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2021年3月30日 (火)

フレイルだって

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春の季語の一つに朧月夜ってのがあったと思うが、今日の天気は黄砂の影響で太陽が朧にかすんでいた。

午前中 山の畑から2kmほどの県庁を初めてとする市の中心部の高い建物がかすんで見えたのだが、時間を追うごとに黄砂は激しくなったと見え、夕日が山の端に入るころは眩しさもなくなってしまい朧月夜状態になってしまった。

昨日の天気予報はこの黄砂を言っていたので、そろそろ冬布団を日光に当てようと思っていたのをはじめ洗濯も「お休みデー」にして少しぬかるんでいた畠に入り、里芋を植え付けてきた。

 

昨日の夕刊の一面見出しは「コロナ虚弱」高齢者注意というものであった。

大事件がなかったことでこんな見出しが掲げられたのはよいのだが、老人が要介護の入り口になるフレイルという状態になる人が多くなってきているようだ。

老人が自宅に引きこもり、人との交流や運動をしないことで一人暮らしやストレスに起因する鬱などから、体重の減少や疲労感、筋力や歩行速度の低下などがでてくるという。

先日来、足の故障で二度もマッサージ師の厄介になったのは、やはり運動不足から来たものようだとすると、その後の疲れやすくなったり、足が重いと思うのも歳のせいばかりでなくいわゆるフレイルだったのだろうか。

 

連れの入院も今日で九日、日ごろ口喧嘩ばかりしていた相手も、病院でコロナ患者が出てから面会もできていない中でますますフレイルの危険性は増してきている。

ただ、曲がりなりにもマッサージ店で習った筋力アップのトレーニングと裏と山にある畑に行って暇つぶしをし、三食のおかずつくりでこの危機を乗り越えていくことにしている。

そのうち、連れも退院すれば、口喧嘩を楽しんでいこうかな????????

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2021年3月29日 (月)

裏もあれば

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暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、今日は今年初めての夏日になった。

感じてはいなかったものの、身体はまだ暑さには対応できていなかったようで、肌シャツ一枚になっても厚いくらいの陽気でこれから先こんな日がどんだけ続くのかと思うと嫌になってしまった。

畑のエンドウも二月末ころから花が咲いていたが虫がいないので受粉ができず無駄花になっていたがここ数日から採っても採ってももという状態になってきた。

虫が増えれば、キャベツなどの春野菜は幼虫に食われぼろぼろになるが受粉を待っている野菜には欠かせない。

裏もあれば表もある。

 

夏季オリンピックのための聖火リレーがはじまり、批判的だった報道も中継を出して盛り上げにかかっている。

その報道を受けてか、見物する衆が増えて三密状態を呈しているという。

元来がネジべ~の自分としてはあんなものがそんなにみたいのか不思議でならない。

アンケートではオリンピック開催には批判的な意見がかなりあると言っていたが、いざ始まるとそうでもないのかな、、、、、、

昨日行われた静岡市議会議員の選挙では自民党が過半数に近い当選者を得、公明党は立てた候補すべてが当選した。

昨年、清水市役所や桜が丘病院を津波浸水区域に移転を反対する署名が五万筆を超え住民投票の規定を大幅に超えての反対が集まったが、市議会ではこの要請を自民公明で否決し、市民の意向を無視する態度に出た。

しかし、選挙になると忘れたかのようにこれら議員が当選してしまった。

完全になめられている。いかに大衆というものは前のことを簡単に忘れてしまうものだろうか。

「智に働けば角が立ち 情に掉させば流される 意地を通せば窮屈だ とかくこの人の世は住みにくい」と夏目漱石は喝破したが、情に厚いは清水港の次郎長さん由来かな。

 

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2021年3月28日 (日)

