ごぼる
つくし誰の子? すぎなの子
誰でもが知っていることであるが、似てもも似つかない子供が生まれたとびっくりしている。
春まだ早きに、出てきたつくしはいびつに歪んでいる。
今日は啓蟄、土の中で冬眠していた虫がうごめきだしているはずなんだが、、、まだ見当たらない。
昭和もまだ20年代だったころ、飛騨は雪が多くこの時期でも積雪二メートル以上はあった。
それでも、今の時期にになると昼間の温度は天気が良ければ10度くらいにはなり、雪の表面が急速に溶けて行くのがわかり、雪の間からアオキの赤い実が雪の中から出てきて、白い雪に映えた。
しかし、夜になるとこの溶けた部分が寒さで凍り、朝になると雪の上を歩いてもごぼらなくなり、雪面を自由に歩き回れるようになる。
”ごぼる”とは北陸地方一帯で使われた方言?古語?で”めり込む””沈み込む”と言った意味である。
このごぼらない状態になると野うさぎの刈りのシーズンになる。
肉といえば、クジラの筋だらけで固い肉しか買えなかった(それも配給で)時代、ウサギの肉は貴重なたんぱく源で小学校のころから畑の縁や野山にわなを仕掛けて獲ったものだが、いまの時期が一番獲れて美味しかった。
わなは、ワイヤーを1メートルほどに切ってほぐして焼きなまし、丸い輪っかにしてウサギの通り道に仕掛けるのだが、夏場は通り道がよくわからず、雪の降る量が多いときはわなそのものが雪に埋もれてしまうので、雪が溶けだす今の時期が一番好都合であった。
わなを仕掛けた翌日、山の上のほうから布に来るんだ雪玉をもって、ウサギが昼寝しているところを探り雪玉を投げる、、、、、、
まさに、ウサギ追いし 彼の山であり、この時期になると今でも懐かしく思いだす光景である。
年に何匹かしか獲れなかったが、獲れたときには低い鼻を空に仰向かせて意気揚々と凱旋したものだった。
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