歳とりも済んで
新年を明日に控えて麻機沼もにぎやかさを増してきた。
北国から寒さを避けて水鳥が避寒にやってきた。
取りようによっては正月休みに帰省する人々にも似ているのかもしれない。
今年も大晦日は黒豆 数の子 田作りにぶりの塩焼きで飛騨風の歳取りをした。
これで、昔風に言うと数え年の八十五歳になったことになる。
むかしはと言っても八十歳超えはよぼよぼの年寄りがと思い、知り合いのおばあさんが一時間ほど歩いて我が家に来た時には「交通事故にでも会ったらどうするの?」と怒ったが、その時のおばあさんの年齢をとっくに過ぎてしまった。
いま思うと、そのおばあさんはこちらが心配するほどの道のりと思っていなかったかもしれない。と同時に、子供たちは自分のことを同様に見ているに違いないと思うと、、、、、
”歳月は人を待たず”というが、この先十年というとかなり長く感じてしまうが、過ぎ越し方を見るに八十有余年は一瞬だったようにも感じ、静岡に来て四十四年はやっとこのあいだという感じだし、仕事をやめて二十年と少しは昨日のようにも感じている自分がいる。
体力は年に月に衰えているが自覚するのは重いものを持った時、長い時間動いた後に感じる。
かかりつけ医は「疲れとか怠いという感じはありませんか?」と聞くが病気で怠いのか歳のせい体力のせいで疲れやすいのかその辺が分かりかねる。
幸いというか今流行のコロナは人混みに行かないためもあってか、マスクをすることが少ないのに今のところ夫婦そろって切り抜けている。
明日からの新年も何か特別によいことが無くてもよいが、悪いことは、、、、、
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