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2021年1月31日 (日)

般若心経

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掛川市と島田市の境にある粟が岳、山頂近くに植木で書かれた茶という字がで有名である。

標高は530mほどしかないのだが、低い山の多いこのあたりでは群を抜いているようで山頂には数本のアンテナが立ち並んでいる。

梅雨時や台風の接近時には海からの雨風が直接ぶつかるという地形上気象観測にも使われているようで、粟が岳という風速や雨量がテレビにはっぴょされている。

この山の茶という字も今が一番くっきりと見えるのはまわりの茶草場が枯れて茶色になっているというのも面白い。

 

経文を一番最初に覚えたのは”延命十句観音経”であった。

飛騨では、お通夜の晩に亡くなった人を前にしてみんなで西国三十三ヶ所の御詠歌を唱えるのが常であった。

若いころだから義理で出かけたお通夜が多かったが、この御詠歌が長かった。

中の休憩を入れて二時間以上は御詠歌を続けるため足はしびれ冬は寒いし、夏は暑いで、、、もう~

そして最後には先に書いた観音経を唱えるのだが、これが来るとあとわずかだとホッとしたものだった。

次に覚えたのが魔訶般若波羅密多心経だった。

これは写経から入ったので割合簡単に覚えられたが、その後テレビで八十八ヵ所巡礼などがお寺の前で唱えたり、般若心経の本も沢山出るようになって、このお経が最高だと言われていたのを憶えている。

このお経を略して般若心経というが、観自在菩薩がシャリープトラに対して世の中とはこういうものだと諭したお経で、悟りを開いた仏はこのことは百も承知であるので、仏を前にしていうことではないと思っている。

なので、自分は毎朝仏壇の前で唱えるお経の中にこのお経は入れないでいる。

このお経を唱える場合、仏に向かうのではなく煩悩の多い大衆に向かって唱えるものと思うのだが、、、

世の坊さんのほうはどう思っているのだろうか。

 

 

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2021年1月29日 (金)

風強しで、、

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”天気晴朗なれど風強し”そんな言葉が浮かぶほど風が強い一日だった。

関東圏の影響で、最近は静岡県東部がコロナウイルスで大変だということなので国道一号を西に向かい掛川に行ってみようということにしたが、大型のトラックが横揺れするほどの風を見て、道の駅からUターンをして引き返すことにした。

しかし、真ともに帰るのも癪だとばかり下道をゆっくりと戻る途中、景色が売り物の食べ物屋によって食事をして帰ることにした。

行ってみるとそんな考えの人が多かったようで、ほとんどが満席状態。

それでも、四人掛けのテーブルを二人で斜め向かい座れと言われて儲けたような気がした。

窓の外には、島田市街と遠景に富士山を配した額縁のような景色、食事の味はまあまあながら楽しんできたが、せっかちの老夫婦はほかの客のようにゆったりと食事ができない、がつがつと食ってほかの客をしり目に「はい、お勘定!」とは我ながら「もったいないよな」と思ってしまった。

 

ここ二~三日、我が家からあまり離れていない高校でコロナのクラスターが発生し、生徒と教師合わせて十四人の感染が発表された。

県は記者会見で「誹謗中傷は決してしないでください」と呼びかけていたが、当初九百人ほどいる全生徒を対象に検査をすると言っていたが、一部生徒の父兄から大学受験に差しさわりがあるから検査を受けないという申し出あって実施できていないとのことだった。

最初の感染が確認されtから二日遅れで休校にした学校の後手後手対策だった、それでも休校によって全員が自宅待機としたが、検査を受けない生徒はどうなるんだろう。

「塾通いなど学校名を隠して外出するつもりではあるまいね」親のエゴ、生徒のエゴで感染を広げたらどうするつもりなのだろうか。

それこそ誹謗中傷の的になっても仕様がないか。

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2021年1月28日 (木)

小冊子に

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雨が降っている時間の方がすくなかったが、雲の層が厚いらしく週日薄暗く、体感温度は気温より寒さを感じさせてしまう一日だった。

庭の南天の実についた露の中にそれぞれが小さな景色をもっているが、そよ風が吹くたびにその景色を一斉に更新するかのように消し去ってしまう。

 

先日、ふるさとの菩提寺から新年のあいさつとともに小冊子を送ってくれたが、そのなかに昭和30年ころの物価というものがあった。

昭和30年は自分にとって大きな節目の年だった。

三月に中学を卒業すると、鉱山付属の高等学校に入り鉱山従業員の入っていた寮でくらすことになったとしである。

従業員の子弟ということで入寮したのだが、初めて親元を離れ見知らぬ大人と一緒の相部屋は今でいうかなりのストレスでしばらくはホームシックに悩まされ勉強にも手が付かなかった。

