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2021年5月30日 (日)

三界萬霊

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故郷の飛騨の栃洞鉱山の社宅群がいくつかあり、お寺が二つあった。

そのひとつ、南平には禅宗の古刹光円寺というのがあって、今では栃洞坑の閉山に伴ってお寺だけがぽつんと残されている。

管理は自分の檀那寺が管理しているようだが、ここの境内には幅1mほどのどっしりと苔むした”三界萬霊”と書いた石塔が立っている。

むかし、江戸時代のころと言われているが、このお寺の上の方に大富という谷があり狸掘りと言われる小さな採掘現場がいくつもあった。

当然山奥の事なので、飯場をいくつか立てて坑夫を住まわせていたが、ある時大雨が降り山抜けが起こり飯場を押し流し、いま立っている光円寺から100mほど下まで土石流が押し出したとのことであった。

その土砂の上に建てられた光円寺はその時の犠牲者を供養するためもあって、のちの鉱業権を引き継いだ三井金属が建てた供養塔である。

後々言われたことによると、高い賃金を稼いだ坑夫の贅沢三昧を怒った神様が災害を引き起こし、つましい生活を行っていた飯炊きの女性だけが難を逃れて生き残ったとという話しと、社宅を立てる際にあちこちから人骨を含む遺品が掘り出されてお寺に収められているとも聞いたが実際には見ていない。

このようにして、たくさんの犠牲者が出た場合、後世に残すため”三界萬霊”の塔を建てたそうで、各地に立っているが、本来三界とは人間だけでなく生きとして生きたものすべてを意味するものである。

そして、ここ静岡でもまだ苔さえもついていない新しい三界萬霊の供養塔にアマガエルが一匹張り付いていた。

しばらく見ていたが、全く動く気配がないので指先でツンツンと突っついてみたがそれでも動こうとはしなかった。

それにしても、石碑の色とは全く違い、天敵に対して目立つうえ、無防備な状態でいることに、ひょっとしてこの塔を建てたものとの関係があるかもしれないと感じさせる。

それで、「じゃましたな」と言って立ち去ることにした。

 

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2021年5月29日 (土)

ちょっと無理をした

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”七変化”いわれるアジサイは咲出しから花期が終わるまで様々な色に変化することで名づけられたが、品種改良(?)しやすい花でもあったのか、写真のように花の色はもちろん花の形も千差万別と言っても良いくらい変化に富んでいる。

日本人は朝顔にみられるように植物を交配によってさまざまな種類を作り出してきたが、アジサイはシーボルトがオランダに持ち出していろんな種類を作り出し逆輸入されたものが元になっているようで、写真の花はそのうちの一部である。

ただ、自分的には梅雨時のじめじめとした機構を連想させるためあまり好きな花ではないので、我が家の庭にはこの花がなない。

 

今日はほとほと疲れた。

友達が手入れをしていた三百数十段の階段を登った先にある畑へジャガイモ掘りと梅を採るために登った。

この友達は、先々月病院に連れて行ったところ、肺がんのステージ四と診断され、いま、県立総合病院で抗がん剤治療に専念している。

ただ、まだ病気の進行を知らない時期に植えたジャガイモと十数年前に植えた南高梅も取り入れ時期を迎えているため登ったのだが、自然は二か月近く放っておくと草刈りだけでも大変な仕事になる。

周りが農耕放棄地だらけなので、ほとんど人が登らない山はたちまち荒れ地になってしまう。

梅は小さな木なので10kgほどの収穫とジャガイモは一畝だけで良しにしたが、かなり疲れて降り階段気を付けながら降りてきたが、途中でビワの熟れたのを見つけると足が止まりこれの収穫に手を出してしまった。

結局、ビワを5kgほど採ったところでかすかな眩暈がしたので慌てて腰の水筒に手を出し一息入れたが、そのころから立つのもおっくうになり、一時間近く座り込んでから帰宅した。

帰ってすぐに、昨夜の残り湯につかってようやく回復したが、昨日の梅採りに加えて連日労働は八十越えの爺さんには、、、、、、、

 

    年寄りの冷や水ならぬ残り湯で蘇える

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2021年5月28日 (金)

梅雨の晴れ間に

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「梅雨の合間の晴れた日に梅の実が熟れたから採りに行こう」という誘いがあったので、昨日の雨が乾いたころと思い午後になって梅採りに向かった。

