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2022年1月31日 (月)

訛ってるね

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前にも書いたことがあるが静岡へ来た当時、「すごく訛っているね~」って言われたことがあり、そのお返しに「あなただって訛っているよ!」って言ったら「うそ どこ」ってびっくりしていた。

子供のころ覚えたお国言葉はその地独特方言もあるが言葉の抑揚などどうしても直しきれないところがあり、特に自分なんかは直そうとも思っていなかったので静岡の人には「関西系の言葉は怖い」と言って一目置かれたようだ。

自分の同級生に鹿児島県の川内町(今は市になっている)出身者がいたが、彼が家に電話をする話しが全然わからなかったものである。

鉱山は全国から集まっている町だったので、東北をはじめ、関東圏、関西圏 九州などいろいろな地方の言葉が流れていて、方言には自信があるつもりだったが、鹿児島や沖縄系の言葉は言語が違うのかと思うほどわからなかった。

日本に標準語というものができたのは明治の末期になってからのことで、明治新政府が一つの国にするため国語というものの必要性を感じたためだそうだ。

ゆえに、江戸時代前はテレビでやるようにみんな一緒の言葉を話すことができなかったはずで、長州と薩摩や会津の人たちとは通訳が必要だったに違いない。

10年ほど前に姫神が作った歌に「神々の詩」という勇壮な歌があり、上の写真のような背景のもと歌が続く、しかし、何をうたっているのか歌詞の意味が全然分からなかった。

最近になって”アパ ナアガ マポ、、、”で始まる歌の文句は縄文時代の言葉で、”私の 名前は アポです”で始まる家族の紹介をした歌だということに少々失望した。

そして、この歌詞は言語学者の小泉保という人だそうだが、なぜこの言葉が縄文時代の言葉だとしたのか理解に苦しむ。

録音機器があったわけでもなく、狭い社会の中で日本各地で話し言葉が無数あったとすれば、どこの地方の縄文語だったのだろうか。

なんだか学問みたいなことにかこつけて面白がっているだけだったような気がしてならない。

なまじっか変な訳など知らん方がいかったな。

 

 

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2022年1月30日 (日)

どこかで春が

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どこかで春が生まれてる

「いつも今頃はフキノトウの味噌汚しを食べいたよね」っていわれて、そういえば毎年正月早々フキノトウが出る場所があったのを忘れていた。

飛騨などでは春四月になってから雪の解け始めた場所からみずみずしいフキノトウは得も言われぬ香りと味がするのにくらべれば、雪の降らない場所のフキノトウは同じフキノトウとは言えないほど劣るのだが何事も「気は心」とばかりに見に行った。

行ってみるとフキノトウは例年通り目を出していたいたようで、気の早い奴は薹を破り花を咲かせていた。

どこかで芽の出る 音がする

 

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2022年1月29日 (土)

小春日和???

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日本各地で寒波の情報が飛び交う中、ここ静岡では風もなく温かい日差しが麻機の沼の周りを囲んでいる。

”小春日和”は今の時期に使う言葉ではないそうだがのほほんと人気のない沼の周りを歩いていると春を前にしてゆったりと日差しを浴びながらの散歩には適している言葉のように思える。

 

オミクロン株の猛威はとどまるところ知らずといった感じで連日最多を記録している。

そんな中、ワクチンの接種が待たれているのだが、ようやく連れの友達に予約券が届いたので手続きをしてくれと頼まれた。

パソコンを操作していると、今回もまた申し込み方法が変更されていて、申し込みが完了するまで二時間近くかかってしまった。

毎回毎回申し込み方法の変更は、頭の固くなった年寄りにとっては難題至極であり、もう少し何とか中ならないものかと思ってしまう。

それにしても今回のワクチン接種にワクチン担当大臣の姿がさっぱり出てこない。

当選二回とかの堀内詔子という人だそうだが、岸田総理はどんな理由でこの人を担当にしたのだろうか。

第六波を甘く見て経験不足を顧みずに任命したとしたら早速罷免してしかるべきと思う。

 

現在は若年層が多いオミクロン株だが、次第に基礎疾患を持つ高齢者もかかるようになり、抵抗力のない患者が亡くなるのはこれからであると予測されている。

大臣が経験不足とか資質を欠くという悠長なことを言って暇はないのだが、、、、、

 

 

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2022年1月28日 (金)

不老長寿

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静岡浅間神社の社前に植えられている橘の実が前日の小雨を受けて露を滴らせていた。