春爛漫の

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あ毛尾の花も咲きだして春真っ盛り。

右に二本突き出しているのが雌花で左側に固まって咲いているのが雄花である。

こんなにたくさんの花を咲かせ虫を誘っているのだが、なぜか実のつけようが少ない無駄花である。

ほかの花のように一凛の花の中に雄蕊雌蕊が同居していないのが実の少ない原因だとすれば、人間も同様なのかもしれない。

日本の人口が少なくなっているのは、やはりj代の流れか、、、、、、、

 

大相撲春場所は元大関の照ノ富士の優勝でおわった。

無声映画の弁士が曰く「春や春 春爛漫のローマンス」って所である。

最近の大相撲は、横綱の休場が多く、それに次ぐ大関陣がふがいないというかと飛び抜けた技量がないというか、しばしば幕尻の力士が優勝するなど、面白いと言ったらそうなのかもしれないが、長年大相撲を見てきた者にとってはつまらなくなってきた。

そのため、十両から上の相撲は見なくなった。

ただ、今日の取り組みを見ていて照ノ富士の安定感から、彼が次の横綱候補と言っていいのではないかと思うのだが、どの力士も大関になったとたんカド番になるまで気力がなくなるのは、トップに立つよりナンバー2のほうが気楽と考えているのではないかと勘繰ってしまう。

それにしても、大関から序二段まで陥落した力士が返り咲くというのは作られた芝居を見ているようで実際に起きたこととは思えないほど感動している。

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2021年3月26日 (金)

土手のスカンポ

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土手のスカンポジャワ更紗 

       昼は蛍がねんねする

僕ら小学尋常科 今朝も通ってまた戻る

 

農業用水路のわきにえんじ色のイタドリの若い草が立ち上がっていた。

個のイタドリの直径2㎝くらいの太い幹を採ってきて皮をむいてそのまま食べると酸っぱい味がして美味かったのと、手折る時ポンと音がするのが面白かったがシュウ酸が強いのでせいぜいが一本どまりだった。

また、大量にとれた時はつぶして灰汁抜きを、煮しめにして食べたこともあるがここしばらくは太いのに出会わないこともあってご無沙汰をしている。

 

”スカンポの花の咲くころ”というこの歌は小さいころおぼえた歌だが、少額尋常科はいかにも古臭く、戦後では小学三年生だったかな?

そして、長らくこのスカンポなる草がわからなかった。

スカンポについてはイタドリ説とスイバ説があり地方によって違う草を意味しているが、どちらも食べると酸っぱいことは同じである。

スカンポなる言葉も、日本語離れしていることから、語源を探してみたがイタドリは酸模、スイバは酸葉と書く。

そして、この歌の題名が”スカンポの花の咲くころ”となれば、イタドリ花は夏に咲き、スイバは今咲き始めている。

そして、ジャワ更紗という意味から見ると、若緑の地に赤い模様が点在するとみるとイタドリのほうが有利ではなかろうか。

結局、島崎藤村の「椰子の実」同様、北原白秋も実物を知らないで書いた歌だったのだろうか。

 

夏が来た来た ドレミフヮソ

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2021年3月25日 (木)

LINEなら

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鈴蘭水仙の花がいま盛りとばかり咲きそろっている。

名前の通り鈴蘭によく似た下向きに咲いた葉のビラの先端にうす緑の斑点が特徴的な花である。

そばに咲くカラスノエンドウの紫の花とも相性がよく花の白さを際立てている。

 

ユーザの個人情報が中国の関連企業で閲覧できることが発覚してLINEが大慌てで会見した。

薬や保険などと同様「海外企業がみることがある」という重大事項は小さく気をつけて見なければ分からないような字で書いてあったそうだが、海外企業というのが「企業秘密も報告せよ」という中国だったことは最低であり、また韓国のサーバーには写真や健康保険などのデーターが保管されていたなど、およそ設けさえすればと、国際感覚にマッチしない経営の仕方である。