現場は農耕放棄地で山の斜面は草茫々と生い茂っているため、まず下草刈りから始めることになった。

自分の役目は、木に登って高い部分の枝をのこぎりで切り落とすことであり、実がたわわに実っているところで手が届かない場所を専門になった。

梅は名高い”南高梅” 手入れは四月に草刈りをしたというがほったらかしの状態なので大小不揃いではあるが虫食いもなくしっかりとしたものであった。

結局、三人で行って自分の取り分は15kgほどになった。  予想外に大量である。

さっそく、長野と豊田の兄弟に半分を送り、残ったのが写真の梅。

さてこれをどうするか、、、、、梅干しは面倒くさいので、梅酒と梅ジューくらいしかあたまにうかばないのだが、、、、、

連れ曰く:使い道を考えて貰っておいで、、、とはいうものの

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2021年5月26日 (水)

薄紙を剥いで

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今夜の月はスーパームーンと言って月が地球にかなり近づいて、特に大きく見える満月だと言い、おまけに月食が重なるとなると二十四年ぶりの現象だそうだ。

午後八時ころから始まるというので空を見上げたが午後からの雲が一面にかかっていて夜空は真っ黒け状態であきらめていた。

しかし、九時ころから雲の切れ間ではなく、”薄紙を剥ぐ”という感じがそのまま当てはまるような感じで月が見え始めた、写真は九時十八分の状態である。

月食は十時にはほぼ完了し、何事もなかったように元の満月に戻ったが、薄紙一枚残したように空はすっきりとせず満月も二年前の赤さはなかった。

そして、十一時月は濃くなった雲の遮られて静かに消え去った。

 

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2021年5月25日 (火)

見返り美人

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”立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花” 美人はどんな格好をしても見ごたえがあるものだが、肌をあらわにしシルエットをもろに見せる洋風の服に比べて、すべてを包む着物姿はどんな人でも美しく見せる。といえば叱られるのだろうか。

二十三日に行った藤枝のお茶まつりに接待役をしていた若い娘さん(実際のところ顔を見ていない)ので分からないのだが、一種”見返り美人”敵に見えて素敵だった。

着物は日本独独のものと思うが、高松塚古墳の上流階級と思われる美人の壁画は中国風にしか見えないし、百人一首に出てくる女性の十二単は着物の先祖とは思えない。

ではどういういきさつで今の着物の原型が出来上がったのだろうか。

今風の着物は、出雲阿国あたりの絵がようやくだとしたら、今でもアイドルが流行の先端を行くようだから、あの頃の女性も流行に飛びついたということか。

そんな風に見ていくといつの世もそう変わらないもののように見えてくる。

 

オリンピックもあと二ヶ月となってきた。

あしたは、近所のおばあさんをワクチン注射医院に連れていくことになった。

静岡では、八十五歳以上の接種がようやく昨日から始まったが、それ以下の年寄りはまだ何の通知も来ていないので自分らの番はいつか分からない。

きけば、静岡県全国的にも遅れており、接種率は四十七都道府県中四十二番目とか、、、

そんなこともあってか、アメリカ国務省は日本への渡航を禁止したそうだ。

同盟国だと言ってアメリカには普段から特別の肩入れをしているが、こんな時にはあっさりと決められてしまっている。

「知に働けば角が立ち 情に掉させば流される とかくこの世は住みにくい」という言葉があるが、世界は知でなりたっている。

中国で、新型コロナが流行し始めた時、日本政府は情の部分で入国を止めず、それ以降流行が日本に入ってきてからもPCRの検査を絞ってきた付けが現在である。

はっきり言ってこれは人災そのものと言って過言ではなかったろうか、常に根拠のない希望医的観測の下、流行をの繰り返しを止められず、結局は経済のダメージを拡大してしまった。

 

評価は後世の審判に委ねるまでもなくガースーの失敗に帰すものであろう。

さて、オリンピックはどうなるやら、、、、、、、、、、、

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2021年5月23日 (日)

疲れの潜伏期間

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モリアオガエルの卵が入った泡が木の枝にぶら下がっている。

ほとんどのカエルが水中で産卵するのに対して、木の上で産卵するだけで名前が憶えられているカエルであるが、産卵するカエルは普段森の中で生活し雨などは降る湿気の強い夜にしか散乱しないと言われているため、どんなカエルなのか見ることがほとんどないし、見てもアマガエルなどとの区別が難しいカエルである。

写真の泡は上下、達磨のように重なっているが、下の方が早かったようで泡の表面に黒い小さなものが動いているのを目にした。

泡の中で、オタマジャクシになった幼生が下の池に落ちていくのであるが、その下の水面には落ちてくるオタマジャクシを待っているイモリがぷかっと水面に浮かんでいた。

自然界の掟とはいえ、この調子では何割がカエルになって、来春この池にやってこれるのだろうか。

 

