そんな時代も
土手に止めた車からバケツリレーで鮎を放流していた。
何十杯放流したか分からないが無事に育って食べられるのはどのくらいだろうか。
先日も長野の義弟とも話したが、最近はサギや鵜が多くてかなり食べられてしまっているようで、死んだ鵜の胃袋に五十匹以上のハヤなどが入っていたと言っていた。
山の畑のジャガイモ同様、野生動物に食べさせるため植えている(放流)ことになる。
髪が伸びてうざったくなったので床屋へ行ってきた。
例によって床屋談義だが、清水の小学校で授業中何度注意してもそこらを歩き回る生徒を教師が椅子にガムテープだったかで少しの間しばりつけたことで、学校と教育委員会が謝罪していた。
自分はもとより床屋の親父も自分より若いとは言いながらも昭和十年代の生まれ、学校時代はビンタをはじめバケツを持って立たされたなど教師による体罰は当たり前だった時代を過ごしたものにとっては、授業中に教室をうろうろと徘徊するなど考えられない行動である。
しかし、最近の学校はこんな生徒が何処にでもいるらしい。
学校は知識を習得する場所でもあるが、社会性を身につける場所でもあるといまだに思っていて、そのころは登校拒否や引きこもりの生徒は小さな学校ながらいなかった。
父母の会はいまも同じことを持てめているようだが、体罰はダメだという。
では、教室をうろうろと徘徊して他の生徒が勉強に集中できないとしたらどうすればいいのだろうか。
教師にすべての責任を押し付けていては、教師になる人がいなくなるのではないだろうか。
見て見ぬふりをする教師と何をしても叱られずに育った子供、、、、、お先真っ暗。
床屋の親父曰く「今日先生に殴られたなんて家でいえば、親はそれはお前が悪い」って一蹴されたよね。
そんな時代もあったっけ
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