« ソーシャルデイスタンス | トップページ | 五月雨は »

2021年6月28日 (月)

金山世帯

Img_0010-7

ピーヒョロロ~ ピーヒョロロ と大きな声が聞こえたのでいつになくよく啼くなあと思って空を見上げると、國一バイパスの街灯の上にトンビが二羽じっと動かずに啼いているのが見えた。

よく見ると巣立ちしたばかりの若鳥らしいのだが、飛び出したもののこの先どうしてよいのかわからないといった風情で立ち尽くしているように見えた。

大人のトンビでもカラスに追い回されているのを見ることがあるので、あまり大きな声を出すとカラスに知られてしまうのではないかと思ったが、上空で一羽輪をかいているのるのが見受けられたのでひとまずは安心といった気持ちでその場を離れた。

30分ほど後には何事もなかったように街灯だけが立っていたので、、、、、、

 

「金山世帯」という熟語がある。

鉱山特に採掘現場など坑内勤めの人は、危険な仕事と隣り合わせもあって、ほかの人たちよりかなり良い給料を手にしていた。

そのためもあって、先のことをかまわずかなり派手な生活をしている人々を言い、昭和30年代にいち早く三種の神器と言われたテレビ、電気洗濯機 など争って買い入れ、そのあと、自動車が飛ぶように売れたものだった。

これは、なにも自分たちの鉱山ばかりでなく、軍艦島や松尾鉱山の廃墟と化した社宅群を映すときに必ずと言っていいほど言われる言葉でわかる。

自分の場合でも入社三年目、二十歳の時の給料で世間の一般的な人に相当する給料を取っていたので、両親と二人の弟妹が食べていけたものだった。

ただ自分の場合は、病気がちの父親とまだ学校に行っていた弟妹がいて、金山世帯を謳歌するわけにはいかなかった。

自分がこの会社に入ったころは、まだ戦争に負けて10年ほどのころであり、海外からの抑留者が帰ってきていたものの公職追放されたひとや戦争で心に深い傷を負った人たちも結構いて、社宅住まいの人はそうでもなかったのだが、独身寮住まいの人にはかなり破天荒な生活をしている人もいた。

そして、給料の支払い日になると今と違って手渡しで給料袋を個人ごとに事務所でもらうため、会社の門を出たところに掛け取りの人が何人もいて、逃さないように見張っているのが恒例だった。

 

あれから六十年余、国内に鉱山は数えるほどしかなくなり金山世帯もなくなったが、給料袋も同じようになくなって味気のない世の中と思うが、キャッシュレスの今の世で生活する人は「なに言ってんだよ」ってとこだろうな。

 

|

« ソーシャルデイスタンス | トップページ | 五月雨は »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ソーシャルデイスタンス | トップページ | 五月雨は »