今日は久しぶりに太陽が顔を出した。

洗濯物のほかに布団などを太陽に当てて湿気を飛ばしたかったが、藤枝の玉露の里でお茶まつりをすると聞いていたので、毎年ここ手もみ茶を少し買っていたので、今年も、、、と出かけてみた。

そして、午前中に帰ってくると、午後になって「雨後の竹の子ってことがあるだろ、葉竹(ハチコ―)を採りに行こう」と誘われたので出かけた。

葉竹は孟宗竹のように地面から顔を出したかどうかの時に採る必要がなく、1メートルほどの伸びていても、先端だけを採って茹でて食べられるので、竹林を歩いていても目に付くので簡単である。

それでも、車を止めた場所から急斜面を上り下りしながらのタケノコ取りは普段使わないところに力が入り、探しているときは夢中になっているので疲れはないものの、、、、、、、

明日の筋肉痛が気になる。

いや年寄りの筋肉痛は、時間をおいてやってくるといううから三日くらい後か。

まるでコロナに感染したように、疲れの潜伏期間はいつまで続くのか、いま考えている。

 

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2021年5月22日 (土)

知らしむべからず

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ミツバチも暖かい季節を迎えると、女王バチの産卵も活発になり、急に所帯が大きくなると働きバチの仕事も忙しくなるようで、雨さえ上がればすぐにも幼虫の餌になる密集めに出かけなくてはならない。

花を選んでいる暇はなく、バブル期の会社員のように寝る間を惜しんでせっせせっせと賭けづりまわっている。

 

「由らしむべし 知らしむべからず」この言葉を初めて聞いたのは中学になってからの事だった。

封建時代江戸幕府の方針だと聞いて、幕府関係者が「庶民が寄り集まればろくなことがない、幕府の方針は黙って聞けばよいので、知らせなくてよい」という風にとっていた。

しかし、のちになってわかったのは論語の一節で「人民をを従わせることはできるが、なぜ従わなければならないかというを分らせるのは難しい」という意味だそうだ。

まるで、コロナ禍の今の情勢をよく表しているのではないだろうか。

「三密はおろか一密でも避けてください」とか、丁寧に説明するとは言いながらどんな方針で対策を進めていくのの説明は一切なく、自分らから見れば対策そのものが一切なく、ただ固まっている(PCR検査のように)か、行き当たりばったりその場しのぎの対策に終始しているに過ぎないようにしか見えない。

「批判ばかりして、、、」とよく言われるが、提言や批判に少しでも耳を傾けてくれれば少しは納得し協力ということも考えないのではないが、ガースーの記者会見のように煮え切らない返答はもういいや!!ってことになってしまう。

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2021年5月21日 (金)

君子危うきに近寄らず

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暗い空から間断なく降り続く雨は気分まで鬱陶しくさせてしまう。

例年より早く入った梅雨の真っただ中、同放無線は静岡南部に大雨注意報まで出たことを告げている。

昨日からだったか、警報の出し方が変わって注意報の次は避難指示になるという。

そのわけは、地球温暖化によるとみられる、気性の激しさが影響しているそうで、線状降水帯など雨の降る量や台風などの風邪の激しさがここ10年でも激しくなってきていることにあるという。

今日は”小満” 気候が暖かくなり植物の成長が盛んとなるころで、例年なら走り梅雨の時期になるころだという。

 

人間絶頂期に足元をすくわれるというのはよくあることで、今回の大相撲看板力士、朝の山が接待の有るクラブに行っていたことがバレて球場に追い込まれてしまった。

場所後処分の審議が行われることになるが、軽くても三場所球場の上幕下あたりからの再出発だと言われている。

ただ、大関という最高の地位で力士の模範とならなければならないうえ、当初は疑惑の否定をするなどさらに傷口を広げているので、場合によっては廃業さえささやかれているそうだ。

やっと一年も満たない前にコロナ禍で自粛要請中に飲み屋に行った力士が休業の上、幕下まで転落したという事例を見ながら、どうして同じような行動をしたのだろうか。

二十六歳という若さがそうさせたとしても、自分だけはという思いがあったのか、周りのおだてに酔って天狗になってしまったのか。

この一瞬で人生がすべて暗転してしまうとは考えられなかったのだろうか。もちろん考えるだけの自覚があればこんなことにはならなかっただろうに、、、。

 

