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2021年2月28日 (日)

春が来た

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菜の花が咲き、柳はみどりに萌え、家の庭には緋寒桜が点々と、、、

麻機遊水地のグラウンドでは少年野球の試合があって甲高い声が響きわたっている。

一瞬コロナも去るときを知って退去したかのような雰囲気である。

そんな中をよたよたと歩く二人は、どんなふうに見られているのだろうか。

近年、体力の低下が加速度的に進んで最近では右足の膝が痛んできた。

これまで、膝が痛いことなんてなかったのに、、、、どういうことが原因なのか、、、運動不足で筋力低下だとは感じているんだが、こんなに脆かったのか???

 

午前中は今年で最後になる琵琶湖マラソンを見ていた。

30km過ぎ突然飛び出した鈴木選手があれよあれよという間に後続を引き離し独走態勢に入ったかと思うと日本人で初めて二時間四分台の日本新記録で優勝してしまった。

飛び出した直後は、どこかでブレーキがかかりいつか後続に追いつかれるのではと思っていたが、38km過ぎあたりからひょっとして、、、、、とおもうとガンバレガンバレと画面を見つめていた。

この選手、レース前には名前も知らなかったし、招待選手でもないのでそんなに実力がある人とは見ていなかったが、相撲でいえば前頭の下位のほうにあたるのかもしれない。

そんな風に思うと、最近の相撲界も横綱は休みがちだし大関もふがいない中で、平幕陣の優勝が入れ替わりで面白いような、面白くないような場所を展開している。

そして、今回のマラソンでは通常なら優勝してもおかしくない二時間八分台で10人ほどもいるという高速レースになったが、有終の美としては豪華すぎるんではなかっただろうか。

来年からはこのコースがなくなるのはなんだかもったいないような大会になってしまった。

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2021年2月26日 (金)

宝石箱だぁ

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おおげさと言われればその通りかもしれないが、畑の一角が雑草に覆われたため空色のオオイヌノフグリと紫色のホトケノザの花と緑の葉っぱで地上にこぼした宝石を演じていた。

さしづめオオイヌフグリはサファイヤ―、ホトケノザはルビー、そして緑の葉っぱはエメラルドか。

これだけあれば大金持ち、老後は何にも怖くないと言ったところ。

昔から宝探しは格好の夢物語のテーマだったが、アラビアンナイトは泥棒であり、桃太郎は強盗だったと解釈すれば、、、、、、、、

 

今日は昭和十一年に起きた軍事クーデター、 二,二六事件の日である。

当時の貧富の差が激しくそれを憂いた青年将校が起こした事件ともいわれたが、後ろに隠れて操る陸軍将官が沢山いたようで、この事件を契機に軍部に対してものが言えない政治家が増え、日本を破滅させた戦争に突き進んでいった。

いま世界では軍事力を背景にした独裁政治を強行している国が沢山あり、その典型が中国であり北朝鮮やミヤンマーなどであるがいずれも民衆の声を圧迫して、ものを言わせない体制で臨んでいる。

中国四千年の歴史の中で何度も易姓革命が起き、王朝が入れ替わっているがいずれも腐敗が原因で、蜂起した民衆の力で倒されている。

しかし、民衆が蜂起するにはそれなりの武器を手に入れた結果であるが、今の中国あたりでは大小強力な武器を持った国に対して民衆はどう抵抗できるのだろうか。

武器を持った軍部が割れて政府を倒すしかないのだが、倒したとしてもまた軍政しかないのでは元の木阿弥であろう。

二~三百年周期で起こっている中国王朝の交代はこの目で見ることはかなわないが、その時はどんな情勢で起きるのか、、、、、、、

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2021年2月25日 (木)

は~るの小川は

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は~るの小川は さらさらながる

 

静岡は漆山の子供病院のそばを流れる小さな小川。

土手に植えられた数十本の河津桜はもう盛りを過ぎてちらほらと花びらを散らし始めていた。

その下をきらきらと光を反射しながら、水は流れる。   いかにものどかな風景。

ウイークディーなら人も少ないかと思ってきたが、道路を挟んだ反対側にある駐車場はバスを含めて八割かた埋まっていた。

バスは、保育園が仕立てたようでこちらは花より団子と言った雰囲気で、桜のほうには寄ってこない。

河津桜は移植してあまり年月が経っていない若木ばかりで、樹高は三メートルに満たないが、かえってその方が低い桜トンネルを形成してよい雰囲気となり、こちらは老人ホームの人たちが多く集まりベンチに腰かけて眺めていた。

我々も老人の一員、ここ三日ほどの強い風も収まりうらうらと散策をつづけた。

 