見るからに酸っぱそうな雰囲気が触るのさえためらわせていた。

この橘、子供のころ「、、、いま帰る田道間守 田道間守」という歌詞で覚えているが、垂仁天皇の命を受け遠い異国まで出かけて不老長寿の木の実と言われる橘を持って帰ってきたものの命を発した天皇はなくなっていたという話しで覚えている。

忠君愛国の戦争中に歌われた歌で、歌の最後の部分しか覚えていないが、戦後ほとんど歌われなくなった歌である。

この実が本当に効くのかどうかわからないが、お茶も伝来当時は薬であったことを考えると外来の薬草の一つだったろう。

 

先日、友達の友達の家の話である、その家では七十代の高齢とは言い切れない人だが、認知症を発し奥さん一人の手に負えなくなってしまったので施設へ入れることにしたそうだ。

ところがこのご時世、施設に入るとほとんどすべての人が面会に行けなくなるので、入所前日までに兄弟をはじめ親類縁者を集めお別れ会をしたそうだ。

ところが、完全に認知症で訳も分からなくなった人ではないため、本人はそれを察して、、、、、

いまごろ、全然知らない人に囲まれてどうして暮らしているのやら、、、、、

 

連れの弟は、おととい主治医から「今年の桜は多分見る頃ができないでしょう」と言われたという。

今のところ自動車の運転もできるし、明日退院して自宅療養になるというくらい生活に不自由はないのに、、、

以前癌の告知さえ本人にはなかなか言わなかった医者も最近では余命宣告まで本人を前にして言う時代になってしまたった。

よほど修業を積んだ人でも余命宣告は心の動揺を鎮めることができない。

連れも、昨夜はいろいろと思い出されてまんじりとできなかったと言っている。

不老長寿が本当かどうか、橘の実が効き目あるなら、、、

 

 

 

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2022年1月26日 (水)

ヤツデの花

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ヤツデの花が先日来の寒さの中で咲いている。

花と言っても地味な花で咲いているのかどうか定かではない。

よくよく近寄ってみると、玉状の青い部分はまだつぼみであり白くなった部分でようやく2㎜前後の小さな花が集団で咲いているのがわかる。

それにしても、なぜ一斉に開花して白くならないのだろうか。

名前の由来は、その葉っぱが手のひらを広げたような形の常緑樹で深く切れ込んだ葉は8~9枚に分かれているとこから名付けられたようだ。

 

ここ毎日のようにコロナの感染者が最高値をたたき出している。

静岡県でも1,400人台と小中学生をはじめ若い人が大半を占めているようだが、かかれば重症化するといわれる人に感染の主力が移ると深刻な状態になると心配されている。

しかし、人間おかしなもので毎日新聞に載っている感染者の数が静岡では静岡市と浜松市の間で抜きつ抜かれつと接戦を繰り返し、先日まで3人で静岡県で最低だった本川根町が30人越えとなっていると、なんだか相撲の星取表のように見えてしまった仕方がない。

周りを見ても親類や友達関係にまだ感染者がいないことがそうさせるのかもしれないが、不謹慎だと思いながらも、都道府県別では何位だとか、、、、、

 

 

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2022年1月25日 (火)

ハッとする

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晴れていさえすればいつでも富士山を見ることができる静岡でも時々ハッとするような姿を見ることができカメラを取りに家に帰る時があるが、たいていカメラを手にした時には姿が変わって平凡な姿に戻っていることが多いものである。

今日は午後になって晴れ上がったが、一昨夜来の雨で少しはげかけていた山頂が再度真っ白になって唱歌の歌詞のように、”頭を雲の上に出し、、、” 状態でなっていた。

 

子供のころ盛んに歌われた歌の中に、「真白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見るも いまは涙、、、」というのがあった。

昭和初期だったと思うが開成高校(?)の生徒が西風の強い海にボートで漕ぎ出し12人すべてが遭難死したことを悼んで歌われた歌で女性陣に特に人気が強かったように思う。

当時の男衆の中には、ただ可哀そうというだけでなく「金持ちのおぼっちゃんが天候を見る技術もないのに無茶な遊びをした結果、、、」という人もいたようで、自分も父親からそんな趣旨の話を聞いた覚えがある。

 

先日、今日は何の日という記事を見ていたら1月23日だったと書いてあるのを見て、今どきの太平洋沿岸は西風の一番強く冷たい時期になることから、、、、、、、、、

 

 

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2022年1月24日 (月)

ミカン焼け?

