キーキリのチンクロ
今日も午前中を中心に激しい雨が降った。
青空の下では輝くように映える百日紅の花も大量の雨に打たれて垂れ下がってはいるが、さすがに夏の花だけあってうつむいた花びらの先端に露をため置き「水も滴るいい女」を演じていた。
19歳の今頃だったか、、、、、親方が「キーキリのチンクロ」を取ってきてくれ」というので何のことかわからないまま資材置き場に行って聞いた。
昭和三十三年、坑内作業は労働基準法で18歳以上でなければ出来ないので、18歳になるのを待ちかねて同級生15人とともに雑務員6級として実習に入った。
当時は戦争が終わって12年。神岡鉱山の栃洞抗には志願してか、徴用工だったのか知らないが朝鮮からの人が20数所帯働いていた。
そのうちの一人が、自分の初めての親方であった。
戦争中には欧米人の捕虜を含めて朝鮮人も沢山いたそうで、敗戦とともにそれぞれの国に引き上げていった中で残った人々だった。
捕虜虐待で戦争犯罪人も出たそうだが、朝鮮の人々からは徴用工問題で訴えられたとは聞いていないので、いま訴えられている会社よりは、、、、、、だったのではなかったのかと思いたい。
ともあれ、すべての人は金山、山本、橋本など日本姓で働いており、自分たちが入った中堅社員を作る目的の鉱山高校にも何人か卒業し三井金属鉱山労働組合の中央執行委員にさえなった人まであったくらいの企業風土であった。
そんななか、日本育ちの二世は日本語がペラペラだったが、さすがに一世は、、、、、、
ということではじめに出てきた「キーキリのチンクロ」は「9kgのジムクロウ」という道具とわかるまで手間取った。
ちなみに「9kgのジムクロウ」は1m当たり9kgのレールを曲げる道具のことで坑内の切羽(掘削現場の先端)に敷かれる一番細いレールである。
思い出したくない苦い話しは時々胸を刺すようにして蘇るが、忘れないでとっておこうとする思い出は時がたつにつれて霞んでいく、、、、
こんな雨の日は、せめて忘れないでおこうと思う話しを温めて、、、、、、、
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