栃木県足利市の山林火災が五日目となってもなかなか収まらない。

ヘリコプターからの水爆弾もあまり効果がないようで、昼間は明るさに隠れて煙しか見えなかった火の手が、夜になると赤々と燃え盛っているのがテレビ越しに見える。

昨年、アメリカのハリウッドの火災やオーストラリヤのコアラが沢山火傷を負った火災よりは今のところ小さいが、近辺の家には避難勧告も出ているそうだ。

山火事の恐ろしさは、昼間は火の手が見にくいことにある。

そのむかし、昭和三十三年だったと思っているが、飛騨の神岡で友達三人で二十五山に登りだしたところ、道路わきの斜面からもうもうと煙が噴き出したのを見て駆け下り、木の枝で火を叩き消していたが、気が付くと一度消して上に上がると、後ろから一度消したと思ったところがまた燃え始めていたので、再び下に降り直して消火に当たっていた。

山火事で命を落とすのは、大抵こうしたのが原因で、気が付くとまわり中火の海になって逃げられなかったというのが原因だとあとから聞いた。

結局、鉱山の消防団が消防車で駆けつけてくれたので、あとはまかせて帰ったが、後から聞いた話では「煙草の吸殻をを捨てて火事を起こした三人が慌てて消していた」ということになっていたそうで、その三人は自分たちのことらしかったのだが、三人ともまだタバコを吸う年ではなかったのに、、、、、

今回の足利市の火事も市長は山の休憩所から出ていると言っていたが、、、、、

 

 

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2021年2月23日 (火)

気になる

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見上げれば音もなく飛行機が東から西の空に飛んでいく。

飛行機雲を長々と引きずってゆっくりと飛んでいるのだが、高さのためか、風のせいか、自分の耳のせいか、音が全く聞こえない。

エンジンを二つつけたその姿は、最近エンジン故障が頻発している飛行機とよく似ているが、、、、

それにしても、同じような事故が続いているのが気になる。

一昨年だったか、利用客が増加している羽田空港の離着陸を増やすため東京都心の上空を低く飛ぶことにしたという報道があったように記憶しているが、この話しはどうなったのだろうか。

新型コロナの影響で飛行機の便数が減ったので、今は使われていないのかその後の報道では聞いていない。

アメリカなどでエンジンカバーなどの部品が住宅地に落ちたそうだが、密集地ではなかったためけが人を少し出しただけだったが、かなり大きなものが映っていた。

もしこれが、東京の繁華街あたりの落ちていたらそれこそ、、、、、

しかし、ワイドショーなどではあまり騒いでいないように感じられるのは、見ていないためばっかりではなさそうだが、、、、、

 

倉庫の灯油缶を見たら空っぽだったので買いに行った。

ここ二~三日はぽかぽか陽気が続き、このまま進展すれば買う必要がないのだが、まだ二月。

明日から寒気が南下するという予報を信じて販売所に行くと、半そで姿の年寄りが「あったかくていいね~」って言いながら18リットルのポリ缶にノズルを入れて注油する。

「これが最後になるといいんだけど」と答える自分も上着ナシ!

 

 

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2021年2月22日 (月)

疲れたあ~

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今日2月22日はニャンニャンニャンと語呂合わせで猫の日だという。

時あたかも、猫の発情期に入る季節であり、先日も家のそばで2匹の猫が威嚇しあっていた。

むかし、高校受験で宿に入った夜一晩中猫の啼き声で眠れなかったのを思い出す。

メスを呼ぶオス猫が二~三匹集まっていたようで、交互に啼き声を出す合間に喧嘩もするらしく激しくギャッという声や走り回る音で迷惑したものだった。

中学が大津山という鉱山住宅の子供だけがいた学校だったが、このころ、食糧難もあってか猫は目の付くところにはいなかったような気がする。

なので、猫がこれほど激しく鳴きかわすのも知らなかったので、はじめは何の声かさえ知らなかった。

翌日、30人採用の入学試験は寝不足もあり朝からだるいような気持ちで臨んだが受験者100人を超す中で50人以内に入ったようで、一次試験は何とか通過することができ、翌日の身体を主とする二次試験に臨むことができた。

 

昨夜はさすがに疲れて早寝をしてしまった。

自動車の運転疲れというより、神経を使わなかったと思っていたが葬儀疲れだったようである。

しかし、身体は疲れ、目はしょぼしょぼしていたのですぐに熟睡するかと思っていたが、これが意外と寝つきが悪かったうえ、隣で寝ていた連れも同じような気配で寝返りを打ってばかりいたので、朝の3時ころ、寝るのを明らめて、起きることにした。

おかげで、朝からだるさが募り一日中ぐうたらぐうたらで過ごす。

 

 

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2021年2月21日 (日)

大変時の年?