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毎年のようにこの時期になると庭にメジロのつがいがやってきて餌をねだる。

毎年来るといっても同じつがいではないと思うのだが、区別がつかないので同じように見えてしまうし、餌がないのにもかかわらず、植えてある椿の間からこっちを見ている。

先日来ミカンを切って枝や針金を通して軒にぶら下げているのだが、ほとんど食べつくしたと思って地面に放り投げ、次の餌をつけても、どうやらすると前の餌の方がうまいのか地面に落ちたものの残りを食べていることがある。

今日も今日とて、昨夜来の雨で食べ残しに雨水がたまっているにもかかわらずつがいで食べ残しをつついていた。

最近朝昼晩と時間をかまわずやってきていると見えて、あごの下を橙色にしたつがいが来ている。

人間もみかんを食べ過ぎると黄色くなるというが。

メジロたちも食べた餌飛び跳ねてついた色になったのではなくミカンの食べ過ぎて中から橙色になってきているのではないだろうか。

 

オミクロン株の急拡大に伴いほとんどの都道府県が蔓延防止の適用を政府に申請し、認められるようだ。

蔓延防止法が施行されると、酒類の提供が短くなったり提供されなくなるというので、あちこちの居酒屋などへ駆け込み飲酒が行われているとテレビは報じていた。

もう十分に酒を飲んでここ20年ほど飲み屋に行っていない身にとって「そんなに居酒屋の酒っていいのかなぁ」なんて思ってしまう。

たしか、古女房と二人酒もそんなにうまくはないが、居酒屋に行ったとしても歌は歌えなくなっているだろうし、見知らぬ人との話しもそんなにないような気がするのだが、、、、、

そういえば、酒を飲み過ぎると”酒やけ”すると言っていたが、、、、、、、、

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2022年1月23日 (日)

切り干し大根

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曇り空だったが大根切り干しをを作ることにした。

麻機たんぼの農道にはちらほらとからし菜の黄色い花を見かけるようになったので、大根も間もなく薹が立つだろう。

薹がたてば大根にㇲが入って食べようがなくなるのでその前に切り干しにしておいた方がよかろうと判断したからである。

大根の切り干しは日持ちもよく、よく天日で乾かすと風味も出てきておいしいものである。しかし、あったかい静岡ではいつでも食べるものがあるため、こんなものを作る風習が無いようで話をすると不思議そうな顔をされることがある。

写真のように三段に分けて乾かしては見たが、これで大根一本分であり、まだ畠にはかなりの数の大根が残っているのでその始末を仕切れるのか心配でもある。

 

 

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2022年1月21日 (金)

春 遠からじ

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大寒から立春にかけてが一番寒い季節である。

この季節になると思い出すのが飛騨の山奥の学校では”寒休み”という独特の休みが一週間ほどあった。

夏休みを少なくしての振り替え休みだったので夏休みの時は恨めしかったが、それも今ほど情報が流れなかった時代だったのでよほどのことがないと他校がどうなのか知らずにいた。

寒休み以外にも、吹雪が激しく登校しにくいと判断された日の朝7時半には社宅の電球が三度点滅すると、登校しなくてもよいという合図だったので、そわそわと電球を眺めていたものであった。

そんな吹雪が過ぎた後、時折真っ青な青空が広がる時があり、木の枝についた樹氷が解けてパラパラと降り注ぐ感触はまた気持ちの良いものだった。

 

「冬来たりなば 春遠からじ」

今日は、山の畑のハッサクを収穫した。

本当は、二月半ば近くまでおいておきたかったのだが、先日来誰かが来て盗んでいくようで採りやすいところが疎らになって空が透けて見えるようになってしまったためである。

自分たちは、この畑に行っても午前中に帰ってしまうことを知っての犯行のようで、大粒のものばかり20㎏以上の被害である。

幸いハッサクは涼しいところに保管しておけば熟してくるし、いつまでも採らずにいると木に負担がかかるといわれているので約150kgほどを3人で分けて家に持ち帰った。

 

 

 

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2022年1月20日 (木)

透かして見れば

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”大寒”の言葉にふさわしいような朝を迎えた。

とはいっても静岡の寒さはたかが知れていて、最低気温が零度前後でよその地域と比べるとあったかい。

畠の貯水槽に張った氷も3㎜あるかどうか、それを壊さないように持ち上げ透かして見ると、厚さが不ぞろいなためや氷の出来具合が一様でないためこんな模様の写真が取れた。

一仕事を終え十時半にはきれいに溶けてしまっていた。

 

 

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2022年1月18日 (火)

重いコートが脱げない

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重いコート脱いで出かけませんか

      もうすぐは~るですね

 

そんな歌があったよな。

麻機の一角に樹齢30年を優に越したこぶしの木があり、毎年見に行っている。

しかし、今日の冷たくて強い西風に会い、毛羽だった花鞘を少し脱ぎ掛けたものの迷っている風に見えた。

 