そのLINEが県立総合病院で使ってもよいと言われ、連れはそれを使って娘に連絡を入れ、娘から自分の家に電話が来るという変な関係になっている。

ことをただせば、スマホでない携帯電話を自分だけが持っているため仲間外れにされているのである。

それにしても、普通の通話やメールがダメで、ラインだけがよいのか聞かなかったのでわからない。

とにかく時代についていけない老人は、自分だけでなく政界にも「マスクはいつまで着けるの??」と聞く財務大臣や国会議員なら大勢で飲み会をやっていいようなこと言う自民党幹事長など老害を気付いていない人たちが多すぎる。

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2021年3月24日 (水)

歳は取りたくね~な~

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昨年秋にもらった極楽鳥花が開きだしてから一ヶ月ほどかかってようやくここまで開いた。

太陽の光を受けてオレンジ色の部分がキラキラと光っていたので、外に出て太陽の光を花の真ん中に来るよう逆光で写してみた。

あでやかさから極楽鳥を模しているように見えるところから名づけられたそうだが、日本にだけ通用する名前だそうだ。

この花を始めてみたのが、オリンピックの時だったので、調べてみると1,984年ロスアンジェルスの大会の時だった。

上位入賞の選手が誇らかに振りかざしているのを見て不思議な花だと思って興味を持ったが、寒さに弱い鼻だとかで、次に見たのは麻機沼近くの温室の中で大きな株に分けられて植えられていた。

そして、この花も日本の気候に慣れたのか、昨年もらって以来軒下に放りっぱなしでも花を咲かせることができるようになった。

 

一昨日の夜になって急に呼吸が苦しくなった連れを救急車に乗せ県立総合病院に運び入れたのが、十時半だった。

入って30分くらいしたとき看護師があわただしく控室に来て、緊急事態で電気ショックをかけるかもしれないとのこと、そんなに重体だったのか、床に就くまで何の症状もなかったのに、もしものことを考えると人間の命というものはなんてはかないものかと不思議な気さえした。

それから二時間余うんともすんとも連絡がなかったので、最悪は過ぎたのだなと思ったが長い長い時間だった。

ようやく、医者が説明に来てくれ病因は心不全とのことだったが、病院に来るまで苦しがったので救急隊が酸素マスクを着けて楽にしようとしたのがさらに悪化させたのではとのことだった。

なんでも、肺にたまった二酸化炭素の行き先がなくなりさらに肺を圧迫したようで、寝た姿勢でこれをすると時には重症化することがあり、病院がすぐそばだったこともあってその時間が短かったからよかったとの話だった。

そんなことがあるなんて知らなかった、百戦錬磨の救急隊員にこういう事例が伝わっていないのだろうか。

病院までがもし遠かった場合は呼吸困難で、、、、、

 

そんなこんなで、救急病棟に入院までこぎつけ家に帰ったのが三時過ぎ、二時間ほど寝て入院の支度、病院からは事細かにあれもこれもと書かれてた必儒品をそろえトランクに詰めこみ病院に向かったのが九時過ぎ、コロナ禍で病室に入る制限が厳しい中、入院当日ということで忘れ物だなんだと五回も入室させてくれた看護師の方にお礼を言って家に帰ったのが午後になってからだった。

そんなこんなで”わやくそ”な一日が過ぎたが、今日になって疲れがぐっと出てきた。

年を取ると疲れは遅くなるというが、ひょっとして明日のほうが、、、、、

なんて思うとつくづく 歳は取りたくね~な~~

 

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2021年3月22日 (月)

当てごと

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昨日の激しい雨風で水に浸かり倒れてしまったかと思っていたが、「なにがあったの?」とでも言いたげに蓮華の花はすまし顔でたっていた。

庭の桜桃の花なんかはかなり花びらを散らしてしまったのと対照的に、、、

高いところの花の方が風当たりが強いのは、人間もそうかもしれないなんて感じた次第。

 