同室の人は四十代だったと思う。硫酸工場に勤務し三交代作業だったから子供のような学生と一緒というのは「困ってもんだ」と、戸惑っていたに違いないが、どうして同質を承諾したのか知らなかったが金沢生まれの人で優しい人だった。

さて、小冊子に載っていた当時の物価だが、国鉄の最低料金が十円、葉書が五円、週刊誌が三十円、ガソリンが一リットル三十七円、卵が一kg二百五円、ラーメンが四十円、コッペパン十円。そして、人民の酒焼酎は三百六十円、大卒初任給八千七百円だったそうだ。

当時自分は寮の食費三千円ほどは親が負担していたが、毎月鉱山から二千円の手当をもらう身であった。

この二千円は、当時の最低賃金でニコヨンと呼ばれた二百四十円から見るとかなり高額なものかもしれなかったが、一杯四十円のラーメンや一個十五円ほどの卵はもったいなくて食べられなかった。

しかし、月に一回程度親元に帰るときに当時新しい食パンで黒糖入りのコッペパンを兄弟の数だけ買って意気揚々と帰ったものだった。

小冊子の片隅の記事が、まだ子供だった時の懐かしい記憶をよみがえらせてくれた。

 

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2021年1月27日 (水)

梅は咲いたが

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昨日 今日と雨は降ったがいまの時期としては気温が高めに推移し、散歩には上着一枚が余分なほどだった。

麻機のあちこちでは梅の花が三分から五分咲きくらいに花が開き、木の下に行くとふくいくとした香りに包まれる。

鼻の感覚が鋭くなったわけではないはずだから、意外と花の香りが強いのを再確認させられた。

立春も間近に迫っていよいよ春近しを感じさせるが、、、、、、「このままではあるまい」と気を引き締めようとするが、、、、、、、、にやけてくる。

 

静岡に来た当時、「静岡はぬくといもんで、何をしても、、」という自虐的な言葉をよく聞いた。

そして、静岡県は西の遠江の国と中部の駿河の国、東の伊豆の国が合わさっているのでそれぞれ気質が違う。とのことであった。

その例えとして、もし食えなくなったら遠州の人は気性が激しいから強盗をする。駿河の人は優柔不断で自分から何かしようとする気がないから乞食になって物乞いをする。そして、伊豆の人は小機転が利くから詐欺をする。とのことであった。

そのうえで、同じ駿河でも静岡の人に言わせると、清水と焼津は港町なので気性が荒いとさらに気弱なことをいう。

結局のところ、静岡市の人は同じ県に住みながら周りがおっかない人ばかり、、、ということになりそうだ。

新型コロナが発生して一年になるが、新聞は毎日県内各市町の発生状況を掲載している。

当初は浜松市がトップを切って大きな数字を出していたが、夏ごろから静岡市が急追してトップに立ったのだが、それ以降トップの座を譲ることなく、浜松市に二百人以上の差をつけている。

東に神奈川県を西に愛知県と緊急事態宣言を発している県に挟まれて県境は厳重警戒に余念がない中、静岡市が首位を譲らないのは、優柔不断が原因なのかなと思うこの頃である。

 

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2021年1月25日 (月)

返事は来ない

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昨日から今朝がたまで24時間以上続いた雨は富士山頂では雪だったようで久しぶりに真っ白に厚化粧をした顔をのぞかせていた。

真白き富士の峰、、、、という歌が浮かんできたが手前の山は対照的に黒々としており、歌の文句にはそぐわないと止めてしまった。

午後になってまだ湿気ている畑に行ってキャベツと白菜を一個づつとってきたが、二人所帯には多すぎると言ってまたひと悶着。

年寄りにはこんなコミュニケーションしかないのだが、ひとりものの知り合いはそれが幸せだという。

「富士と写真の亭主に向かってどんなに悪態をついても、、、、返事は帰ってこないよ」って。

 

”批判より提案を”っていうけれど、ガースーの国会答弁を聞いていると「対策が後手後手になっているのではないか」などの質問をした言葉を繰り返したあと「その言葉は当りません」も繰り返し。

その理由の説明はない。これでは提案のしようがないないのではないか。

政府は一度閣議で決めるとかたくなに固執するが、与党議員やどんな基準で選ばれたか知らないが有識者などの意見はどれほど入れられたのだろうか。

支持率回復を望むなら、もう少し国民にわかるような答弁が欲しいのだが、、、、、無理だよな。

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2021年1月23日 (土)