静岡県で、最近続けてカラオケを伴う飲み屋でコロナ患者が発生し、いずれも20数人のクラスターが発生している。

自分は歌が好きだし、むかしの歌を聞くとあのときこの歌が流行っていたときどうしていたかなど、歌に結び付けて思い出すことがあるが、カラオケは好きではない。

とくに、飲み屋でのカラオケは下手な歌が終わるたびに手を叩かなくてはならないし、高音量の歌に邪魔されて相席の友達たちとの話しは聞こえなくなってしまうからである。

そして、最近のコロナの流行の陰にはカラオケがかなり感染を広げているのだが、、、なかなかやめられない人がいるようで、感染してから体のつらさとともに生活の不自由さを後悔しているようだが、自分が罹るまで他人事思っている向きが多いようだ。

自分だっていつ罹患するかもしれないが、なるたけ「君子危うきに近寄らず」で行きたいものである。

 

 

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2021年5月19日 (水)

純白に寄せて

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藤枝の蓮華寺公園に咲くヒツジグサ、園芸種ばかりなので赤色や黄色いものなどいろいろな花が咲いている中で、純白の花がひときわ目を引く。

白いものに対して、日本人は清潔とか清楚などという言葉がすぐ浮かんできて、以前は医療関係、特に看護婦さんの白い服にはそんな感じを抱かせたものである。

しかし、最近では白い制服のほうがむしろ少数派になってピンクや青い色、臙脂など病院によって色合いも変わり、ガウン一辺倒だった制服もズボン(ちょっと古い言い方かな?)姿でパソコン付きのキャスターを押して歩く姿は、職業婦人といった趣のほうが強くなってきているのは、ヒツジグサをまねたのかも、、、、、、

 

田村正和さんが亡くなっておよそ一ヶ月立って発表されたそうだ。

葬儀も質素にやってくれとのことで、世間に知られることもなく旅立ったそうだ。

田村正和とは、テレビ画面ではよく見かけたが、私生活はほとんど公開していなくて謎の多い暮らしをしていたことで有名であった。

そして、人目につく撮影所などでは、俳優田村正和を演じ続けてきたそうだから家ではどうだったのだろうか。

よく人目につく場所と家ではガラッと態度の違う漫才師や俳優などがいることを聞く、人間いつまでも仮面を冠っているわけにはいかないので、外面のストレスを家庭で発散しているのかもしれないが、家族はたまったものではないだろう。

ともあれ、人が死ぬということはこういった虚飾を張ることもないのだから、もしそんな世界があるのならほっと溜息をついているのかもしれない。

 

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2021年5月18日 (火)

テイカカズラ

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定家葛のプロペラのような花が木に覆いかぶさるように咲いていた。

定家とは平安時代末期の歌人で百人一首を編纂した人ということになっているが、後白河院の娘 式子内親王に恋をし、内親王の死後その墓に巻き付いた葛が定家の怨念だと言われたところから名づけられたという話しが残っている。

いま、山の畑に向かう斜面の木に覆いかぶさっている定家葛を見ると、気のほうもかなり迷惑な状態だとわかるが、テイカカズラはそんなことお構いなしにしがみつき、木が倒れると自分の生きる場所もなくなって共倒れになるのは新型コロナをはじめ人体を害するばい菌と同様に見えてしまう。

 

昨夜は、湿気と気温が高く半そでの下着のまま寝たが、寝苦しくて四時に目が覚めてからの二度寝が出来ず、これから先が思いやられる熱帯夜(?)となった。

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2021年5月17日 (月)

一瞬を閉じ込めた

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昨日からおお降りはしなかったものの、梅雨らしい降り方をしていた雨は午前中には上がり、午後にはわずかながら太陽も顔を出し、月下美人の葉先にぶら下がった水滴に日が差し込めた。

まもなく風が出てきて水滴を吹き払ったので太陽が水滴に閉じ込められたのはほんのわずかな時間であったが、その輝きは”値千金”といったところか。

 

今日午後になって知りあいの老婦人がコロナウイルスの予防注射の申し込み票をもってやってきた。

彼女は昨日まで入院していたのだが、家に帰てtこの申し込み票を見、電話してみたが何回かけても話し中で通じなかったそうだ。

それでインターネットでならより通じそうだと人に聞き、やってもらえないかと電話があったので、近いうちに自分も申し込み票が来るので練習代わりに申し込みを引き受けた。

ところがやってみると何回試してもダメ、、、

念のため、個人識別ナンバーのあいだにあるハイフォンを外してみたら瞬く間に一回目の注射が完了した。

申し込み票には、そんなことがどこにも書いていないのでとんだ回り道をしてしまったが、さらに、二回目の申し込みをしようとしたが、これまた難解、

どれだけやっても前え進まない。

結局、四時間試してみたが二回目の申し込みはできなかった。

結論としては、二回目の注射液の手配が出来ていないのではないかという結論になったので、彼女には一回目の注射が済んで三週間後に次の注射ということになるからそれまでに何とかしようと話した。

