山に入っ作ったがなかなかこれを作れる人がいなかったので高く売れたと言っていた。

 

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コメント

岡崎在住さま

戦争が終わった翌年ころ、アメリカ軍のジープが生まれ故郷である茂住を通りかかった際、後ろをついてガムやチョコレートをねだったものでしたが、それと同時に排気ガスの臭いを腹いっぱい吸ったものでした。
(今なら考えられんことやけど)
日本では木炭自動車しか走っていないころで、いわゆる文明の香りだったんでしょうか。
それもあってか、遅くまで昭和25年くらいまでコールタールの臭いに石油(ガソリン)を重ね合わせていたもんやよ。

投稿: オラケタル | 2020年11月10日 (火) 16時54分

オランチの父ちゃんが、夏にコールタールを塗っておったのを思い出しますわ🎵 以外と臭いは気にならなんだね(笑) そう言えば、学校の先生は 「鹿間の亜硫酸ガスで、トタンが はよーに痛むんやよ❗️」とか、教えてくれましたわ😅

投稿: 岡崎在住 | 2020年11月10日 (火) 12時14分

岡崎在住さま

いろいろと思いだしますなぁ
トタン屋根の便利なのは、釘穴や屋根雪降しのときスコップで傷つけても、コールタールと襤褸布ででふさげたもんな。
コールタールで思いだすのは、夏の暑い盛りでないと伸びんし、身体につくと落ちんし、臭いし、降りる場所を考えながら塗って最後は梯子をおりながらやったから、、、、
   
     そりゃ大変やった。

投稿: オラケタル | 2020年11月 9日 (月) 21時39分

トタン屋根は、長いアングル(滑落防止)が殆どでしたな。そやそや、丸太ん棒もあったさ。石を置いて御座ったのは、パーマ屋さんの左の家やったかね。(市山の坂のところ)トタン屋根やで、容易に釘で打ち付け出来たんやろかね。そうそう、オランチのトタン屋根で、雨の日に雨漏りしたのを思い出すさな(笑)

投稿: 岡崎在住 | 2020年11月 9日 (月) 20時25分

岡崎在住さま
トタン屋根の上の川原石?
ひょっとすると、浅田さんや荒木さんらがいた前平私宅のあたりやったかな?
グラウンドの上の社宅は載っていなかったと思っている。
トタン屋根の上に雪のすべり止めとして、アングルを載せていたけど初めは丸太ん棒が載っていたのを憶えています

投稿: オラケタル | 2020年11月 8日 (日) 21時15分

あーっと、栃洞の住宅はトタン屋根で丸石(高原川のヤツ?)がギョーサン載せてあったかな^^; オランチの今の屋根は、スレート瓦(カラーベスト)で、考え方(構造)は一緒やわね❗️

投稿: 岡崎在住 | 2020年11月 8日 (日) 12時53分

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