寒紅は
寒紅は 無常の風に 誘われて
つぼみし花の 今ぞ散りゆく
常盤木と 思うていたに 落ち葉かな
いまから250年ほど前飛騨で大原騒動という百姓一揆があり、その頭取の一人として囚われていた本郷村善九郎という若い青年が処刑された。
その4日前に、家族のもとに手紙とともに届けられた辞世の句である。
徳川時代は平和で過ごしやすかったという人もいるが、どちらかというと幕藩体制の中人々の要求には耳を貸さず、強権的に抑え込む今の中国のような社会であった。
とくに飛騨は”下下の国”と言われるほど鳴り物の少ない土地柄の上、冬になると雪に覆われて食べるものが極端になくなるところで生活は厳しいものがあって飢饉で一村全滅などの被害も何度か出ている。
そんな中、よく観光テレビに出てくる高山の陣屋にいた幕府の代官大原彦四郎というものが、自分の出世をもくろんでさらに年貢の増加を図ったことが原因で、二度の百姓一揆をおこされている。
このいきさつは飛騨では長く語り継がれている。
とくに、本郷村善九郎は処刑されたのが18歳とかと言われているが、この歳で一揆の頭取になるということがずっと不思議であった。
ひょっとして、ずるい大人にまつり挙げられたのじゃないかと、、、、、、、
江戸時代を通じて百姓一揆はあちこちで発生しているが、物なりの豊かな静岡ではそんなことがないと思っていたら、先日静岡の新聞に田中藩の厳しい取り立てに増田五郎衛門という人が強訴をして処刑された。という記事があった。
ただ冬でも何かしら食べるものがある静岡では飢饉で餓死したことはないと思っているが、、、、
ひょっとして
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