寒九の雨とは

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ポツポツと降りだした川面を見定めているカワセミ。

雨の波紋か小魚が水面のえさを取るときの波紋か見定めかねているようにも見えたが、人間の目とはけた違いに良いはずの彼らには杞憂に過ぎないことであろう。

 

本当に何十日ぶりかの雨が降りしきり午後になって思い切って床屋へ行ってきた。

寒さとコロナ化とで行くのを控えていたのだが、三カ月近く行かずにいると髪の毛が耳にまとわりつくのが我慢できなくなる。

長髪が流行した昭和四十年代の写真を見ると、かなり長い髪の毛をしていたのだが、どこかで短くし始めてから生え際が長くなると耳の周りがうざったくなる。

特に雨など降る日にそれが顕著になり、気がたって来るようになるのでつれも「行っておいで」と勧める。

久しぶりに床屋へ行くと壁に「〇体温を測らせてもらいます。〇三十七度以上はできません。〇住所氏名の署名をお願いいたします。」などと書いた紙が貼ってあったが、いずれもスルーパス。

なじみの床屋なので、父さんが頭をかまっている間隣に立った母さんと世間ばなし、、、、

一時間後、頭はすっきりとしたが借り上げた襟元をすうすうと風が吹きすぎていく。

”寒九の雨”というには少し遅いかもしれないが十日くらいの遅れはこの際目をつぶってもらおうか。

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2021年1月22日 (金)

はつもの

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「もう出とるはとるずなんやけど」と思いながら山の畑の脇をさぐってみた。

南向きの暖かい斜面の蕗畑、いつもこの時期になると3cmに満たない小ぶりなフキノトウが膨らんでくる。

ふるさとあたりでは今の時期雪の下になり、フキノトウが出るのは雪解けが進んでいく四月になってからのことだがこちらでは葉っぱが小さいながらも枯れないで残っている茎の中心部に秋には気配を見せていたフキノトウが膨らみ始める。

ただ、今の時期のフキノトウは雪の解け始めたころに出てくるフキノトウより硬くて触感としては落ちるが、独特の辛味や香りは同じかそれ以上のものがある。

十粒ほど見つけてさっそく春の香りを味わってみた。

初物は命が三日伸びるとか、、、、それでは少なくとも三日間は大丈夫ってこと。

明日の命がわからない中で、これから次々と初物を食べて寿命を延ばそうと考えている。

ヘッ!ヘッ!!ヘ~  と。

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2021年1月20日 (水)

大寒小寒

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大寒小寒 山から小僧が降りてきた

  

  岩手の和尚さん寒がりで 

 

すっぽりかぶった白頭巾、、、、、

 

たしか、三橋美智也の歌だったが、軽快なメロディーで今でも時々この時期になると口ずさんでいる。

写真の山は十一月の浅間山だが、静岡から見る富士山は風で吹き飛んでしまったようで薄化粧がいいとこだし、静岡のシンボル竜爪山は標高1,000mを越しているのに先日降ったかどうかよく見ないと分らないくらいにしか白くならなかった。

なにしろ、こちらではこの山に三回雪が降ると春になると言われるくらいたまにしか降らず、その言い伝えも温暖化のせいかこの頃ではよほどのことでないと白くならない。

 

今日は大寒一年一番寒い時期という。

今年は、日本海側の平地が大雪に見舞われて、富山市など何十年ぶりとか言われるほどの積雪を記録したそうだが、平地の雪は根性なしで瞬く間に消えていく。

面白かったのは先日飛騨地方のことをテレビで放送していたが、その内容は屋根雪降しのやりかただった。

自分たちは子供のころから二から五メートル以上の雪が降るのが当たり前の暮らしをしているので屋根雪降しをはじめ雪またじは”お茶の子さいさい”で、斜面に立つ校舎の屋根雪は生徒が下すものだと思っていた。

その高さは、十メートルを優に越していたが、誰もそれを危ないなどと思っていなかった。

今年は、その雪で60人を超える死者が出たと聞くと、、、、どうして?とおもってしまう。

飛騨など雪国では屋根雪が滑り落ちないように軒近くに鉄製のアングルやそのむかしは細丸太を屋根に固定して一気に滑り落ちないようにしたものだが、暖冬続きでそんな知恵もなくなってしまったのだろうか。

 

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2021年1月19日 (火)

様子をうかがって

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庭の南天の実が赤くなって一ケ月以上になるが、程よく熟れたようでヒヨドリがついばみ始めた。

それを習ってか、ヒヨドリがいない隙を狙ってメジロが品定めをしている風だった。

ここ二~三日、みかんを二つ割していない日が続いたので、腹を空かしてか、それとも来たついでなのかはわからないが警戒を怠らず様子見しながらの品さだめ、、、、、、

 