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朝 露天風呂に入って今か今かと太陽が昇るのを待った。

外にあるため内風呂より温度を高めにしてあるので、いつまでも入っているわけにはいかず、かといって風呂から外に出ると冷たい風が吹き通っていられない。

はいったり出たりをくり返しながら待つこと15分浅間山の右裾から顔を出した。

いつ見ても、日の出時というものは、一種神々しさを感じるものである。

 

一昨日、連れの叔父が亡くなったという知らせが入った。

家族葬でやるということであったが、その人の子供は一人っ子なので近い親類と言えば連れの兄弟しかいないうえ、四人兄弟の中で元気なのは我が家だけ、、、あとはみんな病気を抱えて身動きが取れないため出かけることにした。

天気予報や道路のライブカメラの結果ほとんど雪が無くて晴天続きだというので支度にかかったが、静岡に比べて気温がかなり低いというので礼服のほか防寒具や着替えを何種類も用意した結果、自動車の中はわやくそ状態にしての出発となった。

道路は乾いて氷が張った場所もなく順調に進行することができたが、かなり風が強く、スピードは控えめにしなければならなかった。

お通夜は自宅で行って、近所の人には来てもらったが、翌日の葬儀は火葬場の都合もあって、朝七時から支度をはじめ、出棺が午前7時45分と今まで経験したこともない時間から始まった。

そして、遺族夫婦と我々だけ四人とこれまた経験したことのない葬儀となった。

このほかず~っと付き添ってくれた菩提寺の和尚が言っていたのは、最近これが普通になってしまい、盛大な葬儀というものは昨年半ばから全然ないとのことであり、葬儀も和尚ひとりですべてを済ませるという、、、、、

この家の葬儀は約10年前に行ったことがあったが、その時は僧侶4人で行ったように覚えている。

少し前から少子化の影響で家族葬が増えてきていたことも相まって、コロナが収まっても家族葬は減ることが無いのではないだろうか。

2,020は生活習慣の中でも先の大戦で日本が負け大きく社会体制が変革した時以来の大変事の年として後世に残るのではないだろうかと思う。

 

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2021年2月18日 (木)

枝先が萌え

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今日は”雨水” 氷が解けて水になる日だという、それなのに今朝の寒さは外に置いたバケツの水の上に厚さ5ミリに満たない氷が張り、静岡のテレビはニュース番組で氷が張ったとか風花が舞い散ったなどと大きく報道され、雪国では屁でもないことに沸き立っている。

昼過ぎになって麻機遊水地周りを歩いてみると柳の枝先が薄っすらとながら萌黄色を帯びているのが見られ、畑のチューリップも紫がかった芽を出している。

明日から寒気も抜け次第に暖かくなるそうだから、季節もここでまた一歩前に進んでいくのだろうか。

 

向かいの山に月が出てひがでてひがでてまかっかか。

これは熊という感じを憶えるための歌であった。

このほかにもいまではブーイングを浴びるかも知れないが、努力の努は女のまたの力と覚えた。

しかし、数ある字の覚え方でほかの字については今のところ思いだせないのなぜだろう。

とにかく漢字というのはかなり難しく、点の一つで全然違ってしまう。

犬と太 氷と永など、、、これが難しかったので韓国ではハングルという字を編み出したのだが日本は江戸時代の識字率は当時の世界で一番だったといい、本家中国よりも漢字を知っているという教育熱心な国であった。

そしていま、その漢字を遊びに使うゲームにはまり、八十翁は毎日日にち漢字パズルのマス目を埋めているがこれって、、、、

 

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2021年2月17日 (水)

気あらし

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北海道西の海上に居座っている爆弾低気圧は今日も強い西風を吹かせている。

朝、日の出時刻はそれでもしんと静まり返っている時間があり、静岡ではめづらしい”気あらし現象”を起こしていたのは日本をすっぽり包んだ寒気のせいだったようだ。

 

 

思えば、昨年の今ごろは「パプリカの花」という歌がテレビで頻繁に紹介され、むかし三波春夫の歌で有名だった”東京五輪音頭”並みのオリンピック賛歌にしたい意図があったようにおもったのだが、、、、。

しかし、オリンピックが延長されると、この歌もどこかへ吹っ飛んでしまったのか聞くことが無くなった。

そして、今年流行しているらしい歌が、”うっせ~わ”であろう。

まだ歌詞のほうは覚えられないのだが「うっせ~ うっせ~ うっせ~わ」が印象的で面白い、パプリカの花が優等生なのに対して”うっせ~わ”はちょっと不良を気取っている向きが感じられる。

今日のテレビによると、オリンピック組織委員会の新会長選考委員会は橋本聖子氏に的を絞ったかのように速報を出していた。

新委員長になれば、前会長の遺志を継いでパプリカ的に行くのか”うっせ~わ”って放り上げるのか、、、、たぶん前者だろうけれど。

 

”気あらし”とは、気温が急激に低くなり、それについて行けなくなった水の温度との差で、水蒸気が発生して起きる現象なのだが、オリンピックを何が何でもやりたい人とそれほどでもない国民との温度差のように見えて仕方がないのはじぶんだけかな???