「こんな難しいのでは、年寄りいじめというしかない」というのが一致した感想であった。

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2021年5月16日 (日)

梅雨入り

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薄暗い朝は気分も重い。

朝方から降り出した雨はほんのお湿り程度だったが、上空の厚い雲は切れずいつものように五時の目覚めは「まだ夜が明けないのか」なんて気にさせる。

しばらくして、気象庁は東海地方も梅雨入りしたとみられると発表し、解説のお天気マークも土曜日まで傘マークが連続していた。

今年の梅雨入りは、例年より21日も早いとのことだが、早ければ早く終わるというものでもなさそうだし、じめじめとしたうっとうしい季節の到来はもう少し待ってほしかった。

 

 

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2021年5月15日 (土)

蜘蛛の糸

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桜桃の若葉の後ろに蜘蛛の巣があり、陽の光を受けて、虹色に輝いていた。

蜘蛛の糸の強さは同じ太さの鋼鉄ほどの強さがあり一度この糸に触れたら身体に比べて力の強い昆虫でもなかなか断ち切ることができない、と聞いたことがある。

その糸も見破られないため、無色透明になっているが、その透明さが仇となり太陽光を虹色に染め分けており、しばらくは虫の目にも露わに見えているに違いないだろう。

 

「蜘蛛の糸」という小編の小説がある。こどものころ、説話として聞いたことがある。

地獄に落ちたカンダタという罪人にお釈迦様が一つの善行を認めて、極楽から蜘蛛の糸を垂らして救おうとしたが、その糸にすがって登り始めたカンダタはさらにその糸をすがって群れを成して登ってくるほかの罪人に「糸が切れるから登ってくるな!」と言ったところその手元からぷっつりと切れて、また元の血の池地獄に転落していった。という話しである。

その時の糸は、やはりきらきらとして光っていたそうだ。

 

いくつかの町長など様々な理屈をつけて、コロナのワクチンを優先的に受けたワイドショーが言っていた。

この話しを聞いたとき、思わず「蜘蛛の糸」を思い出した。

助かるためにはなりふりをかまわない人間のさが、エゴがむき出しになる。

日本人は決められたことはおとなしくきちんと守る。というが、最近ではそんな美徳(?)もどこへやら、、、、、

そんなモラルのない政治家でも次の選挙では当選できるのだから、選ぶ方もその程度の国民なので、あまり偉そうなことは言えないのだが、、、、、

 

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2021年5月13日 (木)

こんなご時世ならでは

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やっとこの間、八日の日に久しぶりに孫が訪ねてきて「ばあばの誕生日おめでとう」と言って帰ったが、その時庭の桜桃を見て「子供のころこれを食べるのが好きだったね」といった。

その時は、まだ青い実が多かったので、「もう少し遅ければよかったのにな」と言っていたが、今日見たらかなりの割合で赤く熟れていた。

やっと四~五日の事なのにこんなに旬というのは簡単にきて過ぎ去っていくものなのだと改めて思い知らされた。

その桜桃が昨夜からの梅雨の走りとかで降った雨の雫をつけ、顔を出した貸与の光を受けて輝きだしたが、その様子を見て、「新型コロナウイルスの写真に似ているな」と思ってしまうのもこんなご時世ならではことであろう。

 

地方紙によると東京~名古屋間のリニア新幹線のトンネル工事で山梨県側からの工事があと2kmで静岡県境に到達するとのことであった。

静岡県の大井川上流部の下を通すことに静岡県側が水量低下を心配し交渉が進まない中で無言の圧力をかけているようにも見える。

静岡県では明治の時代に熱海から函南町にいたる東海道本線の工事で異常な出水があり、直上の丹奈盆地の水が一気に抜けて農業が立ち行かなくなった経験があるため、大井川の水を利用している下流市町が反対しそれを受けて県知事も強硬な姿勢を崩さないでいる。

そのことを含めて県の姿勢に不服がある自民党は、地元出身の国交省の副大臣を対抗馬に立てることにし、自民党本部も承認した。

自分としては、大井川の水に直接関係はないものの、政府同様はっきりとした説目をしないJR東海の姿勢やリニアありきの自民党政府の姿勢にはコロナ対策同様信用しかねるものがあり、現職知事の支援にまわることにしている。

「国策」という錦の御旗の下、原発を進めたのと同様大電力を使うリニアによってどれだけの効果が出るのか。

むかしの交通標語にあったのだが「狭い日本 そんなに急いで どこへ行く」とね。

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2021年5月12日 (水)

しし食ったむくい

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ヒルザキツキミソウの花が今年も淡いピンクの花を咲かせていた。