コロナ禍のなかで新しい言葉が次から次へと出てくる中で最近”黙食”という言葉が出てきた。

先日、全国チェーンだと思うラーメン屋に入ったとき、あとから来た若者六人グループが一つテ―ブルに座り大声で笑ったり椅子を揺らしていた。

店の人が注意するでもなく応対していたので帰りがけに店員に苦情を言ったのだが、どうも店に対する半ば嫌がらせのようでもあった。

自分たちが子供のころ食事中になにかすると「黙って食え!」っておやじに叱られたものだったし、年がら年中「腹が減った 楢が減った」で過ごしてきたので、喋るより腹にものをつめることに重点を置いたので食事を一家だんらんの場なんて考えたこともなかった。

いつのころから食事中に話をするようになったのだろうか。

先日、政治評論家でガースーとも多人数で会食した御仁が言っていた「我々は(酒の入った)会食でなければ話しが出来なくなっている」といっていたが、こうなるとたばこ同様会食中毒としか言いようがないのだが、、、、、、、、

 

 

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2021年1月18日 (月)

蒲の穂

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蒲の穂に夕日が当たって幻想的風景を醸し出していた。

受精を済ませた穂は次第に膨らみ、風に乗せて種をばらまこうと膨らんだ部分が太陽光を透かしているのだが、緩い風に吹かれてゆらゆらとその光を揺らめかせているその風景は見飽きない。

因幡の白兎が大黒様に教えられてガマの穂にくるまったという昔話があるが、こんな時期だったのだろうか、羽毛布団のようにぬくぬくとしそうな綿毛が取れるのだろうか。

 

日本人の八割ほどが今年の夏オリンピックは無理だと思っているようだとテレビは言っていた。(自分はもっと前からそう思っていた)

新型コロナの流行はワクチンが出来てもおさまるとは思えないのを肌で感じているからであろう。

万が一、日本での流行が抑えられたとしても世界のパンデミックは終息しないので新しい型のウイルスで再拡大をしかねない。

先日来、ガースーや森会長をはじめ日本の関係者がオリンピックは止めないと強調し始めたのは”言いだしっぺ”になって責任や非難を受けたくないだけのようで、これはIOCを含めてすべての関係者が共通の認識であるようだ。

「国連が決めてくれ」とか「WHOが言ってくれ」とかいって、自己責任を回避するような声が聞かれるのは、もう無理だろうと誰もが認識しているからに違いない。

ただそれを認めると、言いだした団体にペナルティーという名の違約金が生じる可能性があるからだ。

「せっかく努力している選手が可哀そうだ」というが、モスクワのオリンピックのように政治圧力でボイコットしたことなどがあるように、上の人はそんなこと屁でもないことである。

ただただ、自分たちのメンツとお金(儲けか損か)だけであることを承知しなければならないだろう。

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2021年1月17日 (日)

咲き初める

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山の畑の脇に植えてある河津桜、二輪 三輪と咲き出していた。

サクラの花は年中何かしらの種類の木が花を咲かせているそうだが、今の時期開花している冬桜と比べると花の大きさと言い艶やかさと言い格段にきれいである。

冬まだ寒いとは言いながら、春の兆しはすぐそこにいているようだ。

 

今日は、阪神大震災から26年目の日だという。

あの日の朝、起きだしたとき揺れを感じ、地震が起きたことは知っていたが阪神であんなに被害起きているとは知らなかったので、榛原の現場に入っていたが元受けの監督が来て「大きな被害が出ているらしいよ!」と言われても頭の中はついていかず、仕事を終えてテレビを見るまで分からなかった。

街中のあちこちから火が出て燃え広がり、ビルの一階部分がつぶれてしまったりして、死者がどれだけいるか分からない状態だった。

いま考えると、あの時代はまだ今のように通信網が未熟だったのだろう。

その中で一番驚いたのは、高速道路の橋脚が長い距離にわたって倒れていることだった。

この地震の前に、カルホルニアで地震が起きたときやはり自動車道の橋脚が倒れてしまった写真を見て、日本の土木工学の先生が「日本ではこんなことは起きません」と、のたまわっていたのを思い出したからである。

どこで、そんな自信が身についていたのだろうか。

その後、東北地震の際には原子力発電所がもろくも崩れ去って、安全神話が一気に崩れ去ったのと同様で、人間の知恵というか、日本人の先の読み方はいつも良いように良いようにと考える癖は治らないようである。

災害というものはいつ来ても大変であるが、阪神も東北も寒い時期に来たというのは何か関係でもあるのだろうか。

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2021年1月15日 (金)