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2021年2月16日 (火)

砂ぼこり

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昨日今日と終日強い風が吹きまくった。

北海道まで移動した低気圧は昨日より50hPa低下して台風でも一級に相当する945hPaまで低下し、風速も40mが予想されるという。

そんななか、午後になって近所を散歩したが、遊水地の工事現場では土埃りというより砂ぼこりと言った感じの粉塵が舞い上がり、30mは離れた場所から見ていた自分の顔にも細かい砂粒が当たるのを感じた。

重機で鉄板を持ち上げる作業をしていたが、前も見えないような状況に作業員が難儀しているのが見て取れた。

 

「あの人形はどうするの?」って聞かれた。

先日、友人の引っ越しに際して、「次の家に入る前に人形を放り込むのが飛騨のしきたりだよ」って言ったので、彼はそのようにしたそうだ。

飛騨では可なり古いしきたりが自分の若いころまで残っていて、新居に入る際形代をに悪例を移すと人間の災厄が防げるという話しがあった。

形代の起源は、縄文時代の土偶にもみられ、人形はその起源であるとのことであった。

そして、人形に乗り移った悪霊を川や海に流す流し雛としてけがれを捨てることにした。

さて、どうする?って言われると、、、、自分の時は川に流したが、今の時代川や海に流すのはちょっと無理かな、、、、、と言ってごみと一緒というのもなあ~

やはりお宮さんにもっていってお焚き上げという方法が一番かな、、、、

 

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2021年2月15日 (月)

激しい降りで

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昨夜来から本格的に降り出した雨は午後まで降り続いたが、十時過ぎが一番激しかった。

そんななか、ホームセンターまででかけ、広い売り場を30分ばかり散歩代わりに二周して帰ってきた。

新型コロナのせいばかりではないけれど、近頃身体を動かすのがずいぶんと減ってきた。

食事制限はしていないのだが、体重は最盛期に比べて7kg減っては来ているのに、右ひざに違和感が出てきて、階段の上り下りに痛くなってきたのはなにが原因なのか。

 

ガースーの時もそうだったが今回の森オリンピック組織委員長に対する批判で”可哀そう”と同情する人、、、特に若者が多いと聞いた。

日本には昔から「判官びいき」というのがあって、弱くなった人にたいして、その善悪を別にして同情を寄せる風趣がある。

自分が勤めた鉱山では、戦時中坑内仕事に朝鮮から来た人たちがいたが、戦争が終わった後も残った人たちが一番外れの水上洞社宅と言われる場所に何家族もいた。

朝鮮から来た人々が、かためられたのは風習の違いもあったが、根本的に日本人と交じり合えなかったというのもあったからであろう。(どちらかというと日本人側に、、)

その当時聞いた話なので本当かどうかわからないが、「朝鮮人の喧嘩は理屈抜きに強いものにみんなが味方をするんぜ」「そんなもんでいざ喧嘩になると大きな声で怒鳴りあい、取っ組み合いで手が付けられなくなるんや」といったものだった。

そのころ、日本人の間ではあまり食べられなかったニンニクを大量に使った料理や牛豚の内臓を食べる人たちに対する恐れもあったに違いない。

「水に落ちた犬はたたけ」とか「勝ち馬にのる」というのはことわざにもあるが、「義を見てせざるは勇なきなり」が珍重された当時は「弱いものに味方をする」のが武士道と心得た世相だったのだが、またその時代に戻ったのか????

 

 

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2021年2月14日 (日)

花に頭をうずめて

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菜の花に頭を丸ごと突っ込んで蜜吸いに余念のないミツバチ。

足には”お持ち帰り”の弁当をいっぱい付けており、帰りが辛かろうとみていたが、自慢げな顔(?)をして空高く舞い上がっていった。

どこに巣箱があるのかわからないが、女王様に献上品を誇らしげに持って帰るのが生きがいなんだろうな。

 

ゆうべ、十一時を回ったので寝床に入ったその時だった、なんだかおかしいなと感じる程度の小さな横揺れを感じた、「気のせいかな?」と思っているうちに横揺れが次第に大きくなりどこで起きたのかわからないが大きな地震だと直感した。

しかし、いつもだと感じる横揺れの前に来るどんっと突き上げるP波感じなかったので「たぶん近くではないな」思いつつテレビを入れると福島沖の海底で起きたと報じていた。

今年は東北地震から10年ほぼ同じところで起きたというのは、10年前のあの地震の余震ということになるのだろうか。

身近で起きたものではないという気持ちから寝床に戻ったが、しばらくは寝付かれなかった。

今朝になって激しい地震だったとテレビは言っていたが、人的にはけが人が出た程度のほか、電気ガスなどのライフラインの被害も前の地震の比べ物にならないほどだったようだ、

それにしても、人間の10年と地球の10年は天と地ほどの開きがあることを再認識させられて地震であった。

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2021年2月13日 (土)