オミクロン株の急速な拡大により、感染者は3,2万人越えとこれまでの最高値を6,000人も更新したそうで、静岡でも昨日までの二日間は400人台だったが今日は600人越えになってしまった。

この調子だと重傷者も増えていき危機的状況に再びなってしまうのは明らかであろう。

先日来全豪オープンでテニス界一のジョコビッチ選手がコロナ対策を取らないとして、オーストラリア政府は入国拒否した。

テニスフアンと出身国セルビアは反発しているそうだが、「ルールに例外を認めず」とする方針を貫いた。

もし日本国ならどうだったのだろうか。

オリンピック時のバッハ会長に対する態度から見て、強いもにはなびいてしまい忖度をモットーにし、特例の処置をとった可能性が強いような気がしてならない。

 

 

 

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2022年1月17日 (月)

コロナかと

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水仙はふるく平安時代に日本に入ってきた花なのですっかり土着したのか、写真のような花を日本水仙というそうで、花の色などから無数の種類があるそうだ。

いずれもアルカロイドの強い毒をもち、ニラと間違えて食べ激しい食中毒を起こすのが毎年のように報じられている。

 

先日、明け方になって強い寒気に襲われた。

原因は、連れの湯たんぽが熱くて布団からはみ出していたためと思っているのだが、目覚めたときにひょっとしてコロナにかかり熱が出て寒気が走ったのかと思ってしまった。

布団の中に潜り込んで、どこで感染したのかを考えてみた。

感染したのなら、その後濃厚接触者は誰になるのか、一週間くらい前からの行動を振り返ってみたが、なかなか思い出せないでいるうちに二度寝に入ってしまい目覚めたのはそれから二時間余あと、、、

起きだしてみるといつもような気分であり、熱も咳も感じられない。

体温計で熱を確かめ、それでも一日用心をして家から出ないでいた、、、、、

それから一週間、いまだに異常は感じられないので最初に思った布団からのはみだしと確信している。

 

今日山の畑の隣の耕作者と話をしていたら「コロナめもここまで追ってこられまい」といっていたが、街並みを見下ろす山の斜面に作った段々畑は周りの木が風をやわらげ、あったかい日差しを受けて一足早い春の気配を感じて午前中を過ごした。

 

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2022年1月16日 (日)

ごく平凡な

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富士川の河川敷から見た新幹線と富士、一時間に上下合わせて10本以上は通過するため天気さえよければ何度でもシャッターチャンスはやってくるごく平凡な写真である。

朝早くとか夕間暮れで富士山に陽があったりとかは近隣の人かプロに任せるとして、今日のような写真は誰にでも写せてしまう。

 

午前二時を回ったころいきなり携帯が大きな音を立て”津波警報”を叫んでいたが、自身の気配もなかったし海からかなり奥まっているところなのでそのまま寝入ってしまった。

朝起きて「どんなんかなぁ」なんて思いながらテレビを入れると昨日南太平洋のトンガで海底火山が噴火した影響で日本に津波が押し寄せたとのことで、NHKなどは延々と同じ内容の放送をしていた。

そんな放送を何時間も聞かされると、さすがに嫌気がして自動車で少し遠出をしてしまった。

今年は新年早々、新型コロナウイルス騒動に津波が加わり大学入試を控えた受験生には難儀な年になってしまった。

今回の津波は地震とは関係がなかったことで、気象庁は津波の警報を見誤り真夜中の発令になってしまったことを弁明していたが、チリ沖地震の時もそうだったように障害物のないときは水面深く進行し防波堤や急に浅くなったのような場所で正体を現す津波を察知する感覚がなかったといえばそうなる。

「経験のない事案である」と一所懸命に弁明するほど機械に頼った予報の出し方、硬直した移行回路が透けて見えてしまったのは自分の根性悪のせい、、、、、、

 

 

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2022年1月15日 (土)

寒さ慣れ?