ひとり左義長

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今から70年余も昔のこと、字が下手だった自分には正月二日に書く書初めが大の苦手だった。

いまのように紙が十分にない時代、練習は新聞紙で行った後枚数が制限されていた清書紙に書くのだが、緊張しているものだから、さらに下手な字になる。

その書初めは常に右上に赤紙を張られて廊下に張り出される屈辱を味わった。

 

生まれ育った東茂住の三枚に青年団の若い衆が3~4メートルほどの杉の木を立て、その周りに正月飾りや書初めなどをまとわりつかせて15日の夜は華やかに左義長が始まった。

子ども心ではまるで天まで届くかのように高い杉の木の上の方にヘタな書初めを上げてもらい、金紙の書初めより高く上がれと祈ったものだった。

 

最近、一人キャンプが流行しているそうだ。

”ひろしです”で一時人気だった芸人が山を買ってその中で一人キャンプをしているのが評判になり、その影響だそうだが、自分も静岡に来て以来ひとり左義長をしている。

町内会でもやっていた時期があったが、人混み嫌いの自分は庭に一角でトタンを敷きそのうえで家の分と知り合いのを寄せて燃やしているのだが、連れは近所を気にして「やめろ!」何度も言うが、火には怪しい魅力がありやめられない。

しかし、ものの10分ほどで炎の祭典は終了となり、水をかけて消した灰は魔除けになるとかで家のそばの木の根元などに分散して撒けば、今年の小正月の行事はお終い。

もちろん、餅を焼くことなどできないほど短い祭典である。

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2021年1月14日 (木)

田の神に

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麻機の田んぼに鍬を入れススキを立てお供えの丸餅を供えて田打ちの神事を行ったところがあちこちに見られた。

ススキではなく笹竹のところや、御幣の有る無し、お供えの種類など決まっていないところを見ると決まった形はないようだが、いずれも今年の収穫や田の平穏を祈ったものに違いない。

ただ、この神事をしているのをこちらに来てみたことが無い。

写真の田んぼも焼いた丸餅やその下に敷いた紙などから言って、つい先ほど行ったもののようである。

というのは、二日前には雨が降ったし、このあたりはカラスの多いところなので、何日も無事であるはずがないからである。

ほかの田んぼでは、乗用型耕運機が入って他の土をかき回していた。

 

緊急事態宣言の追加として二府五県が加わることになった。その発表に際してガースーは静岡県の名前を読み上げたので愛知県と神奈川県の間に挟まれているのでしようがないのかな?なんて思っていたら福岡県の間違いだったそうだ。

その福岡県も急遽入ったそうだが、県としては申請していなかったのに西村大臣から追加指定はしないと言われてそうならしようがないかと決めたそうだが、後になって「追加指定はしない 云々」は間違いだったという。

もう全く見ていられないよね、、、、、もう神頼みしかないか。

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2021年1月12日 (火)

露をまといつかせて

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久々の雨の一日。

気温は低かったが氷雨というほどの冷たさもなく、先日の激しい風で葉っぱを吹き飛ばされ黄色い花を露わにした蠟梅が露をまといつかせて咲いていた。

蠟梅は梅という字がついているが花のかたちから見ても梅の中まではなく蠟梅科という別の花であり、中まで黄色いこの種は素心蠟梅という坊さんみたいな名前が付けられている。

春一番に目立つ花は花びらに一種光沢があり、その輝きが蝋細工のように見えるところから名づけられたのは見ての通り。

 

 

今日もやらずの雨、家の中に足止めされると当然のようにテレビの子守りするしかない。

今日も主題は新型コロナウイルス、、、、、、

「緊急事態宣言下、今朝の人出は普段と変わらない通勤風景が見られました」

先日亡くなった小松正夫風に言うと「みんな言うことを聞かないんだから シラナイ シラナ~イ」と政府筋がいうかもしれない。

なんて思ったらおかしくなってしまった。

 

同じ話題の繰り返しはもう刺激もなく、飽きが来たのは悪いけれど率直な感じ、、、、、

で、スイッチを切り風邪をひかないようにしてごろんと寝てしまう。

緊張して働いている医療従事者には悪いという気持ちがあるのだけれど、自分にできるのは人込みを避け感染しないように気を付けるだけ、、、、、

 

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2021年1月11日 (月)

日本平から

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日本平から見た富士山、ここ三日ほどのはげしい風は五合目付近まで真っ白に積もらせていた雪を吹っ飛ばしたようで、夏場の富士山並みに地肌を露わにしていた。