何がなんでもオリンピックはやると関係者は気張る。

調査会社によって違うが、NHKでは中止論は39% 延期論は38%に対して予定通りやりたい人は20%に満たないとでていたが、組織委員会や政府、都の関係者からは何が何でもという意見しか聞かれない。

そして先日、決まったのが外国からの観客は入れないということでやることになったそうだ。

現在全国の国内のコロナ患者は一日1,000人余程度にまで減ったが、首都圏の状況などから見ると第四波は七月に向けて避けられないとみるしかない。

そんな時に、選手が来れるのか、また5万人とも10万人ともいえる選手や関係者、報道陣が変異株を持ち込んで拍車をかけることにならないのか、、、、、

海外からの客を当て込んで拡充し、客室を増やしたホテルなどの嘆き節ばかり強調しているが、オリンピックが済んだ後感染拡大を招いたとしたら目も当てられない状況になるかもしれない。

 

むかしのことわざに 当て事とふんどしは向こうから外れる  ってね。

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2021年3月21日 (日)

春の大雨

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朝方から降っていた雨は昼過ぎから一段と激しくなり、午後三時ころには大雨警報が出るくらいになった。

一昨日と昨日はこの雨を予測して耕運機で畑を畝っておいた。

苦土石灰も蒔いておいたので、土の中にはまんべんなくいきわたっていることと思う。

春の嵐も伴っての雨だったが、例年だとこれほどの雨になると自動車を避難させることも考えなくてはならないのだが、先日来できた遊水地が効果を発揮しているようで、裏の川の水は上がらない。

 

昨日から始まった市議会議員の選挙戦。

今日はさっそく二人の候補者と運動員から電話での要請が来た。

「応援していますからがんばってください」とは言ったものの、自分の投票権は一票である。

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2021年3月20日 (土)

彼岸の中日に

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今日は彼岸の中日。ここしばらく墓参りには行っていない。

以前から、雪の関係もあって彼岸だからと言っていくことはなかったが、それでも、年に三回くらいは行っていたのだが、一昨年の五月を最後に行けていない。

昨年の八月は長女の七回忌だったにもかかわらずである。

前にも書いたが故郷飛騨市ではまだコロナ感染者が五人ほどしか出ていない。

合併前の神岡町に至ってはどうなのかわからないが、ほとんどゼロに近い数字しか出ていないと思うので、なかなか帰りづらい面がある。

行っても泥棒みたいにこそこそと歩くのはちょっといただけないのような気がする。

何とか、コロナ禍も収まってほしいものだが、首都圏の緊急事態宣言もこれといった対策もしないものだから勢いを盛り返し第四波は遅からずやってくることは間違いないだろうし、ワクチンもいつのことやらわからないうえ、本当に効き目があるのかどうか、アメリカやブラジルの例を見ると分らない。

今年もこのまま過ぎていくようであれば、どこかで墓掃除を兼ねていくしかないのだが、、、、、

 

 

 

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2021年3月19日 (金)

遠めの山ざくら

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安倍川を挟んだ向こう岸に一本の桜が咲いていた。

今の時期にこれほど咲かせているのは山桜なのだと思うが、周りの杉の木ばやしを圧倒するほどの勢いからみるとよほどの大木に違いない。

そばまで行ってみたいが、川を歩いて渡るしかない場所のようなので遠目の桜とするしかない。

”夜目遠目 傘のうち”というが、遠くから黄砂か霞ですこしぼやけているのがさらに想像を掻き立てる。

 

今日の午前中は肝臓を中心としたエコーの検査を行った。

なかなか症状の現れない臓器のエコーは二年ぶりくらいになるそうで、前回は前立腺が肥大しているが、年を取るとほとんどの人がなるくらいだしこの程度は、、、、という評価だった。