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そんなにでもないと思っていたが、昨夜も随分と冷え込んだようでヨモギの葉は白く縁取りされていた。

これって寒さ慣れをして、以前なら寒く感じていた気温でもそうでなくなったのかもしれない。

裏の畑で風よけの不織布を手入れし、少し鍬を扱っただけで帰ってくれば身体中ホカホカしていたが、この時期畑をかまうことができるのは暖国ならではのことであり、飛騨でなら屋根雪下ろしという”雪またじ”愚にもつかない仕事になる。

 

今日一月十五日はむかしなら成人の日であり、小正月でもあった。

暮れについた餅もほとんどを食い尽くし、前日に青年団が山から切り出して立てた高さ5mくらい杉の周りに正月飾りや、金銀赤の札が付いた書初めが周りを囲んで左義長の準備が整っていた。

時間になると、火がつけられた飾りなどが赤々と周りの雪を染め、長靴が買えなかった子供たちは親が作ってくれたズンベとこれまた藁で作った被り物で火を囲み囃し立てた。

何と言って囃したのか今では覚えがないが、早く餅を焼きたくて 焼きたくて、、、、、

 

 

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2022年1月13日 (木)

罰当たり

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村のはずれのお地蔵さんは 

     いつもにこにこ見て御座る

 

石地蔵の頭にとまったジョウビタキ。

泊まり心地が良いのか、何度も止まっているようで頭頂部には白く糞のあとも、、、、

人間なら罰当たりなのだろうが、仏教を信仰していないジョウビタキにはただの見張り台。

地蔵さんも心得て罰なんか当てない。

 

新聞によると豚の心臓を人間に移植したそうだ。

もしこれが成功すれば、ひっ迫している心臓はおろか内臓移植にも発展するかもしれないとのこと。

心臓移植を承諾した患者もだが、すごい時代に入ったものと思う。

 

そのむかし、聞いた話なのでどこまでが本当かは知らないが、当時鉱山の独身寮では賄いのあまりものを主にして豚を飼い、正月前に殺して食卓に供していた。

ところがある寮で、正月まで待てないと豚の尻肉を切って食べたそうだが、豚の方はその痛みがストレスになったようで、正月前には体がやせて肉もまずくなり後悔したとか、、、、

いまなら、動物虐待で大問題になりかねないことだろうが、「まったく罰当たりなことをしたものである」

 

 

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2022年1月12日 (水)

残照を跳ね返して

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残照を浴びて光り輝く山茶花の花。

庭の一角、夕方でないと日が当たらない条件の悪いところだが、定められた土地で精いっぱい生きようとする山茶花が素保夕日をはねのけるようにして花びらの赤色を通り越してまぶしく光り輝いている。

 

新型コロナもオミクロン株にほとんど入れ替わっているようでその繁殖率の高さは今までにない広がりを見せている。

静岡県で去年の九月以来と言われる200人余、全国では12,000人越えの感染者を出しているそうだ。

若いころ山スキーをした際、大きな木を右左と避けながら下ってきた事があったが、雪の下に隠れていた小さな木に足を取られその先の大きな木にぶつかったことがあった。

今それを思い出したのは、アルファ ベーター ガンマ デルタ と避けてきたコロナに何かのはずみで今回は避けきれないのではなないかって気さえしている。

もちろん、昨年六月に二度のワクチンを接種しているのだが、「そんなの関係ない!」とばかり観戦しているそうで、、、、、

 

地震を避けるのには「くわばらくわばら」と唱えると聞いたがコロナにはどんな呪文があるのやら。

 

 

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2022年1月11日 (火)

急ごしらえの春

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冬至から二週間余、日脚もかなり伸びて梅一輪の温かさを感じるようになってきた。

ロウバイはその光を名前のもととなった花びらを透かして昨年の葉っぱを残したまま急ごしらえの初春を寿いでいた。

 

昨年の暮れ行った床屋談義を一つ。

床屋の知り合いに若い時から頭の毛の退化が早かった人がいて、七十歳過ぎ迄カツラをつけてごまかしてきたが、もう煩わしくなりやめたいと思うのだがどんなふうにしたらよいのか迷っているそうだ。

いきなり外すと人相も変わり、人目も気になるとのことであった。

そういえば、自分の友達にも二十代後半から禿はじめカツラをかぶっていたが、転寝しているときカツラが外れたのを、五歳くらいの長男が初めて見て、震えあがってしまった。という話をした。

いまだに白髪ながら髪の毛が豊富なものから見ると、禿を隠す人の気持ちがわからないのだがいろんな障害を持つ人のようにその人の特徴として見られられない世間というものがあるに違いない。

テレビでは、青蜜柑からできたサプリメントがいいの、卵由来の付け薬がいいのと宣伝しているが、片隅には必ず「本人の感想であり薬効ではありません」と書いている。

一方ではアートネィチャ~なんてつけ髪の宣伝も多い。

結局、抜けた髪を元に戻すのは無理ということらしい。

韓国の大統領選の公約の一つに「増毛を保険でできるようにする」と述べた人もいたそうだが、そんなことをわざわざ公約にあげるほど重大事なんだろうか。

いや、髪の毛の少ない人にはそれほど深刻なようだ。

 