日本観光百選に選ばれた昭和30年代は観光バスが全国から集まり盛況をきたしていたようだが次第次第に人の集まらない観光地になってしまった。

近年山頂に富士テラスという施設を作り二年ほどで百万人とか言っていたが昨日行った時には警備員が出て旗を振っていたが駐車場にまだ空きがあるいつもの状況と変わりはなかった。

コロナによる緊急事態宣言のせいかもしれないが人影はまばらと言ったところであった。

遠く北西方面には南アルプスの荒川岳近辺の山々は真っ白な雪に覆われているが、それより高い富士山が真っ黒というのも独立峰のなせる業か。

人間同様、トップは風当たりが、、、、、、、、

 

今日は成人の日である。

コロナ禍のなか、中止になったところをはじめ、各地でそれぞれいろんな方法で行ったそうだが、当の畑地を迎える若者の意見としては「成人式は一生に一度のものだからやりたい」とか「長い間会っていないので会って話がしたい」などが主な理由で成人式をやってほしいという意見を何度も放送していた。

根がひねくれものの自分としては、成人式なんて言うものは戦後になってからどこかの町で始めたのがきっかけとなて広がったもので、自分の成人式の時の写真を見ると男女とできるだけのいい服は着ているが、それはみんな自分があつらえたもので、女性で振り袖姿は一人もいなかったもんだ。

年々豪華な服装になったのはいつのころからだったろう。

たぶん昭和の末期高度背長を歌いだしたころからではなかっただろうか。

成人式後のどんちゃん騒ぎをみていると、とても成人とは思えないやからが多すぎる。

 

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2021年1月10日 (日)

里雪か

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富山市では積雪が1mにもなる大雪だとテレビは言い、福井県や石川県など各所で雪による渋滞が起きているそうだ。

そこで、ふるさとに電話してみると「雪? 降ってはいるけどそんなに大したことないよ」とのこと、で、例によってライブカメラで確かめてみると普段なら除雪された雪が道の両側に積み重なっているのだがそんな気配はない。

富山県境から10kmほど飛騨に入った飛騨市東茂住でこのくらいである。

そうなると、これは典型的な”里雪”になっているんだなって思う。

雪には里雪と山雪があって日本海で水蒸気が大量にあがると沿岸部で雪が降り、海岸部で水蒸気が上がると山のほうに大量の雪が降る。

自分たちが子供のころ、生まれ育った東茂住やその上の標高800mの大津山では普通で2~3mの積雪があり、一番多く積もったのは7mにもなり電線が雪の表面をなでていたことさえあった。

最近ではこんなに降ることもなくなって、神岡町南部の流葉スキー場では雪不足に悩まされる年が多くなっている。

まだ神岡にいた昭和30年代は雪で冬季は自動車運転がままならないため自動車税が半分ほど免除されていたり、そのあと国道41号線で雪崩にトラックが川へ押し流されたことことさえあった。

そして、スキーがブームになったとき他所の県から雪道になれない車が来てにっちもさっちもいかなくなった時など「こんなとこへ来るんじゃない!!」と言って怒ったこともあった。

ただ、その時の町長曰く「春になると自然に消えていく雪の除雪に莫大な金をかけなくてはならないのが悔しい」  と

むかしを今に戻すわけにはいかないのは百も承知だが、、、、、、

 

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2021年1月 9日 (土)

説得力も屁も

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”空襲警報発令 チャカチャカチャカ 

    空襲警報発令”(チャカチャカは走る靴の音)

昭和十九年になってからのことだったと思うが、人口わずか六百人ほどの小さな集落をメガホンをもって走り回る斜め向かいのあんちゃん(子供の目には大人に見えた)が走り回って叫んでいた。

ラジオもろくにない時代、きっと誰かの指示を受けて空襲警報を知らせていたに違いないのだが、、、しかし、子供たちはそれが面白かった。

さっそく遊びの中にそれを取り入れて、何回もそう叫びながら走り回ったのを憶えている。

その結果、叱られたかどうかのほうはおぼえていないのだが、昨日朝の新聞見出しに”緊急事態宣言再発令”という見出しを見てを見て、こんな言葉を子供のころ真似したのを思い出した。

 

日本に演説というものが入ったのは明治になってからのことで、聴衆に向かって指導者が直接話しかけるということはそれまでなかったそうだ。

そのこともあってか自己表現のヘタな国民だと言われている。

ただ、どんな話しでも相手の目を見て話さなければ熱意は伝わらない。ということはこの演説という以前の問題である。

関東圏の知事たちの要請、医師会会長など医療現場の声に抵抗しきれず緊急事態再発令しなければならなかったガースーは自分が作ったのか官僚に書かせた文章なのかはわからないが、ほとんど下を見たまま原稿を読み上げていた。

