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2022年11月 6日 (日)

藤波橋は

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朝まだきに宿出て散歩に出かけた。

きのう自動車を走らせながら見かけた西里橋からの藤波橋は鮮やかな紅葉で輝いていたが、今日は一変して雨さえ降りだしかねない空模様になって、紅葉もくすんでいる。

「きのう時間を作って写しておけばよかった」と思っても「むかしを今に為すもよしかな」と静御前が歌ったように、、、、

藤波橋はいつの頃建造されたのか知らないが自分のいとこがこの橋を渡っていた時関東大震災で橋が波打って揺れたと言っていたので昭和初期のことかもしれない。

その前は板橋でさらにその前の江戸時代には籠の渡しがあったそうだから古くから交通の要所だったに違いない。

この橋から上流は藤波八丁といい景色のきれいなところで知られたが、一方で”八幡地獄”とも言われて何人か転落死した場所として怖がられていた。

自分たちの若いころは、さらに上流から河原に下り、水中眼鏡とヤスで魚獲りと川遊びをしながら川下りをしたが藤波橋たもとは下水の落ち口がありその手前で川から上がるのが常であった。

 

そんな思い出の詰まった故郷の川は今日も昔と変わらず流れていく。

 

 

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コメント

岡崎在住さま

よくこんなものを見つけてくださいました。

とりあえず粗読みをしましたが、もう設置場所まで坑道掘削が住んでいるんですね。
斜坑で下っているように書いてありますが、二十五山の真下でも地表から1,000メートル下というのは市街地並の高さなのでそこまでは下がっていない場所なんでしょうね。

投稿: オラケタル | 2022年11月18日 (金) 21時59分

先日(11月13日)実施のハイパーカミオカンデ講演会のアーカイブ(記録)で御座るよ。34分前後から掘削やコンクリ吹き付けの状況の説明があるよ。検出器設置の空洞が新前平の直下かどうかは分からんねぇ~^^;

https://youtu.be/ZvIv_ZgXL8Q

投稿: 岡崎在住 | 2022年11月18日 (金) 09時04分

岡崎在住さま

多分ガマは出ないでしょう。
あれは強い熱で岩石が溶け冷える時に出来るもので鉱床の真ん中ぐらいでないとありませんでした。
自分も進さく員のころ何度か当たり一番大きかったのは直径1mくらいのにあたりましたが、静岡へ引っ越しの際みんなに配り小さなものしか残っていません。
今でもあの大きなガマの中に入った思い出は新鮮です。

投稿: オラケタル | 2022年11月 9日 (水) 22時00分

前平十字路さま

もうハイパーカミオカンデの工事に入っているのですか?。
この辺から水平に入ると通洞レベルからマイナス200位ですかね。
下部係の事務所があった付近になるのかな、、、

神岡に行った11月3日はそれはそれは良い天気で、雲一つないと言っていいほどでした。

投稿: オラケタル | 2022年11月 9日 (水) 21時51分

Google mapの2Dで見ると、排滓上のクネクネ自動車道の最後のカーブ辺りの西側に坑道入口が設置されて、クネクネ道路の一部に橋を架けて、ズリはその橋の下から排滓に直接に運び出す感じですな。 そやで排滓がズリの堆積場になるもんで効率がええさな^^; 3Dの方は最新画面ではのうて昔のままやでガックリやな(笑)ズリにガマが混じっておらんかなぁ。紫水晶のヤツが欲しいけどね^^;

投稿: 岡崎在住 | 2022年11月 8日 (火) 20時07分

久しぶりに帰省されたようで、お疲れ様です。
オラケタルさん家の墓所に上がる道(小学校への道)の上の斜面、木が切られて吹き付けがされ、様子が変わっていたのではないでしょうか?
ハイパーカミオカンデの建設も順調なようですね。
今、砕いた岩盤を運び出している抗口(排滓の上の、栃洞道の横)が巨大水槽の下部に至る坑道入口になり、その上部入口は昔の坑道を使う、との話だそうです。
まぁ、栃洞抗長の判断云々はさておき、、第三世代の新鋭施設が、我々が暮らしていた土地の下に出来ると考えれば、あの世に行って旧友に会った折の土産話くらいにはなるのでは?
そういえば、神岡におられた間、二十五山周辺は追分霧が流れていませんでしたか?

投稿: 前平T字路 | 2022年11月 8日 (火) 12時03分

岡崎在住さま

五十年前ですか、早いものですね。思い出はいつでも引き出せるもの、、、
私もこの橋のわきを通って学校に通いました。六十三年前です。
コースは逆で旭が丘から木地屋まで約45分。「高校生は歩け」ってことで通勤ロコは乗せてもらえませんでした。
藤橋付近はいつもラジオで”明るいナショナル”の歌の番組があり家の窓から聞こえていたのを覚えています。


カミオカンデは最初栃洞に話があったのですが、当時の坑長(課長クラス)の気の小ささが影響して断ったため、小松茂住坑長に話が行って決まったとのこと。

茂住や円山坑に比べると、栃洞の方が固い岩石で出来ており、九番鉱床にはこんな空間がいくつもありました。

当時の栃洞坑長がしっかりしていれば、、、、、

投稿: オラケタル | 2022年11月 7日 (月) 21時21分

この写真の左手に神工同級生(上宝村田頃家)の下宿先があって懐かしいね。もう50年も経つけんど、鉄橋は頑丈というか、しっかり腐食防止(錆止め)やコンクリ補強をやって御座るんやろね^^;

ところで、栃洞の和佐保入口からのハイパーカミオカンデ建設は2027年の実験開始に向けての発掘(excavation)は順調で、来年2月に坑道整備は終了とのこと。一日に4回の発破やそうな。岩盤が頑丈やもんで、ロックボルトの補強はなしで、吹き付けコンクリで仕上げやそうな。因みに落札業者さんは鹿島やそうです。^^;
https://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2022/feature/02/index.html

投稿: 岡崎在住 | 2022年11月 7日 (月) 09時59分

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