ひとり左義長
今から70年余も昔のこと、字が下手だった自分には正月二日に書く書初めが大の苦手だった。
いまのように紙が十分にない時代、練習は新聞紙で行った後枚数が制限されていた清書紙に書くのだが、緊張しているものだから、さらに下手な字になる。
その書初めは常に右上に赤紙を張られて廊下に張り出される屈辱を味わった。
生まれ育った東茂住の三枚に青年団の若い衆が3~4メートルほどの杉の木を立て、その周りに正月飾りや書初めなどをまとわりつかせて15日の夜は華やかに左義長が始まった。
子ども心ではまるで天まで届くかのように高い杉の木の上の方にヘタな書初めを上げてもらい、金紙の書初めより高く上がれと祈ったものだった。
最近、一人キャンプが流行しているそうだ。
”ひろしです”で一時人気だった芸人が山を買ってその中で一人キャンプをしているのが評判になり、その影響だそうだが、自分も静岡に来て以来ひとり左義長をしている。
町内会でもやっていた時期があったが、人混み嫌いの自分は庭に一角でトタンを敷きそのうえで家の分と知り合いのを寄せて燃やしているのだが、連れは近所を気にして「やめろ!」何度も言うが、火には怪しい魅力がありやめられない。
しかし、ものの10分ほどで炎の祭典は終了となり、水をかけて消した灰は魔除けになるとかで家のそばの木の根元などに分散して撒けば、今年の小正月の行事はお終い。
もちろん、餅を焼くことなどできないほど短い祭典である。
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