それに比べ、ドイツのメルケル首相や、イギリスのジョンソン首相の演説は格段の違いがある。

ガースーにしてみれば、たぶん何もしないでやっていきたかったのだろうが、対策の後手後手感はこの時もぬぐえず今日の感染者はうなぎのぼりの七千人台、近い将来1万人をを超えること必至である。

「日本人は世界の人と違い強制しなくても、、、、」という観念は自分たちだけはという首相をはじめ、国会議員、知事、市会町村長に各級議員という指導的立場にいる人から崩れさって、信頼感のない言葉遊びになってしまった結果、説得力も屁もなくなっている。

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2021年1月 8日 (金)

おバカさんよね

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裏の畠の脇にポツンと一株だけからし菜の花が咲いている。

一見菜の花と一緒ののような感じだが、食べてみると名前の由来である辛みが感じられる。

もともとは余所から持ち込まれた野菜でったが種が逃げ出したようで、あちこちの路傍に根を下ろし繁殖している強い草である。

十年ほど前に山菜ブームがあったときには、これらの草も根元から採取され二番 三番芽まで摘み取られていたが所詮人の心は飽きが来るようで最近は大きな株が堂々と道端に生えるようになった。

いずれにしろ、この寒さの中で”春近し”を感じさせる一株である。

 

アメリカの大統領交代劇を見ていると民主主義というものはこんなにももろいものか思ってしまう。

民主主義を売り物にして世界に広めようと武力まで使って推し進めてきた国の大統領が、選挙結果を認めようとしないで、知性のかけらもない人々を煽って様々な妨害を実行している。

そして、昨日はこれらの人を国会になだれ込めさせて死者まで出している。

もしこれらの人が武器をもって入ったとしたら、死者の数もけた違いに出ていたに違いない。

 

あなた馬鹿よね おバカさんよね

 あきらめが あきらめが悪いのよ

一度離れた心は二度と 戻らないよ もとには        

      と 

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2021年1月 7日 (木)

七日正月

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庭のサザンカの花にメジロが頭を丸ごと突っ込んで蜜を吸っていた。

そばにみかんを二つ割りして枝に押さしているのだが、今日は見向きもしないで蜜が少ないと思われる方をえらんでいる・

今日は七日正月、あさの食事は七草粥に卵焼き、食べ終わったときには少々腹持ちが少ないのかな?と思ったが、、、、いつもほど間食もなしに過ぎた。

メジロはどうだったのだろうか。

 

最近目覚めると身体に異常がないかと気になる。

診療所の入り口には「熱のある人は来ないでください」と大きく赤いマジックで書いてある。

いま風邪をひいても診療所や病院には行きづらい雰囲気がプンプンと臭っている。

なんのための病院かわからないが、自己防衛として汗をかいたりしたらすぐに着かえるなどして、風やインフルエンザ、食中毒などにならないよう今まで以上に気をつけねばならない。

そして、今日も2,500人近くの感染者を出しているという東京もそうだが、静岡でも82人と二番目に多い数字が報道された。

今日の静岡の感染者の特徴は、富士市から東側の地域が非常に多くなて来ていることから、正月に関東圏に行った人と関東圏から近い地域に滲み出してきている傾向が強いのではというコメントがあったが、、、、、やっぱりね!という感じは否めない。

 

とにかく年寄りは  ヤバイ!!ヤバイ!! と声を大ににして若者言葉でいうしかない。

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2021年1月 5日 (火)

おせち退治

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「どんよりとした空、最高温度はかろうじて13度の寒い一日でした」

大雪で難儀している地方の人が聞いたら「何言うとんね!!」って叱られそうな言葉がテレビのアナウンサーが言っていた。

今日は”小寒” 暦の上では寒さも本格的になってきた時期を表している。

畑に置いているバケツには圧5ミリに満たない氷が張っていた。

 

1月も今日で五日目、いま一生懸命になっているのが”おせち退治”

正月に孫たちが来るのではないかと、例年通りの料理を冷蔵庫一杯に作り置きしていたのだが、この御時勢、誰あれも来なかった。

そのため、毎日毎日せっせと食べに食べている。

昨日までにカニとカズノコ、黒豆を何とか片づけたが、まだ汁粉やナマスをはじめしゃぶしゃぶ用の材料などはほとんど手付かずで残っているそうな。

「こんなことなら、もっと少なめで、、、」って恨み言を言いながら飽きの来た食べ物で三食を過ごしている。

しかし、テレビを見ると雇用を打ち切られ住むところもなくなってしまった人がたくさんいるようだし、コロナで入院し生きるかどうかの瀬戸際で呻吟している人のことを思うと、自分は幸せを通り越して贅沢の極みを尽くしていることになる。

 

我借所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 

従身口意之所生 一切我今皆懺悔 

 

 

 

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2021年1月 4日 (月)

宗派戦争?