待宵草の仲間だというが、花の色と形はずいぶんと違うのは、外来種のため、いわゆるバタ臭いと言ったところなのかもしれない。

ひとっ頃は、麻機遊水地にも群れを成して咲いていたが、最近ではその範囲が少なくなったように思うのは、外来種駆除のためか。それとも、日本の気候風土になじめなかったためか。

いずれにしろ、きれいな花なので元の花壇に戻ってほしいものなんだが、、、

 

新型コロナの猛威は静岡でも次第に勢力を盛り返し始めてきて、今日の感染者は90人だと言い、その中にイギリス型変異種が多くなってきたそうだ。

この変異種は、若者にも容赦なく観戦し、悪化のスピードも速いそうだ、

やはり、五月初めの連休中の自粛不足が拡大の原因ではないかと言われだした。

昔のことわざに「ししを食った報い」というのがあったが、連休中に若者が中心にはじけて騒いだことが原因だとしたら、、、、、、

しかし、自分の周りでいわれているのは、働き盛りの人がかなり多く過半数どころではないことが心配の種であり、こういう状況になったら年寄りから予防注射という考えをやめたらどうか。というう声を耳するのが多くなった。

人の命に軽重はないというが、若い人が亡くなるのはいかにももったいないという気がしてならない。

 

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2021年5月11日 (火)

さざ波

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ハマナスの花を見かけた。

とげを持つ茎と葉、真っ赤な花はどう見てもバラ科であることを証明しているが、名前は浜に生える茄子”浜茄子”となっている。

どうも名前の由来は秋にできる丸い実からつけられたそうだが、その実だって茄子とは程遠い実である。

そして、森繁久彌の歌で有名になったので、浜茄子といえば知床にしかないと思っていた人もいて誤解だらけの植物である。

 

オリンピックも間近に迫ってきたが、政府が旗を振っている割合には盛り上がらないどころか、北海道で行われた予行レースには反対のプラカード持った人もかなりいたようだ。

この流れは海外でもあるようで、アメリカの新聞などでもその記事がかなり勢力をあげている。

日本政府はそれにもかかわらず、相も変わらずに強行する構えを崩していないが、予防注射さえままならない状況の中で、さらに変異ウイルスが持ち込まれる可能性やそれに対処する方法さえ決まらずにいる無策ぶりが目に付く。

そんな中、日本の流行は世界に比べれば”さざ波程度”と評した政府関係者がいたが、首相は個人の意見だと問題にもしなかった。

いま日本は”さざ波”程度で医療崩壊が起き、入院治療しなければならない患者が自宅待機し、この第四波では自宅待機死者十八人中十七人になったのが現実である。

日本の医療が世界の先進国と言っていたはずが、さざ波程度の患者で崩壊する危険性があったのは驚きでしかない。

このような危険は国を守るとして作られた自衛隊のほかいくつもあるように見えるのだが、、、、、

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2021年5月 9日 (日)

暑かった

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今日はとにかく暑かった。

午前十一時過ぎにはバイパス高架下で28度だったから、太陽が照り付ける川原では30度越えは確実だったことと思う。

地球温暖化の影響なのか、どうなのかはわからないが、近くの山でさえかすんで見える黄砂の影響もあって、清々しいとは言えない一日であった。

 

 

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2021年5月 8日 (土)

なんだかわからない

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窓ガラスに一匹の蛾が張り付いていた。

大きさは2センチに満たない小さなものだが、鱗粉も少なそうだし、半円状に薄い褐色の帯が見えて夏の涼みに使う扇子の破れたのをおもわせ、割と好感が持てる蛾である。

名前はどんな蛾なのか調べてみようとおもったが、どこから手を付けてよいのか図鑑を見ても区別がつかなくて分からない。

同じ仲間の蝶なら何とか探しやすいのだが、こちらは一筋縄ではいかない。

 

新型コロナワクチンの施主がなかなか進まない。

先日も長野の義妹から、「こちらは接種券が届いているけど、そっちはどうなの?」ときいてきたのだが、まだ何の音さたもないというと、「静岡は遅れているね~~」といわれた。

「で、いつになったの?」って聞いたら「それは分からない」という。「そんじゃ 同じじゃないか」

そんななか今朝の新聞の最後のページに「ワクチンの予約開始」と書いた広告が入っていたが、八十二歳の自分たちは五月下旬から順次発送だという。

この調子では六月中にワクチン接種ができるかどうかわかったものではないようだ。

何事も遅れに遅れた対処しかできない国や地方自治体だけに、信用できない部分がかなりある。

自分としては、ワクチン接種を済ませてから飛騨に行きたい用事があるので、、、、、、

この年になると、あと何年、何回故郷に行けるのか限られてくるし、そのたびに墓参りや高齢のいとこたちの顔を見納めとなるかもしれない、という思いが脳裏に浮かんできてしまう。

ワクチンの効果はどのくらいあるのか、有効期間はどのくらいなのかわからないことだらけなんだろうが、一日も早い終息を待っている。

 

 

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2021年5月 7日 (金)

王様の耳

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つかの間の朝日が椿の葉っぱに照り返へされてまぶしく光っていた。

この後じきに雲が広がり太陽は雲間に隠れて島しまったのでそれこそ本の一瞬の出来事だった。

これぞまさしく照葉樹!!!

