お年玉
もういくつ寝るとお正月 お正月には凧あげて
独楽を回して遊びましょ、、、、、、
子供のころ正月の楽しみは普段腹いっぱい食べられなかった分、餅をたらふく食べられることだった。
そのため、十二月半ばから指折り数えていたものだった。
当時はお年玉などという風習はなかったので、ただ食べることができる幸せに浸ったもので、雑煮は年の数だけ餅を食べた。
食糧難の折、もち米の購入などでさぞかし親が苦労したことだろうと思う。
お年玉とはそもそも厄除けに餅を配ったことによるそうだが、お金になったのは昭和30年代後半になってからだそうで、道理で自分らの年頃はもらった覚えがないこと当然だったのかもしれない。
そのお年玉も今年は孫たちもいい年ごろになって、むかし通りお金を用意する必要はなくなった。
山の畑周りの雑木林にツルウメモドキの実がたわわに実っていた。
一時はこの蔓を切ってクリスマスや正月飾りにしたいと言って見知らぬ人が訪ねてきたが、コロナのせい最近は誰も来ないようで真っ赤な実が水分がないためかしなびているように見える。
これだけの量があれば、メジロやヒヨドリが腹いっぱい食べてもしばらくはもつだろう。
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