江間の小四郎
写真は飛騨市神岡の神岡城。
小さな町の大企業だった三井金属神岡鉱山が100周年だったかの記念に建てて町に寄付したものだった。
この場所にはもともと沖野城というものがあったようだが、ここを治めていた江間氏の出城であり、こんなに立派なものだったかどうかはわかっていない。
先日NHKの大河ドラマを見ていて驚いたのは、鎌倉幕府の執権になった北条義時の名前が江間の小四郎義時だったことであった。
というのも、この城の主になった江間氏の初代が江間の小四郎輝経だと聞いていたからだった。
聞いた話では平経盛の子、輝経が北条時政に育てられたことになっているが、義時の親が同じ名前を子供と育て子に同じ名前を付けるはずがないと思う。
神岡の江間氏は紋所を三鱗にしているが、この紋所も北条家の紋所と一緒なのだが、系図も紋所も箔付けだったのではなかっただろうか。
今日は、北陸から北日本にかけて爆弾低気圧とかで風が吹き荒れ道も何もわからなくなる気象で自動車事故が多発しているそうだ。
こんな日に自動車を出すというのはよほどの事情があってのこと思うが、、、、、
その余波は、静岡でも影響があり、国道一号の高架を走行中風にあおられてホロ付きのトラックが横揺れしていたので、スピードを落として間隔をあけて帰ってきた。
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