 

緊急事態宣言が予定の11日を前にして今月いっぱい延長されることになった。

ガースーは記者の質問を受けて、「連休中の人の流れが減少して 感染に効果があった」との見解を示したが、だれもそれを素直に聞く人はいなかったこととおもう。

連休中に各地に出かけた人が一斉に帰途に就いた5日には高速道路が渋滞していたし、これらの人の中にはウイルスをもって地方に散った人々がいたことは、間違いないだろう。

感染者数が少なかったのは、そもそもの検査数が少なかったためであり、今日から先は感染者数が増加すると思っているのは自分だけではないはず。

どうも自信なさそうに記者会見の受け答えをしている姿をテレビで見ていると、側近からの耳当たりの良い言葉だけを頭に入れている人が、当然の質問に答えきれずどぎまぎし驚いているのではないかと思う。

「王様の耳はロバの耳」というイソップ童話や「裸の王様」のように、ここ二代の総理大臣は耳当たりの良い言葉だけしか聞かず、それが世間の常識と思っていることにある。

 

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2021年5月 6日 (木)

ダニバナ

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タニウツギの赤い花が咲く季節になった。

この花が咲きだすと飛騨では根曲竹の新芽が地上に顔を出す季節になる。

子供のころは、一メートルほどに伸びた若竹でチャンバラをしていたが、いつのころからかこのタケノコが非常に人気が出て人々が山に分け入って採取するようになってから山林所有者と遠くは富山県を含めたタケノコ採りとのもめ事が起き、険悪な状態になってしまったこともあった。

余談ではあるが、根曲竹とは言うが竹で花なく笹なのである。

さて、話しを元に戻すとタニウツギは谷空木と書き、谷に自生する低木で、芯がコルク状の白い充填物で充満している木ということで、太くても直径5センチほどにしかならない木で、一般に使い物にならない雑木とされている、

ただ、身近にみられるだけに各地でいろんな呼び方がされ、子供のころは”ダニバナ”と呼んでいてダニがいっぱいいるような感覚だったが、タニウツギがあやまって伝えられていたのではなかったろうか、

そして、静岡で聞いたのは”田植え花”というのはこの花が咲くころに田植えをしたのかも、、、

そのほか、ベニウツギとか火事花などがあり、死人花などと言って忌嫌うところもあるそうだ。

 

きょうは、沖縄などの南西諸島付近が梅雨入りをしたそうだが、かなり例年より早いそうで、季節までが先走りをしているようだ。

交通標語に「狭い日本 そんなに急いでどこへ行く」というのがあったが、季節の速さに合わせて老化も早まっていくような気がして、、、、、、、

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2021年5月 5日 (水)

この時期は

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故郷の名物”笹巻きようかん”が今年も届いた。

先日送った「八十八夜新茶」のお礼ということなのだが、最近では恒例のやり取りみたいになっている。

五月の節句なので、チマキのようにも見え縁起物として仏壇に上げた。

ちまき同様、笹の葉の香りが羊羹に染みついて羊羹の味を引き立てている。

 

そういえば、今の時期朴葉であったかいご飯を包むとその香りがおにぎり状のご飯に移り、これまたおいしかったのだが、こちらではあまり朴の木が見当たらずないうえ早くから固くなった葉はあまり香りがなかった。

ちなみに、飛騨の旅館に行くと必ずのようにして朴葉味噌が出てくるが、この時の葉は秋になって落葉した葉であることを知らない人がほとんどのようだ。

まえにも書いたことがるけれど、この時期坑内から出てくると若葉の匂いが吹き込む風と共に押し寄せてくるのを感じることができた。

今日は”立夏”暦の上では夏になるのだが、標高八百メートルの山の中腹は春真っ盛りであった。

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2021年5月 4日 (火)

どうかそこんところ

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山桑の実にカッチンムシが取り付いてしきりに蜜を吸っていた。

