四十五歳定年
いまは掛川市となった菊川河口にかかる自転車専用の橋”潮騒橋”とそのそばに立つ風力発電の風車。
遠州灘から吹き上げる風を利用して幾十とあるかわからない大小の風車が建っている。
昨日、あまりの天気のよさに誘われて国道一号を西に走り掛川から海に出て百五十号線を帰ってきた。
いった目的の一つに玉ねぎの苗ががないか、というのもあったが、いつも寄っていた”サンサンフアーム”は定休日ということでそこから引き返した、途中潮風を求めて海岸近くに車を止めながら帰ってきたのだが、御前崎海岸では、駐車場や少し道幅の広いところはロープを張って駐車できないように規制してある。
そのため、普段なら何十っ組も来ているサーフアーは一人見ただけ、そして、食事でもと道路沿いの店を見るといずれも休業中の看板が出ていて、立ち寄るところがないように徹底していた。
げに恐ろしきはコロナウイルスなり、、、、、、
そのコロナウイルスに便乗してか、サントリーの社長が「四十五歳定年制」なるものを打ち出したそうだ。
一瞬思ったのは最近の上級国民が考える自分勝手な発想ではないだろうか。ということであった。
経営者の意向にそぐわない社員は首にして安上がりの労働者で会社を運営していこうというエゴではないか。
自分たちも四十五歳定年というならまだわかる。しかし、自分の身を安全圏において四十五歳以上の社員の賃金をストップし、いやがらせで追い出すという構造が透けて見える。
自分も三十九歳で故郷の鉱山会社を飛び出した。
会社が希望退職という方針を打ち出し、会社内の直接上司との軋轢、海外勤務に嫌気さしていたのが主因だったが、その当時の定年は五十五歳であり、四十歳を越していたらしがみついていたと思うのでぎりぎりの年齢であった。
結果的には吉と出たのであったが、当時櫛の歯がこぼれるようにして千人近くが退職した中でうまく立ちまわれたのはごくわずかであったという。
大企業で働いたものは、その時の労働条件が当たり前だという感覚があり、転職先の劣悪な労働環境になじめなかったのがその一番の理由だったそうだ。
それを考えると、気軽に四十五歳定年に応じると、、、、、、、、
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