五月雨は
五月雨は みどりいろ
村下孝蔵さんが歌った”初恋”という歌の歌いだしである。
どんなことから五月雨をみどりいろと結びつけたかはわからないが、この時期は一番草木の繁茂するときであることは間違いない。
その五月雨も明後日には旧暦の上からも終わることになる。
うえの写真を写してから六年たっているのでさらにもっと緑に変わっていることと思う。
こんな爺さんでも若かりし頃があって、下に移っている道路の左側に聳南寮という独身寮があり、中央上の禿げて山肌が露出している部分とその下の建物のあるところの坑口から歩いて事務所に行った場所がある。
昭和三十二年四月 配属になった栃洞坑の従業員として聳南寮を起点にして生活することになった。
まだ十七歳で見ず知らずの土地に来た不安は、前に住んで友達や馴染みもできた土地を懐かしく思い出し二度めのホームシックに入った。
しかし、この栃洞というところは美人の多いところでたちまちあたりに目が映ってしまったのは若さのせいであろう。
しかし、まだ「男女七歳にして席を同じゅぅせず」の風習が残り、バンカラが売り物の男子校だったので年頃の女性の顔さえまともに見ることができず、気づかれない遠い場所からちらっと見るのがせいぜいであった。
その後青年部の集会などでようやく何人かの女性と口を利くまでになったのは二十歳を過ぎてからであり、最近ののナンパなどと言って平気に見知らぬ女性に声をかけられる人から見るとずいぶん奥手であり、自分の方から「好きだよって」いう言葉は言った覚えがないような気がする。
最近気になることは、別な人と結婚していたらその後の人生はどうなっていたか。
突然、ふっと消え去った(自分を振った人)は今どんな生活をしているだろうか、、、
など、等々あるが今はだれ一人住んでいない若かりし頃過ごした場所の写真は答えてくれない。
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