カッチンムシの正式な名はコメツキムシというのだが、この名前はこの仲間の総称であり、正確な名前は知らない。

そして、子供のころ憶えたカッチンムシのいわれは、この虫を捕まえて仰向けにすると反り返ったあと、その反動で勢いよくカッチンと小さな音をたてて飛び上がり、ひっくり返しに着地するとこ炉から名づけられたことは明白である。

今の子供がダンゴムシを集めるように、子供の手でも容易に捕まえられ、噛みつくなどの抵抗もなかったことからよい玩具になった虫である。

 

昨日今日と良い天気が続き我慢できなくなった人々が行楽地に繰り出したようで、高速道路があちこちで渋滞しているとテレビは報じていた。

感染者の増大で緊急事態宣言が出され、各都道府県の知事たちが外出自粛を要請したが、市民はその要請に応じる気配はほとんどなくなったと言って差し支えない状態となってしまったか、、、。

確かに口先だけでPCR検査やワクチンなどの対策や先行きの展望などの付いて何も語ろうとしない政府や知事などの担当者に反発しているのかもしれない。

今日も西村経済担当大臣が、紙幣などについたコロナ菌は長らく消えないので、キャッシュレス決済を呼び掛けていたが、なんだかコロナ禍に便乗したような言葉としか受け取れないでいる。

昔から「笑ってにこにこ現金払い」で過ごしてきた身にとっては、キャッシュレスはスマホを買わないといけないようだし、もしスマホを落としたり盗まれた場合の不安や不便さを考えると、たびたび銀行に行って必要額だけ下ろして、「あとこれだけだから我慢しよう」などと始末する方が、残高を気にしないで引き出すよりよほど気が楽である。

世の中便利だけで物事を進めるのは、環境汚染で地球を汚してしまうのとよく似ていて気が付いてから修正しようとしても、一度身についた行動の修正は難しいものである。

どうかそこんところ4649(よろしく)ね!!!

 

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2021年5月 2日 (日)

セッコクの花

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庭のセッコクが時が来たとばかりにあちこちで花を咲かせている。

どこからもらってきたのか忘れてしまったがほんの小さな株だったものを咲くたびに、大きくなるたびに小分けして今では庭のあちこちで花を開かせている。

初めのころはツリシノブのように軒先にぶら下げていたが、そのうちに庭の木などに縛り付けてみたところ細い根が出てきて木の幹にしがみつくように絡んでから、成長が早くなり花が咲くのが早く多くなった。

やはり風に吹かれてぶらぶらと根無し草のように漂うより、安定した生活のほうがこの花には性に合っているようだ。

今日も朝日を浴びてその薄い花びらを透き通らせて輝いている。

いつの日か子供のころ仰ぎ見た直径一m近い大玉に仕立ててみたいと思うが、そのころは、、、、

 

今日は、義妹たちの「お金を払うから」という言葉で川根本町まで行って新茶を少しばかり買ってきて送った。

川根路は途中から雲行きが怪しくなり、雨が降ったり晴れたりの気ちがい模様、いつもの家山の店を立ち寄ってみたが店員の応対が気に障ったので、その奥の茶茗館まで行ってしまった。

コロナ禍で人出は少ないのかなと思ったが、家の裏を走る国道1号バイパスから渋滞は各所で起きており、関東ナンバーの車も多かったところを見ると、、、、、、

なかなか、「我慢してください」というだけのコロナ対策にはマンネリ感があり、感染者は減らないんではないだろうか。

といって、令和の妖怪になりつつある橋下徹の「罰則を造れ!」というのにも賛成しかねるのだが、、、

 

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2021年5月 1日 (土)

明るくない

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今日は立春から数えて八十八日目、つまり、八十八夜であり、茶所静岡では新茶を知り合いに配る日でもある。

むかしは八十八夜の”別れ霜”という言葉もあって、この時期になると寒の戻りなどでせっかく伸びかけたお茶の葉に霜が降りてせっかくの丹精が無駄になることもあったが、最近では防霜ファンの普及などでそんな話も聞かなくなった。

しかし、お茶の需要が減ってきたこともあって価格が伸び悩んだうえ茶農家の高齢化で荒れた茶畑があちこちに出てきた。

午前中の明るい太陽の下、照り映える茶畑も何とはなしに暗雲が垂れ込めている。

そんな状況を反映してか、午後になって急に暗くなったかと思うと雨が時折激しく振り出し、六時過ぎからは雷までなりだした。

この雷、その後長くなり続け四時間以上、、、途中でBS放送が中断したり、短い時間だったが停電まで起きたということは上空で雷を起こす入道雲が居座っているためかもしれない。

幸いなのは、雨の降る量は強弱を繰り返しているためトータルで100㎜を超えているようだが、裏の川の水位も上がらないでいる。

 

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