今回は、肝機能の値が基準値を少し上回っているということもあっての検査だった。

約20分腹の上を検査機でなぞってその写真で説明を受けたが、、、、、、、

肝臓の一部が少し角が取れて丸くなっていることから肝硬変の前兆かもしれないが、すい臓には異常が見られないということで特にどうこうという状態ではないとのことだった。

あと腎臓にも障害は見当たらず、前立腺は前回より少し大きくなっているようだとのこと。

結局は、「また次回の様子を見てからにしましょう」という言葉を添えて無事帰宅したが、いよいよこの世からおさらばする日が ジリッ!ジリッ!と近づいていることのようだ。

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2021年3月17日 (水)

桜に先駆けて

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各地で桜の開花宣言が出されている中、静岡はまだのようだ。

今日も20度越えの暖かい土地柄ではあるのだが、ある程度の期間寒さにあわないと開花が遅れるそうだ。

そういえば、今年は暖冬だったため三度雪で白くなると春が来ると言われた竜爪山に雪が降ったのは一度しかなかったようなので、それが影響しているのかもしれない。

しかし、先日来開花し始めていた庭の桜桃は、桜をしり目に満開状態になっており、それを眺めての花見酒といきたいところだが、、、、、

”酒なくて 何の己が桜かな”  状況のこの頃である。

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2021年3月15日 (月)

おばこ こんころも~ち

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もう咲いているころだろうと草むらを分けてみたら踊子草が花を咲かせていた。

毎年のことながら時節をたがえずに真っ白な漏斗状の花を茎の周りに三層 五層と積み重ねている。

この茎の周りに花を咲かせる様子から、踊り子の花笠に見立てつけられた名前であろう。

生まれ故郷の春の祭りには小学生の女の子がこの花笠を冠り、手には二つのくるりくるりと回る花をもって踊るのが憧れで、今八十四歳になった姉が、引っ越しで踊れなかったのいまだに悔しがっている。

おばこ こんころも~ち   と謡いだししか覚えていないないのだが、、、、、

 

今国会は総務省幹部の飲食接待で連日質問攻めにあっているが官僚の上にいる大臣クラスにまで飛び火している。

中でも、現大臣である武田総務相が一番始末が悪い。

会食をやったかどうかの質問を17回もはぐらして答えようとはしない。

こんな人の下で、調査が進められるはずはないので、当然更迭ということにしなければならないと思うのだが、任命したガースーはコロナ対策と一緒のうえ、自分の息子も関係しているだけに、する気は全くないようだ。

それにしても、この問題の火付け役は例によって週刊文春というのもおかしな話である。

いぜんなら、大手の新聞記者などがすっぱ抜いたものだったがこのとこ鳴かず飛ばずで音なしの構えなのは力不足ではなく、例によって新聞社幹部の忖度で記事にしようとしないのか、もし早とちりした場合のことを考えすぎているのかもしれない。

それにしても、マスコミがこれだけ慎重になり、後れを取っているとなると今後マスコミは価値を無くし自滅していくことになるのだが、、、、、

 

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2021年3月14日 (日)

お水取り 考

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昨夕NHKーBSで東大寺二月堂のお水取りをやっていた。

自分が子のお水取りを見たのは昭和35年くらいの時だったかとおもっている。

特に目当てもなく奈良まで汽車に乗っていくと、今晩はお水取りがあるというので駅の案内所に行って宿を頼み、その夜お水取りを見に行き火の粉を浴びるところまでわけも分からないまま行ったものである。

それでも、長い階段廊下を大きな松明があがり、上の階(きわざし)から舞い散る火の粉には感動したものだった。

春を告げる一大行事ではあったが、当時はそんなに有名ではなかったのだろうか、宿も簡単にあったし、階下の芝生の中に入れたし、松明の燃えカスも簡単に拾えたと思っている。

それから、二月堂には三回以上行っているのだが、お水取りはその時だけである。

その後、もう一度行きたいと思っている場所の一つとしてお水取りがあるが、なかなか行く機会がなく六十年ほどたっている。

六十年といえば、十干十二支の一巡で本卦がえりにあたるのだから別人として行ければいいんだが、、、、

それにしても、今年のお水取りはコロナに負けて無観客になってしまったようだがこの反動で、来年あたりからは芝生どころの騒ぎじゃないような気がしてしまう。

遠い夢物語になりそうなきがするが、、、、、、、

 