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麻機の沼にも冬鳥が沢山群れるようになってきた。

この時期になると全国の養鶏場では鳥インフルエンザが流行し、一つの養鶏場で何万羽もの鶏を一斉に駆除してしまう。

このインフルエンザの運び役がこれら冬鳥だというが、滅多のことではこの鳥たちが死んでいるのを見たことが無い。

そのわけは、養鶏場の鶏のように密ではないためかもしれないなどと思っているがどうなんだろう??

 

正月になるといつも思うのは、一日に入る分厚い新聞と面白くもないテレビの連続である。

郵便ポストに収まり切れない正月版の新聞は凝ってはいるが読む気になれない記事と写真ばかり、そしてテレビのほうは出演者が喜ぶほど面白くもない娯楽番組が主体である。

そのため、一日から駅伝を延々と見る羽目になってしまう。

そんななか、箱根駅伝もそんなに見る気はないのだが、その理由はさておいて、普段運動には興味のない連れが好きで付き合うことになる。

しかし、今年の駅伝は別な意味で興味を持った。

これはある種、仏教系(?)の宗派戦争ではなかったかと、、、

学会のチームが先頭を走り曹洞宗のチームが迫っては離され、迫っては離されるを繰り返していたが、最後にどんでん返しで曹洞宗が勝利した。ということ、、、

ちなみに青山学院大学はキリスト系だとのこと、そうなると往路は学会。復路はキリスト教、総合は仏教とうまく分け合ったということになるんだが、こんな戦争ならどんだけしても   ねぇ~

 

 

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2021年1月 2日 (土)

じっとたたずむ

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麻機遊水地は今大きく変わろうとしている。

一昨年県が買収した遊水地予定地に重機が入り土をあっちに持って行ったりこっちに動かしたりしているため、以前は気ままに歩けた遊水地予定地が柵で遮られ中に入ることができない。

ただ、従来からあった川はまだそのままなので、中にたたずむダイサギとコサギは中にたたずんで瞑想している。

人間の目から見ると、このうそ寒い時期に川に浸かっているのはいかにも寒そうだが、彼らには案外こたえていないようでじっとこのままの姿勢ですごしていた。

ここしばらく外出も少なくなり食っちゃ寝 食っちゃ寝の生活が続いているので、しばらくぶりで歩いてみたが、その反応はてきめんで親指の付け根の部分が靴擦れで水膨れにならないかと思うほど痛くなってしまった。

胃腸のほうは、幸いと異常をきたしていないがこんな調子が続くと、、、、、、、

 

年末からコロナ感染者の急増を受けて首都圏知事らが政府に緊急事態宣言を出すようにせまったが、まだ政府の腰は重い、、、、そのあいだにも毎日三十人 五十人と亡くなっている。

金事態宣言を出したとしても、感染者がどのくらい減るのか、亡くなる人がどのくらい減るのかわからないが「人の命は地球より重い」とまではいわなくても、、、、、、、、

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2021年1月 1日 (金)

一陽来復を念じ

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余が白々と明け染めた街を通り毎年のようにご来光を仰ぐ場所に急ぐ。

風が幾分吹いているため体感温度はかなり低く感じられるが、その冷たさが気分をすっきりとさせてくれる。

階段を上り集合場所についたのは朝日が昇る15分ほど前であったが誰も来ていない。

一時は10数人が集まっていた場所であったが年を経るごとに次第に数を減らし、最近では常連さんの3~4人にまで減っていたのだが、今年はそれぞれに来にくくなった事情があって予想はしていたのだが、、、

結局は自分一人がみんなを代表して東のかた、谷津山、日本平とその向こうの海を隔てた伊豆半島にかかる雲の上から差し込むご来光を待つことになったが、これも”密を避けよ”というご時世のせいだけならよいのだが、、、、。

水筒にはお湯割りのウイスキーがあり、寒さしのぎに蓋代わりのコップに注ぎくちをならす。

しかし、あんなに集まってわいわいと迎えたものが一人ではわびしい、、、、

そうこうするうちに左手に見えるうす雲をまとった富士山が朱色に染まり「長らくお待たせしました」とばかりに雲を染めていた太陽が顔を出した。

最近では朝の散歩もやめていただけに、久しぶりの朝日にはおもわずてをあわせてしまった。

 

”一陽来復” 気兼ねなく人と会える年になってほしいものだ。  と

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