 

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2022年1月10日 (月)

成人の日

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写真は昭和三十四年に映した成人式の集合写真である。

鉱山町の一角、栃洞地区の銀嶺会館というところに集まった二十歳の若者である。

栃洞抗関係で働くものがほとんどで大学生は一人もいない。

数えてみると四十三人であるが、鉱山高校の同級生が何人か欠けているところを見ると、実際に成人式に招待されていたのは持っといたはずである。

すべてが鉱山従業員というわけでもないが、栃洞地区だけで鉱山には同じ年の人間がいたことになり、このほかに鹿間地区、大津山地区、山の村地区などの従業員を合わせると200人近くの従業員を毎年採用するほどの企業であったわけだ。

自分たちは十七歳で鉱山の坑内勤務に入ったため、この時期になると世間並みの給料を稼いでおり、この式場には一張羅の背広を買って臨んだ。

女性もそんな時代だったこともあり、今のようなど派手な衣装はおろか振袖姿のものは一人もいないことがわかる。

 

ライオンやクマなどをはじめ野生の動物社会では、子供がある歳に達すると自分から親離れをするものやライバルとして群れから追い出されることが多い。

その後は自分の力で生活するしかないのだが、このころまでは人間もそうだったのではなかっただろうか。

とにかく親に反抗し自立することが一人前の男と思っていた。

 

ちなみに自分は、最後列左から四番目、(画像をクリックして見て)、、、、いまでは見る影もないけれど、、、、、。

 

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2022年1月 8日 (土)

雪が舞って

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昨日降った静岡市内の雪、静岡っ子を相当喜ばせたらしい。

今日の午後になって行った友達の奥さんが積もるまではいかなかったが雪の舞う姿を見て大騒ぎをしたと笑って言っていた。

なんでも二十一年ぶりだとか、、、、

静岡市南部のランドマークともいえる竜爪山は1,068mという高さを持っているが「この山に三度雪が降ると春が来る」前から言われている。

しかし、地球温暖化のせいか昨年は一度も白くなったのを見ていない、ふるさと飛騨では1,000mを越せばとっくに1m近くの積雪があるはずだが、幾重もの山脈にさえぎられて静岡には到達することはできていない。

なので、この写真のように高山でありながら、樹木の先端が少しばかり白くなった程度にしか降らない。

 

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写真は昭和29年の大津山社宅 軒下の雪は明り取りのため除雪している

 

いまでこそ、飛騨も雪の量が減っているようだが、昭和38年に標高800mの大津山鉱山社宅で積雪7m以上という記録がありほとんどの社宅が雪の下に消えてしまったことがあった。

積雪7mというのは山の斜面ではあったが、電柱と電柱の間の垂れ下がった電線が雪の表面を掃くように揺れていたと聞く。

そんな話をしても、静岡の人にとっては想像できる話しではないとのこと、旅行で行った白川村の雪が1mを超えていただけで驚いたそうだから、、、、

 

もう15年ほど前になるが、写真の竜爪山に連なるその奥に真富士山というのがあり標高は1,500m余の高さがある山に静岡の人と登ったが、その人も雪慣れしていなくてへっぴり腰で歩くものだから余計に足を取られて転び、自分の歩き方に感心すると言っていた。

しかし、それから遡ること10年ほど前東京に行った折やはり雪の降った後だったが人に踏み固められビル風で固く凍った道は今までに一番おっかない道だった。

東京ってのは地図で見るとかなり平らな都会だと思っていたのに実際に行ってみるとかなり凸凹していて、上り下りがある。

おまけに、お得意様のところに行くというので革靴で行って、、、、、、

だから、テレビで見て人が転ぶのを「ばかだな~ぁ」と笑う気がしなくなった。

 

 

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2022年1月 7日 (金)

銀色の道

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昨日の雪は麻機沼あたりでは数ミリの積雪となって遊歩道の上に積もっていた。

普段は真っ黒な塗料が塗ってある歩道も今日は真っ白に塗装されたように光っている。さしづめ”銀の道”といったところか。

しかし、塗装の薄い分だけ消え去るのも早く、太陽がこの歩道を照れし始めると10分ほどで化けの皮がはがれるように元に戻ってしまった。

それでも、静岡人にとっては珍しかったようで、「雪が降った!」と大騒ぎをしていた。

 

今日一月七日は七日正月、少し材料が足らなかったが七草粥で胃腸を整えるつもりだったが、結局は食欲に負けて、神棚と仏壇から降ろした小さな鏡餅を金槌で壊し、石油ストーブの上にのせて焼いて食った。