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2021年3月13日 (土)

フッキリ タッキリ

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そのむかし、山の中腹にある鉱山に向かう途中、眼下を流れる高原川をはさんだ向かいの山にかかる霧をよく眺めたのを思い出した。

下の方からもやっと立ち上る霧は雨が上がって晴れる前兆であり、山の上から降りてくる笈破霧は天気が悪くなる前兆であった。

そのころ、今はなくなってしまった二十五山の山頂に円空作と伝えられている木っ端仏は山頂に住む悪霊を沈めるために作られたといういわれがあるが山頂から下ってくる霧は冷害などの予兆であり嫌われていた。

”フッキリテッキリ タッキリフッキリ”という言葉を聞いたのは中学のころだったが、気象の言い伝えの中に「立つ霧は降る霧とて雨 降る霧は照る霧とて日和なり」という言葉を縮めて言った言葉だったそうだ。

 

久しぶりの大雨も午後になって日差しが出たり、村雨になったりで傘を持っての散歩になったが、散歩道の北側の山にの佐古佐古から立つ霧が時折激しくなり山々を隠してしまうが、湿気を持った空気は喉に心地よい。

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2021年3月10日 (水)

我慢できずに

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山の花々も結構咲いていると思うのだが、連日のようにメジロが庭先に通ってきている。

花の蜜に比べると、ミカンのほうが食べ応えがあるのか、ほとんどがつがいでやってきている。

ただ、優先順位があるみたいで、二羽同時にみかんを突っつくということはあまりなく、どちらかが食べてる間は、すぐそばの枝などで待っている。

ただ、なかなか譲ってもらえない場合は、しびれを切らしたのか盛りを過ぎて数を減らしたツバキの花に行っている。

メジロは、外見では雄雌の判断が難しいので、亭主関白なのかかかあ天下なのかは分からないが、、、

たぶん後者だと思っている。

日本人と違って、動物の社会は雌に認められてナンボということが多いそうだから。

 

今日は友人が県立総合病院へ検査入院をすることになり、自分のマッサージを終えた後いろいろと手伝いをしたりしたが、午後になってかなり気疲れでもしたのか疲れてしまった。

コロナ禍の最中なので、入院手続きの後は家族が病室まで一人しかついて行けないうえ、病室に入ると面会もかなり制限されほとんど隔離状態になってしまう。

総合病院というのはいるだけで精気が吸い取られてしまうものがある。

そんな中、四十一日ぶりとかで静岡県のコロナ患者が大量に発生していた。

どうも、沼津の50床を持つ病院で30人余のクラスターが出たことが数字を挙げたようだが、最近言われている下げ止まりはウイルスの変異株が背景にあるのでは???といった憶測もある中で、今回のクラスターはどうなんだろう。

政府は漫然と一都三県に緊急事態宣言を出しているのだが、PCR検査の拡充や病院の負担を軽くする施策はする気がないようで、お先真っ暗状態。

ただオリンピックだけは何としてもしたいようだが、、、、、、はてさて!!!

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2021年3月 9日 (火)

モズが小枝で

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モズが木の上から何かを見定めようとして、一転を睨みつけていた。

啓蟄のすんでそろそろ餌になる虫が出てきたのだろう、そばで見ている人間には目もくれず真剣の品定めをしているようだ。

こちらからその方向をみても何もわからない。

 

