説得力も屁も
”空襲警報発令 チャカチャカチャカ
空襲警報発令”(チャカチャカは走る靴の音)
昭和十九年になってからのことだったと思うが、人口わずか六百人ほどの小さな集落をメガホンをもって走り回る斜め向かいのあんちゃん(子供の目には大人に見えた)が走り回って叫んでいた。
ラジオもろくにない時代、きっと誰かの指示を受けて空襲警報を知らせていたに違いないのだが、、、しかし、子供たちはそれが面白かった。
さっそく遊びの中にそれを取り入れて、何回もそう叫びながら走り回ったのを憶えている。
その結果、叱られたかどうかのほうはおぼえていないのだが、昨日朝の新聞見出しに”緊急事態宣言再発令”という見出しを見てを見て、こんな言葉を子供のころ真似したのを思い出した。
日本に演説というものが入ったのは明治になってからのことで、聴衆に向かって指導者が直接話しかけるということはそれまでなかったそうだ。
そのこともあってか自己表現のヘタな国民だと言われている。
ただ、どんな話しでも相手の目を見て話さなければ熱意は伝わらない。ということはこの演説という以前の問題である。
関東圏の知事たちの要請、医師会会長など医療現場の声に抵抗しきれず緊急事態再発令しなければならなかったガースーは自分が作ったのか官僚に書かせた文章なのかはわからないが、ほとんど下を見たまま原稿を読み上げていた。
それに比べ、ドイツのメルケル首相や、イギリスのジョンソン首相の演説は格段の違いがある。
ガースーにしてみれば、たぶん何もしないでやっていきたかったのだろうが、対策の後手後手感はこの時もぬぐえず今日の感染者はうなぎのぼりの七千人台、近い将来1万人をを超えること必至である。
「日本人は世界の人と違い強制しなくても、、、、」という観念は自分たちだけはという首相をはじめ、国会議員、知事、市会町村長に各級議員という指導的立場にいる人から崩れさって、信頼感のない言葉遊びになってしまった結果、説得力も屁もなくなっている。
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