考えてみれば、自分たちの子供のころからの行事もかなり減ってしまった。

初日の出を見た帰り、あちこちの家では松飾りやしめ縄などのほか国旗も出している家はごくわずかとなり、日中になっても子供の声が聞こえる家もないに等しい存在になった。

爺婆二人暮らしの我が家に至っては一日の雑煮、二日の汁粉などは神棚仏壇にあげたものの、燈明は大晦日にあげたまま忘れてしまい、初参りもいまだに行っていない。

時代の流れといえばその通りなのだが、、、、、、、

 

 

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2022年1月 6日 (木)

意外と小心者

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朝の九時過ぎになって雨が降り出した。

気温はそんなに低くはないと思ったが空一面の雲は体感温度をより低く感じさせるようで肌寒いのはそのせいと思っていた。

しかし、いつもに比べて降る雨の様子がおかしいと思ってみると雪交じりの雨、氷雨とまではいかないが時おり横に流れるものが混じっていた。

しかしその雨も本格的に降りだすとかなり激しい雨になった。

テレビの報道では、関東地方には雪が積もりだしたとか静岡でも中心街で雪が舞っていた様子が映し出されていたが、郊外の我が家近辺はその気配はなかった。

 

暮れに映した心臓のCT解析を聞きに県立総合病院へ行ってきた。

きっかけになった胸の痛みは消え、レントゲン、エコーにも異常が見られなかったのでCTの方も大丈夫という確信みたいなものがあったが、それでも内心心配だったのか受付時に計った血圧の上が160㎜台で下が80㎜台という異常をきたしていた。

最初に計ったのが145㎜台だったので「高めが出ているけど、、、」と思ったが、そのまま受付に出したところ、「もう一度計ってみてください」と言われた時から上がってしまったようで、何度やっても同じような数字しか出てこない。

”心臓に毛が生えている”と自負していたのにこんな結果が出るとは案外小心者だったなと思うことしきり。

で、診察室に入ってCTの画像の拡大したわが心臓にお目にかかったのだが、結果的には二股に分かれた心臓に張り付く血管にごくごく小さな白い点があるだけで他には何の異常もないことで、いたって健康という診断を受けた。

白い点は、石灰の塊ではないかということだったが、全然問題のない大きさで血管は普通より大きく柔軟性があると褒められたため、うれしくなってつい「毛が生えてませんネ」なんて駄洒落を飛ばしてしまった。(ひんしゅく)

 

 

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2022年1月 5日 (水)

トラトラトラ

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今日は”小寒”というには珍しく風も凪いで暖かい日差しがうれしい一日だった。

 

島田市の旧金谷町大代に毎年年末になると藁で巨大な干支の像を作る。

この前に行ったときは鶏だったから、今年の虎は五年ぶりになる。

昨年はコロナ下でもあり中止だったので、コロナが小休止をしている昨年暮れに制作することになったそうだ。

行ってみると親子三頭の虎をあしらった高さ2mは優に超える巨大な虎が並んでいた。

さしづめトラトラトラといったところか。

藁の茶色に黒い縞模様はいかにも迫力とリアル性があり最近にない傑作と言えるのかもしれない。

正月休みも済んで、人込みも少なくなったことだろうと出かけてみたが、ちょうど「歩け歩け」の団体と思われる人々が来ていてその賑わしいこと、大きな音がするホイッスルを鳴らし、、、、どうして集団になるとこうも煩いのだろうか。

 

トラトラトラというと、昭和40年代と思っているがこの題名の映画があり、太平洋戦争の始まりとなった真珠湾奇襲攻撃で、日本の飛行機がに突っ込むときの暗号だったということになっていた。

モールス信号暗号も詳しくないので、なぜこの信号がだったのかはわからない。

一方、二十代のころ宴会の酒席に呼ばれた芸者と”トラトーラトラトラ”という遊びに出されたことがある。

なんでも鉄砲撃ちの猟師とおかみさんと虎の形を一人が屏風の陰に隠れて囃子が済むときどちらが勝つかを競う競う遊びで、一種のじゃんけんぽんであった。

お座敷遊びだけにどれだけ滑稽に演じるかが座敷を盛り上げるかだが、鉱山全盛期のころいた数十人の芸者も今ではいないそうで、ふるさと神岡ではもうこんなお座敷芸はないことだろう。

 

 

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2022年1月 4日 (火)

無念である

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収穫をあと一か月ほど後にしたハッサクに太陽の光がさんさんと降り注ぎ黄金色の実をより鮮やかな色に染めている。

