がなり応援
駅伝というのは馬に騎乗して伝達した西洋に比べ、人間がそれに代わっておこなった江戸時代の飛脚がから始まったとされる、長距離リレーを言い全国各地それぞれの規模で行われてきた。
そうした中で、大規模な伝統駅伝の一つに箱根往復駅伝がありテレビで二日に渡って放送される駅伝は視聴率も30%にちかいお化け番組でもある。
この駅伝は歴史も長く今年で99回を数える長寿行事になっていて、走る選手にとっては憧れのようでもあるし、普段走ることさえない連れまでが夢中になってみている。
自分はというと、学校や会社などで何度も走ったことがあるが、見るのはあまり、、、、ということで何かの合間に見る程度で済ませている。
箱根駅伝は数ある駅伝の中でも少し変わっていて、伴走に監督が乗った自動車がついていくことである。
実はこれが嫌であまり見ないのである。
監督はスピーカーを通してがなり立てる。
その言葉遣いは古い昔の運動部体質が如実に出ているのではないだろうか。
テレビの解説者はこのがなり声を愛情があるというが、選手の身になってみるとどうなんだろう。
選手個人の自主性の無さをそこに見る思いがし、自分なら黙って見ていてほしいと思ってしまう。
沿道の「がんばって」というのと随分違う。
そんなこんなで、こういうことを言うとよくお前は「変わっているなあ~」と言われたのを思い出す。
体制に準じない人は日本では住みにくい、でも時代は変わってくるのである、、、がなり応援は止めにしようとは思わないのだろうか。
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