八十八夜
きょうは立春から数えて八十八日目、世にいうお茶の摘みごろだという。
静岡ではもう一週間ほど前から走り新茶というものが出回って、こんな爺さんのところにも届いた。
しかし、残念なことに爺さんにはその値打ちが分からない。
むかしの唱歌と言われるものの中に”茶摘み”というのがあって「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る とんとん、、、、」という歌詞は知らないものがいないほど有名で、爺さんの子供のころには女の子が手遊びを含めて歌っていた。
こんな有名な歌なのに、作詞作曲が分からないそうだ。 いったいいつごろからの歌なんだろう。
そんなお茶なのだが、最近は高齢化と値段がが低くなって手入れをする人も少なくなり、耕作放棄された畑が広がっている。
そこで問題なのは、手入れされたお茶の木は低くて畝の間が歩けるのだが、生命力が強く物の2年ほどたつと丈が一㍍を超し、それこそ人が入れなくなってしまいタヌキや猪の住処になってしまう。
同じように竹林もその繁殖力で周りの木々を圧倒し範囲を広げているが、今に静岡の低山地帯は竹とお茶で生産力のない山になってしまうのが目に見えていてざんねんである。
| 固定リンク
コメント