もうすぐ東北地震から十年になるという。

日中だったこともあって、津波が陸上に上がり田畑を飲み込み家を破壊していく様をテレビを通して劇場版の映画を見るようにしてみていた。

テレビの発達により、今まで新聞の静止画像しか見ることのなかった災害を目の当たりにできるということは、果たしてどんな意味があるのだろうか。

画面を通すことで、なんだか現実味がなくなって傍観者としてみていた自分に歯がゆさを憶えてしまう日々だった。

そして、翌日には福島の原発が次々と破壊され、被害をさらに拡大していったのだが、東京電力はこの間10兆円を超える費用をつぎ込んできたそうだ。

ただこの金額はこれからさらにこの何倍ものお金と時間を掛けねばならないのか分からないそうだが、この事故以前に言われてきた原発はクリーンで安いという概念とはかけ離れたものなってしまったことである。

そして、一番影響を受けている帰還困難者が10年たった今でも四万人もいるということであろう。

そんなことも加味しながら女川原発電所には地元や県が再稼働の結論を出したのは、経済が安全を上回ってしまったことにほかならない。

この発電所に将来を頼り切るという選択に子孫はどう見るのだろうか。

この発電所がもし事故を起こせば、、、、、、、

# 美しい山 懐かしい川 追われ追われて果てしなき旅ぞ、、、、、という歌の文句がそのまま当てはまることになるのだが。

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2021年3月 7日 (日)

雑草考

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「雑草という草はありません」って言ったのは確か昭和天皇だったように覚えている。

「雑草根性」と言ったプロ野球選手もいたが、反骨精神や踏まれてもくじけないという意味を含めてのことと思う。

確か雑草という名の植物はないのだが、一般に雑草という植物に分類されるのは道端に生える草で抜いても刈っても絶えることのない草を総称してつけられているなまえであろう。

その伝から言うと野心のタンポポも雑草の一つであるが、オオバコ同様薬にもなる植物であり古くから身近で見られる春の花でもある。

 

コロナ禍のなかでよく聞かれてのは「建設的な意見を、、、」というのがあった。

大抵これを言うのは政府関係者や会議の主催者など権力の側に立つ人たちであるが、こういう人たちに限って、相手の言うことを聞き入れて加味することの無い人達である。

受け付けられない以上、その行動を批判するしかないのであるが、これらの意見を素直に受け入れる人もいて、国会などの答弁でやりこめられる様を見ると「可哀そう」と本質を忘れて同情する向きがいる。

今回、ガースーは一都三県知事に先んじて緊急事態宣言解除を二週間先のばしにしたが、これはあくまでも知事会が出した後に促されて出した場合、またしても「後手になった」と言われないためだけに出したとみられてもしようがない発表であった。

その証拠に、この発表には徹底したコロナ対策をする仕掛けがなく、ただ漫然と今の状態を二週間続けるだけのものであり、激減させる工夫は一つもない。

就任時に言われ「親の七光りなどもなくたたたき上げの首相」という雑草論にも似た評価は風前の灯火に見えるのは、、、、、、、、

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2021年3月 5日 (金)

ごぼる

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つくし誰の子? すぎなの子 

誰でもが知っていることであるが、似てもも似つかない子供が生まれたとびっくりしている。

春まだ早きに、出てきたつくしはいびつに歪んでいる。

今日は啓蟄、土の中で冬眠していた虫がうごめきだしているはずなんだが、、、まだ見当たらない。

 

昭和もまだ20年代だったころ、飛騨は雪が多くこの時期でも積雪二メートル以上はあった。

それでも、今の時期にになると昼間の温度は天気が良ければ10度くらいにはなり、雪の表面が急速に溶けて行くのがわかり、雪の間からアオキの赤い実が雪の中から出てきて、白い雪に映えた。

しかし、夜になるとこの溶けた部分が寒さで凍り、朝になると雪の上を歩いてもごぼらなくなり、雪面を自由に歩き回れるようになる。

”ごぼる”とは北陸地方一帯で使われた方言?古語?で”めり込む””沈み込む”と言った意味である。

このごぼらない状態になると野うさぎの刈りのシーズンになる。

肉といえば、クジラの筋だらけで固い肉しか買えなかった(それも配給で)時代、ウサギの肉は貴重なたんぱく源で小学校のころから畑の縁や野山にわなを仕掛けて獲ったものだが、いまの時期が一番獲れて美味しかった。

