猩々草に
庭の猩々草の花にヤマトシジミがつかまってしばらく蜜を吸っていた。
猩々の名前の由来になった赤い部分は葉っぱであり、花粉を含んだ花はごく小さく地味な花である。
そんな花でも蜜がおいしいのか、それとも小さな花で一つ当たりの蜜の量が少ないからかなかなか鼻から離れようとはしなかった。
年を取るにつれて一日が瞬く間に過ぎて行くような気がしてならない。
月日は百代の過客にして行きかう人もまた旅人なり、、、とは、奥の細道で芭蕉が書き出しの部分で使った言葉だが、加速度的に早くなっていく感じがする。
昔も今も時間は変わりないはずだが、子供のころの夏休みはなかなか来なかったのだが、、、、
とにかく、人生の終わりがどんどんと向こうの方から走ってくるようだ。
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