水ぬるむ

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啓蟄にはまだ間があるのだがここ数日の気温が影響してか麻機沼の水もぬるんだようで、ザリガニが穴から出て来たようだった。

しかしこのザリガニ、悪いことに近くにいたカラスに見つかって哀れ一巻の終わりと相成る。

交通標語に「飛び出すな 死んだらお終い 結婚できない」というのがあったが、これがそっくりそのまま当てはまりそうで、、、、、。

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2021年2月12日 (金)

ボーリング

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今日は旧暦の元旦。中国ではこの日を春節と言い民族大移動と言われるほど人が動くそうだ。

しかし、今年は新型ウイルスで政府が厳しく制限したため、様変わりの様子。

昨年の今ごろは、中国の惨状をテレビなど報道を通じて知られていたはずなのに、中国からの客をあてにして旅行業はバカ騒ぎをしていたし、政府も何の手も打たずその後の感染拡大に至ったが、いまだにその無策が続いている。

 

以前「何を仕事にしていた?」って聞かれた時に「ボーリングを中心にその周りの仕事をしていたよ」って答えたら「すごい プロですか」って言われ「プロっていえばそれで飯を食っていたのだからプロでしょうな」って答えた。

その後の話しの流れから、玉ころがしのボウリングと勘違いしていたことがわかって大笑いしたことがある。

ボーリングは英語で書くとBORINGであり、玉ころがしはBOWLINGなのだがカタカナに直すと日本人には区別がつかないうえ、われわれのボーリングは世間的にはあまり人目につかない仕事だった。

我々のボーリングは日本語に直訳すると”円筒形の孔を穿つ”ということで機械工作でも同じ言葉が使われているが、鑿を回転させて孔を穿ち、地中深いところの岩石を採取したり、深く掘った孔に鉄管を入れて井戸や温泉として利用することなどであった。

そのほか、鋼管を入れてセメントで固め地滑りを止める工事など現場作業で終始した。

同じボーリングでも分業化した石油の掘削はしたことが無いが、最大で直径500ミリの鑿を回したのと最深1,000m近くを掘削したことがあるが、すべて自分の才覚で機械を動かしたのは仕事冥利に尽きた感がする。

上の写真は、今から三十数年前の自分であるが、現状は胴回りに脂が取り巻き頭は真っ白とまではいかなくてもかなり白くなり面影はない。

 

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2021年2月11日 (木)

憎さも憎し

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”碁がたきは 憎さも憎し なつかしい”と言われるように、将棋仲間も同じようなものである。

今日も今日とてあたたかな日差しの中で縁台将棋ならぬ”田んぼ田中”の将棋に夢中になっているのは、よほど好敵手なんだろう。

この場所は以前から暇人がたむろしているとこだが、この時節柄たむろするのもはばかれるようで、将棋を指しているのは久しぶりに見る光景であった。

コロナ警察を警戒してか無観客試合ながらふたりともマスクをして     神妙ですね。

 

森オリンピック組織委員長が周りからの批判を受けて、ようやくやめる決心をしたそうだ。

先日の記者会見はまことにお粗末の限りであり、自分と同年代でありながら、言っていい場所と立場を理解できないで、むかしの考え方で接してしまったのは、まさしく老害   いやボケに通じるところがある、

もともと失言癖の有るこの人に組織委員長なる重職を与えたのがもんだいであったのだが、この暴言問題をさらに膨らませてしまったのは自民党の二階幹事長である。

連れは、二階氏と往年の名幹事長だった二階堂氏を間違えて口にするが、後者はまことに系統だった話をする切れ者だったように思える。

政治家の資質もかなり低くなったようだが、こんな政治家を作るのは我々選挙人の資質も下がってしまったことにある。

ともあれ、森辞任を思いとどまらせようと画策した連中も組織委員会から排除しなければ、このままずるずるといくしかないのだが、、、、、、、

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2021年2月10日 (水)

雲の通い路

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午後散歩に行った先ぼ空で見かけた並行に走る白と青の平行線。

白い雲は上空を飛んだジェット旅客機の飛行機雲であることが分かったが、それと並行に並んでいる青い線は何だろうと考えた。

結論としては、青い線はその前に飛んだ飛行機の飛行機雲が拡散して広がった雲で、そのあと同じルートをたどって飛んだ次の飛行機が切り裂いた部分が青い空間になり、白い直線はその飛行機の飛行機雲ではないかと思うに至った。

もしそうなら、旅客機が飛ぶ高さ一万mほどの上空は意外と風が吹いていないということになる。

その地にいた20分ほどの間に雲は形を崩さずに西の方にゆっくりと動いている。

百人一首のなかに”天つ風 雲の通い路吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめん”というのがあり、意味としては、空吹く風よ、雲の通路を吹き閉ざしてくれ 舞い終わって帰っていく天女たちの姿を もうすこしここに留めておきたいので」といった意味だと聞いた。