わなは、ワイヤーを1メートルほどに切ってほぐして焼きなまし、丸い輪っかにしてウサギの通り道に仕掛けるのだが、夏場は通り道がよくわからず、雪の降る量が多いときはわなそのものが雪に埋もれてしまうので、雪が溶けだす今の時期が一番好都合であった。

わなを仕掛けた翌日、山の上のほうから布に来るんだ雪玉をもって、ウサギが昼寝しているところを探り雪玉を投げる、、、、、、

まさに、ウサギ追いし 彼の山であり、この時期になると今でも懐かしく思いだす光景である。

年に何匹かしか獲れなかったが、獲れたときには低い鼻を空に仰向かせて意気揚々と凱旋したものだった。

 

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2021年3月 3日 (水)

もしかしてだけど、

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明かりをつけましょ ぼんぼりに

      花を上げましょ 桃の花

 

今日三月三日は上巳の節句、桃の節句、ということで桃の花を探しに出かけてみた。

例年だとかなり咲き出している桃の木林だが、今年は少し遅れ気味で、開花した花はごくわずかであった。

そんな中スズメが群がっていた木に意地悪なヒヨドリがやってきたが、ごくおとなしくそばの枝に止まったまま追い払おうともせずたたずんでいた。

同じ餌を食べるメジロなどと区別していたのだろうか、スズメのほうもあまり気にする風もなく動かずにいた。

漫才師のきめ台詞ではないが、「もしかしてだけど、雄雛 雌雛を気取っているんじゃないだろか。」

 

韓国の歴代大統領が任期完了後に逮捕されるのを笑っていたことがあったが、日本でも首相の親族(安倍夫人、ガースー長男)が官僚を使って違法行為をしているのが最近目立つ。

権力が首相官邸に一極集中する中で、左遷を恐れる官僚が忖度しすぎることが原因とみられ、発覚するたびに何人かの官僚が犠牲になっている?????。

いや、貸しを作っているんではないだろうか、熾烈な競争を勝ち抜いてきた高級官僚だから、転んでもただでは起きないはずである。

表面上は左遷されても、甘い汁を吸える部署に何年か後、いや数か月後には落ち着いているはず、、、

そして、日本の首相は全くの安泰で座を降りる、、、、いやになってしまうね。

 

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2021年3月 1日 (月)

病院巡りで

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麻機にこぶしの花が春を告げていた。

花びらの直径は10cmほどにもなり春の花としては大柄な方に属する。

もう咲き始めて十日くらいになるのだが、柔らかくて傷つきやすい花びらはたちまちのうちに茶色くなり散ってしまい、傷のない花びらを探し求めて撮影する。

 

早いもので、もう弥生三月という字を見る日になり、今年も六分の一は済んだということになる。

弥生とは植物の”いやさかえる”月という意味だそうだが、その言葉通り木々が萌え始人間も衣を一枚脱ぎ捨てる時期なのだろう。

最近のコロナ禍の影響なのか先日来右の膝が痛くなり、朝一番で近所のマッサージ店に行き施術をしてもらい、それが済むと連れをこれまた近所のかかりつけ医に送り迎え、そして午後には友人がどこか病院を知らないかということで、明日行く予定にしていた自分のかかりつけ医に連れて行き、ついでに自分も見てもらう。

血圧の薬だけのかかり付け医であるが、一月に市の健康診断を受けたところ検便の一つに血が混じっていたということがわかり、その結果二月初めに大腸の内視鏡の検査を受けていた。

その時、ポリープ五個を取り一か所で少し糜爛(ビラン)していることから、がん検査に出したとのことを聞いていたのでどうなのかというのを聞く日でもあった。

結果として、いずれも異常なしであったが、とにかく一日中医療機関をめぐりで気分的に疲れてしまった。

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