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2022年4月 6日 (水)

スミレの花咲くころ

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すみれの花 咲くころ、、、宝塚少女歌劇メインソングとしてよく知られていて、この曲に日本語訳をつけた白井鐵造さんは静岡県の旧春野町出身だそうであちらでは非常に有名な人だった。

この歌はもともとはドイツいやオーストリアの詩で、はじめはニワトコの花だったそうだが、フランスではリラの花になり、日本ではより一般的なスミレになったとかでいろいろな国で花の名を変え愛唱されてきた。

そのすみれの花も最近では種類が増え、同じ仲間のビオラやパンジーなども含むと花の色も多種多様になってしまった。

しかし古い人間の自分はスミレの色といえば濃い青紫しか思い浮かばない。

 

この頃の流行りはウクライナの戦争と言っては顰蹙を買うのだが、連日ワイドショーはこの放送に多大な時間を割きコロナの問題は片隅に追いやられてしまった。

そして、ウクライナのニュースでは首都近辺に進出していたロシア軍の一般市民に対する残虐行為に集中している。

戦争というものはいつもこういう状況を作り出している。

なので、戦争は反対しなければならないのだが、これによく似た話は鉱山に努めだした昭和30年のころによく聞いた。

当時は第二次世界大戦が終わって10年余、職場の先輩のほとんどは兵隊経験のある人々ばかりだったが、自慢げに語る人もあれば、逆に一切口にしない人の両極端であり、自分の父親は一切口にしない方だった。

そのなかで、ソ連抑留を経験した人から聞いたのは、ソ連兵が満州に攻め込んできて日本兵が降伏した時点で時計などを片っ端から取り上げ拒否すればすぐに鉄砲を向け殺人してまで取り上げたそうで、中には腕にかなりの数の時計を巻き付けている兵士もいたとのことであった。

そして、捕虜となった日本人にはかなりの暴行もあったそうだが、その兵士が宿舎で合唱すると、プロの合唱団みたいなハーモニーで歌ったそうで、それを聞いた人は「歌は人々の人柄を現し、慰めになる」という言葉を聞いて「そんなことあるもんか」と憤っていたのを思い出す。

そんなこともあって、ソ連経由の労働歌には背を向けていた。

 

 

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