まさに、この青い通路は天女たちの帰り道だとしたら、どの辺にいるのだろうか。

年老いた目にはよくわからなかけれど、、、、、。 

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2021年2月 9日 (火)

今度は潜水艦の負け

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相変わらず朝の寒さは厳しいものがあるが十時を過ぎるころにはぽかぽかと暖かくなる。

そんな中、山の畑の階段の途中にある河津桜はほぼ八分咲きと言った感じになり、ここだけが”春爛漫”という字が当てはまりそうな雰囲気になってきた。

早咲きの河津桜が本家河津町のサクラより早く咲き出したのは、南向き斜面に加えてそばの尾根が風を遮ってくれているのが大きい。

そして、その後ろのススキは穂を飛ばすことを忘れたかのように、まだ真っ白な綿毛をゆ~らゆ~らとしならせて初冬と初夏を同居させている。

 

昨日テレビを見ていたら自衛隊の潜水艦が浮上中に大型の貨物船にぶつかり損傷を起こしたそうだ。

潜水艦が浮上するとき水上を航行している船とぶつかるのはどのくらいあるのか知らないが、今からちょうど20年前にハワイで急浮上した潜水艦が日本の実習生を載せた”愛媛丸”を沈め数多くの水産高校生が亡くなった事故があった。

そのほかにも1,988年自衛隊の”なだしお”が交通量の多い浦賀水道で釣り船を浮上中にぶっつけて沈没させ、乗組員が救助もせず呆然と立っていたのが印象的に覚えている。

今回の事故は、ぶっつけた相手が大型船だったのでほとんど被害が出なかったので潜水艦側の負けだったが、どうしてこのように同じ事故が何回も起きるのだろうか。

先日テレビで潜水艦にも女性乗組員が誕生したという画面の解説の中に、潜水艦に乗るには特に厳しい訓練がありそれに合格した人でないと、、、というのがあったが、そんな乗組員でもこんな事故を教訓にしていなかったとしたら、「あんまり大したもんではない」というのが感想だ。

潜水艦を扱った映画がいくつかあるが、よく覚えているのは昭和32年ころの「眼下の敵」というのがあり、第二次世界大戦の折、アメリカ駆逐艦とドイツ潜水艦の攻防であった。

駆逐艦長がソナーの反応と経験で潜水艦の位置を考え爆雷を投下するのに対して、潜水艦のほうもあらゆる手を使って逃げ回るというもので、アメリカ映画ながらプロパガンダ的な作りにならず、最後には浮上し投降した潜水艦の艦長を丁重に扱うという両軍を対等に扱った映画だったように覚えている。

それから半世紀をとっくに過ぎているのに潜水艦が海面の障害物を調べる機械がまだできていないのだろうか。そんなはず無いと思うのだが、、、、

ユーチューブを見ていると軍事オタクかおバカさんかはわからないが、日本の潜水艦は世界の中でも一級の能力があり素晴らしいんだ。というような投稿が多かったが、、、、。

 

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2021年2月 8日 (月)

事始め

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カレンダーを見ていたら、今日は”事始めの”日だと言い、農業はこの日を基準にしたとのことであった。

この日が基準と言ったって雪深いところはどうしようもない。

変わって静岡あたりでは稲刈りを終えてしばらく休ませていた田んぼにトラクターを入れて土をかき混ぜる作業はいつということが無くできる。

自分が耕している畑も、鍬だけで耕すのにはちと骨の折れる広さだが、大根を抜いた後が三坪ほどあったので鍬を入れてみた。

先日の雨で、少し湿り気が強かったがその分鍬が入りやすく思ったより簡単に作業を済ませ、石灰を撒いて帰ってきた。

耕して思うのは。年々身体が衰えているのは分かっているつもりだったが、コロナによる運動不足は予想よりきつく、夜になって風呂に入ったとき腰に来ているのがわかるほどつらかった。

今年はいつになったら目星が付くのだろうか、テレビによればこらえ性のない若者が街中で飲酒騒ぎを起こしているとのことだったが、、、、、、

 

 

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2021年2月 6日 (土)

花を添える

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気温は20度越えで一気に春めいてきた。

寒桜の小粒な花も気温に応えるかのように花をさらに開かせ、雪で真っ白になった富士に文字通り花をそえている。

これから三寒四温の季節になるのだから、このまま一気に暖かくなるわけではないと思いつつもこのまま長く続くことを祈っている。

 

ゴートゥ―トラベルを中止し緊急事態宣言を出した効果があってコロナ患者も急速に減ってきた。

全国的に見ても、最高値を出したころに比べると半減しているのだが、それでも急拡大した12月のころの水準である。

しかし、死者は年寄りを中心に毎日かなりの数が亡くなっている。

数字の上では10人とか100人とかひとくくりにされているが、その一人一人に歴史があり、亡くなるまでの苦しみがあったはずである。

その人々に対する政治家の反応のにぶさ、「批判より提言を」というが提言に貸す耳を持たない人に何言っても無駄なような気がする。

蓮舫議員の質問に辟易している首相を見て「可哀そうに」という声があるそうだが、兄頼朝に迫害される義経をかばう「判官びいき」とはちと違うことをわきまえてほしいものである。

