般若心経
掛川市と島田市の境にある粟が岳、山頂近くに植木で書かれた茶という字がで有名である。
標高は530mほどしかないのだが、低い山の多いこのあたりでは群を抜いているようで山頂には数本のアンテナが立ち並んでいる。
梅雨時や台風の接近時には海からの雨風が直接ぶつかるという地形上気象観測にも使われているようで、粟が岳という風速や雨量がテレビにはっぴょされている。
この山の茶という字も今が一番くっきりと見えるのはまわりの茶草場が枯れて茶色になっているというのも面白い。
経文を一番最初に覚えたのは”延命十句観音経”であった。
飛騨では、お通夜の晩に亡くなった人を前にしてみんなで西国三十三ヶ所の御詠歌を唱えるのが常であった。
若いころだから義理で出かけたお通夜が多かったが、この御詠歌が長かった。
中の休憩を入れて二時間以上は御詠歌を続けるため足はしびれ冬は寒いし、夏は暑いで、、、もう~
そして最後には先に書いた観音経を唱えるのだが、これが来るとあとわずかだとホッとしたものだった。
次に覚えたのが魔訶般若波羅密多心経だった。
これは写経から入ったので割合簡単に覚えられたが、その後テレビで八十八ヵ所巡礼などがお寺の前で唱えたり、般若心経の本も沢山出るようになって、このお経が最高だと言われていたのを憶えている。
このお経を略して般若心経というが、観自在菩薩がシャリープトラに対して世の中とはこういうものだと諭したお経で、悟りを開いた仏はこのことは百も承知であるので、仏を前にしていうことではないと思っている。
なので、自分は毎朝仏壇の前で唱えるお経の中にこのお経は入れないでいる。
このお経を唱える場合、仏に向かうのではなく煩悩の多い大衆に向かって唱えるものと思うのだが、、、
世の坊さんのほうはどう思っているのだろうか。
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