今年も終わった
い家の裏にあたる山の端に十六夜の月が沈もうとしていた。
立っている木が対象になるので見ていてもわかるくらいの速さで月が沈んでいくのだが、逆の見方をすれば地球の回転がそのはやであることをさしている。
機械のようにガクガクッとした振動もなく静かに動いているさまは脅威に値することなのだが、水が無くなったり健康を害して分かるように普段が当たり前ってことに一つになる。
今年も今日でお終いである。
ふるさと風に言うと大みそかにブリを食べると数え年で一つ歳を取ることになるのだが、その伝で行くと数え年八十三歳ということになり父親の歳を十七歳多く生きたことになり、寿命が短いと言われた鉱山の坑内で削岩機を握り発破の粉塵の中で生きた身にとって長生きしたもんだと思っている。
そんななか、なぜこの日が一年の終わりであるかわからないが、自分なりに振り返ってみた場合もう長くはない人生の中であまり良いことのなかった年として記憶されることであろう。
昨日株式市場はバブル以来の高値で終わったと言っていた。
実体経済は新型コロナの打撃で失業者が10万人ほどになるほど被害を受けているのに株価だけは上昇するというバカげた反応を示しているのは、政府が日銀に買い支えをしているためだと言い、この現象は20年ほど前のバブル同様いつはじけてもおかしくない状況だと言えよう。
その場しのぎの対策しかできない政府にとって、失われたうん十年を回復しないまま、再び再現しかねないのだが、、、、、、、、
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