こんなこと言っても「判官びいき」ってなに?と言われる人には    分らんだろうけど。

 

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2021年2月 5日 (金)

庭鳥

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我が家の庭鳥が今日も来た。

鶏ではない、最近朝八時くらいからしばらくの間居つづけるツグミである。

朝の寒さはかなりのものなのか、秋北国から来た時に比べると、羽根を膨らませてずんぐりむっくりで来るのだが、それがまたかわいい。

庭に来る目的は、万両の赤い実のようだが、ヒヨドリと違ってむちゃくちゃな食べ方をしない。

どんなものが落ちているか分からないが、庭の東側から地面を探りながら窓の下を横断し、一番西側の地面近くに垂れ下がっている万両の実をしばらく眺めてから背伸びしてついばむが二つ三つでもうよいようで、その後日差しの有るところで体が温まるまでじっとたたずんでいる。

このようにして毎日やってくると愛着がわき、八時過ぎくらいになると「まだ来ていないか」と二人で心待ちしている。

野生の鳥だから、縁側の戸を開ければすぐに飛び立ってしまうので、ガラス戸越しに写すとどうしても不鮮明になるが、、、、、

 

戦後まもなく、焼き鳥と言えばこのツグミのことであった。

日本海を渡って飛騨の山中に来る頃はまだ何十 何百と群れを成して飛んできたので、尾根筋にカスミ網を仕掛けてそれこそ一網打尽と言ったような獲りかたをしたものだが、すでにこのころカスミ網で獲る狩猟は禁止されており、時折警察から注意があり山を巡検していると聞いたものだった。

それでも、なかなか違法のカスミ網がなくならなかったのは、スズメなど害鳥駆除ようとして、カスミ網自体は簡単に買えたからであろう。

自分もこのころ中学生だったがカスミ網を買ってヤマガラなどを獲るついでに、何十羽か捕まえて家で食べた覚えがある。

したがって、いまここにいるツグミの先祖の親戚にあたるツグミを食べたのかもしれないのだが、、、、、、

そう思ってみると、「あんときゃゴメンよ」って謝らなきゃならないような気がして

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2021年2月 4日 (木)

見事な道具

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一昨日、友達から鋸をもらってくれないかという電話が来た。

何でもかなり良いものらしいので簡単に貰うと返事をして出かけてみると、ノコギリのほかにこんなものがあると言って見せてくれた鑿のすばらしさに目をむいた。

これはとても素人が使えるものではないことがわかる代物ばかりである。

友は古道具屋にもって行かせようとしたらしいが、あまり物の価値がわからない人のようだったので、自分のところにお鉢が回ってきたとのことだった。

しかし、自分のところにおいても錆びさせるのがおちだと思ったので、今度ふるさとに帰ったら従兄弟の子供の大工に見せ、場合に寄ったらそちらで使ってみてくれた方が道具冥利に尽きるのではないかと思い電話してみた。

飛騨の大工は、いまでも飛騨の匠を誇りに思い、よい道具には目のない連中がいるし、六十代に入って円熟味を増してきた彼もその一員であるので、意気揚々と持っていける日を楽しみにしている。

 

森元総理、自分とそんなに年が違わないのに、自分から見ても相当に時代遅れである。

長い国会議員生活のあとみんなに持ち上げられてきた結果わけのわからない老害爺さんになってしまったようだ。

テレビのコメンテーターは女性蔑視の発言を重大視していたが、自分はそれよりも何よりも発言の中に「誰とは言えないけど、誰かが言っていた」と必ず逃げ道を作っていたことにある。

総理になったときも密室で決めたのだが任期はなかったのは必ず人のせいにして逃げ回ったことにある。

まわりをイエスマンで固め、会議は鶴の一声で決まれば物三分で終わるのに、、、、、

  

古来 男は黙って 忖度する!

 

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2021年2月 3日 (水)

立春大吉

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今日は立春である、

玄関に菩提寺から送られてきた”立春大吉”のお札を張り春を迎える。

空は朗らかに晴れ、風の寒さもあまり気にならなかったので山の畑に向かいジャガイモを植えてきた。

暖国とはいえ静岡では「八十八夜の別れ霜」という言葉があるように、今日から数えて八十八日間は霜が降りる可能性が多分にある。

したがって、霜に弱いジャガイモの新芽を守る対策が必要になってくる。

 

上の写真、紅白の球が入り乱れ何とも明るさを感じる絵柄となったので、めでたい春を迎える喜びによかろうと思い掲載してみたが、元は水玉の付いた南天の実を焦点をぼかしてみただけである。

 