そんななか、今年のカラスはたちが悪い。

初日の出を見る途中に立ち寄った畑のハッサクの下に無数の八朔が穴をあけただけでほったらかしになっていた。

きれいに食べてくれるなら、少々は仕方ないと思うのだが、、、、、、、、

現場を押さえたわけではないがこんな仕業はカラス以外にはないだろう。

畑に向かう途中無数のカラスが飛び回っていただけに、状況証拠としてはカラスの色同様黒と言ってもまちがいないとおもう。

正月以来ほとんど家にいたため運動不足解消もかねて今日はハッサクの木の周りに水糸とキュウリの手になる網を張ることにした。

昨年の秋、食べごろになった干し柿も盗られているだけに、カラスの死骸を吊り下げるなど厳罰に処したいところだけど、最近の法律では動物虐待などと言われかねないのでこの程度の自衛策しか取りえないのが無念である。

 

新型コロナウイルス、オミクロン株の侵入を少しでも遅らせようと検強化で頑張ってきたが、全国あちこちで市中感染がはじまり、感染者が増えてきた。

その原因の一つがアメリカの基地という大きな抜け穴がふさげなかったことにある。

基地内に直接入るアメリカ人に何の手出しも出せない日本国、その基地で働く従業員や基地から抜け出る軍関係者を通じて基地のある沖縄や岩国、横田などが侵入口になっている。

お願いするだけしか手の打ちようのない政府、、、、、、、

まことに無念である。

 

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2022年1月 2日 (日)

爺婆殺し

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山の畑のそばに実る金柑。

名前のように金色に輝いている。

どんな種類なのかは知らないが、一般のキンカンに比べて一回りも二回りも大きいい。

毎年のようにたわわに実をつけるのだが、今期は特に多いようだ。

 

久しぶりに浜松に住む孫が訪ねてきた。

家による前にうちに来たそうで、「ここが一番落ち着く」なんて言われるとじいじとばあばは喜んでしまってあれも持って行けこれも、、、となんでも差し出してしまう

幼いころから、共働きの両親が忙しく、保育園の送り迎えや入院した時の付き添いなどもし、眠れないときは自動車に乗せて麻機周りを巡回して寝付かせたりなどかかわりが深かったせいもあってのことと思う。

浜津に就職してからは年に何回かしか来れなくなったが、。。。。

 

28歳になったのに見ているだけで目じりが下がる爺婆殺しである。

 

追:福井の大学に行っているもう一人の孫、早くから帰ってくると言っていたが年末の大雪情報で帰るのを断念したと言ってきた。

理由として、北はいいが福井に帰る際車が渋滞して立ち往生するのが怖いからだそうだ。

そういえば、昭和30年代飛騨から名古屋近辺の紡績工場に働きに出ていた子供たちが、正月の豪雪で記者が動かなくなり、職場に帰れなくなったことが度々あったのを思い出した。

今日福井の孫からメールがあり、「こんなんならかえればよかった」といってきたようだが、、、、、後悔先に立たずの典型か。

 

 

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2022年1月 1日 (土)

静々と

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今年も初日の出を拝むことができた。

七時五分 いつものようにしずしずと日本平の肩のあたりから登ってきた太陽は普段の太陽とは変わらないはずだが、冷たい風に身を引き締めているせいかいつもとは違うように感じられる。

少し前までは、小高い山の尾根筋のこの場所は10人ほどのご同輩がいて、酒やビール焼酎とそれぞれが持参したもので日の出を待っていたものだったが、一人欠け二人欠けして昨年から自分一人になってしまった。

もうあの頃に戻すよしがもないことだが、山の草はぼうぼうと生い茂り、時の流れの非情さを否応なしに感じさせてくれる。

 

帰ってからしばらくして年賀状が配達されてきた。

出す分が減っただけに、配達された年賀状も薄っぺらなものになったが、今年もこれで牙城のあいさつを辞退するという内容の葉書が四枚もあった。

故郷にいた時代の友達ばかり、いずれはこういう事態になるとは思っていたが、それでもどちらかが亡くなるまで賀状のやり取りだけはして欲しかったのにと思う。

「老兵は死なず ただ消え去るのみ」とダグラス マッカーサーはアメリカ議会で演説したそうだが、友達の賀状辞退はただ面倒くさくなったからとは思いたくない。

 

なんとしても、新型コロナがインフルエンザ並みになり自由に出歩けるようになれば、また人の心も変わってくるのではないか、、、、、、

そして、また顔を合わせることがあれば賀状の交換も復帰するのではなかと淡い期待を元日に祈願するばかり。

 

 

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