急ごしらえの春
冬至から二週間余、日脚もかなり伸びて梅一輪の温かさを感じるようになってきた。
ロウバイはその光を名前のもととなった花びらを透かして昨年の葉っぱを残したまま急ごしらえの初春を寿いでいた。
昨年の暮れ行った床屋談義を一つ。
床屋の知り合いに若い時から頭の毛の退化が早かった人がいて、七十歳過ぎ迄カツラをつけてごまかしてきたが、もう煩わしくなりやめたいと思うのだがどんなふうにしたらよいのか迷っているそうだ。
いきなり外すと人相も変わり、人目も気になるとのことであった。
そういえば、自分の友達にも二十代後半から禿はじめカツラをかぶっていたが、転寝しているときカツラが外れたのを、五歳くらいの長男が初めて見て、震えあがってしまった。という話をした。
いまだに白髪ながら髪の毛が豊富なものから見ると、禿を隠す人の気持ちがわからないのだがいろんな障害を持つ人のようにその人の特徴として見られられない世間というものがあるに違いない。
テレビでは、青蜜柑からできたサプリメントがいいの、卵由来の付け薬がいいのと宣伝しているが、片隅には必ず「本人の感想であり薬効ではありません」と書いている。
一方ではアートネィチャ~なんてつけ髪の宣伝も多い。
結局、抜けた髪を元に戻すのは無理ということらしい。
韓国の大統領選の公約の一つに「増毛を保険でできるようにする」と述べた人もいたそうだが、そんなことをわざわざ公約にあげるほど重大事なんだろうか。
いや、髪の毛の少ない人にはそれほど深刻なようだ。
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