は~るよ来い は~やく来い

 コロナも収まって おんもに出たいと泣いている

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2021年2月 2日 (火)

福は内 鬼は外

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山の畑も登ってくる人がそれぞれ身体の調子が悪くなり、登ってくる人が少なくなり、二~三年までの賑わいが途絶えがちになってしまった。

それでも、いつ何時戻ってくるかもしれないので、ベンチを整え 草取りや畑の手入れをこまめにしている。

人が途絶えがちの場所だが自然はおかまいなし、見上げる蜜柑の木のすぐ上の咲く小梅の木は藪の中にあっても気にすることもないようで花をびっしりと咲かせている。

匂い起こせよ 梅の花、主なしとて、、、、、、

今日静岡の私立高校は入学試験日とか、学問の神さまに願掛けしたのだろうか。

 

今日は、節分。例年なら各寺院や神社でタレントを呼んで”福は内 鬼は外”と豆まきで大騒ぎしているのだが、「時節柄」という言葉に弱くて様変わりしているそうだ。

一方、自分はというと先日市の身体検査で二本採取した検便の一本に血液反応があったというのでかかりつけ医は、「大腸を調べましょう。 前回は八年前なので、、、」と口説く。

もう年だからどうでもいいんだけど、、、というと「せっかくの検査結果を無駄にするこた~ないでしょう」といわれ今朝がたから下剤を呑み午後内視鏡検査を行った。

しばらくぶりの絶食と下剤は意外と体に堪え、普段の散歩より少ない歩数ながらふらふらと歩いて行った。

結果、直径3ミリほどのポリープ五個を取り検査に出すので判明は二週間後以降に来てくださいとのこと、出返ってきた。

節分にちなんだわけではないと思うがこれぞまさに

  福は内! 鬼は外!    ってことになればいいのだが。

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2021年2月 1日 (月)

とりとめもなく”チョウハイ”

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お茶畑の向こうにお化粧の雪が吹き飛ばされてまだらになった富士山がぼんやりと見える。

そろそろ春の兆しの黄砂が舞っているんだろうか、これからの時期茶畑のなかに立ち並んだ防霜フアンが活躍する日が近いことを示している。

そのむかし、春の芽吹きの時に霜が降りると新芽がだめになってしまうため、畠の周りに自動車のタイヤを配置して降りそうな気配を感じると火をつけ煙を茶畑の上空に煙幕のように張ったものだが、現在ではこの防霜フアンが自動的に回るようになっているとのことで、農家もかなり楽になったそうだ。

 

昨日の記事に前平十字路様からのコメントに”チョウハイ”という懐かしい言葉のコメントがあった。

かなり長くなりそうなので、こちらのほうで自分が聞いた範囲のことを書かせてもらうことにした。

チョウハイは漢字で朝拝と書くらしい。

朝拝とは、元日の朝大宮人が天皇に新年の賀詞を寿ぐために参集することとなっているが、これが嫁の里帰りとどうなっているのかしっかりしたことはわからないそうだ。

ただ、チョウハイは主に北陸地方、特に富山のほうで使われた言葉で、飛騨の嫁さんが高山のほうに行く場合は使わなかったのではないかとおもっている。

自分が生まれ育った東茂住や大津山は富山県の人が多かったのでよく聞いた言葉だが、「富山から嫁さんをもらうと大変やぞ!」というのをよく聞いた。

その一例として、大みそかが近づくころになると大きなブリを一匹嫁さんの家にもっていかなくてはならなかったそうだ。

持っていくと、嫁さんの家では三枚におろしてその一枚を返礼として返してくれるほか何かしらのものを一緒に渡してくれるそうだが、ブリの値段がかなり高額なので、貧乏人の飛騨人には、、、とか

そのほか、盆の法事や子供の誕生日など何かと散財がおおきいという。

そして、東茂住あたりから国境の猪谷までは6kmくらいと近かったので足の丈夫な人は庵谷峠を越えて笹津や八尾くらいまで一日で歩いたそうだが、船津やその先の栃洞あたりまで嫁に行った人は、鉱山の軌道ができるまで一日では歩けなかったそうで、茂住の長田旅館や金山旅館にときたま宿をとったほか、猪谷の宿まで足を延ばし、あとは汽車に乗って行けたのはお金に余裕のある嫁さんだったようだ。

なにしろ、チョウハイで帰る嫁さんは嫁ぎ先の人になっているので、今のようにただ「ただいま~」なんて気軽には行くことができないのでそれ相応の支度と土産をかついで向かったと聞いている。

ちなみに朝拝と里帰り関係は、帰った嫁さんは婿の家の代表であり、生家とはいえその家の主人には礼を尽くさねばということからではないかというが、多分帰れば婿の家の悪口や愚痴で盛り上がっているのが常ではなかろうか。

とりとめもなく書いてしまったが、こんなところでどうでしょう。前平十字路さま

 

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