歳月は
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待ち草のやるせなさ
今宵は月も でぬそうな
子どものころ流行っていた流行歌の一節でこの花が宵待ち草だと思っていた、、、
また、富士山には月見草がよく似合うといった小説家もいてこの花が月見草である、、、、、と
そして、本当の名前が待つ宵草だと知ったのはいつの頃だったか。
いくつもの異名をもつ待つ宵草の中で一時は直径五センチほどの大輪の黄色い花を咲かせる大松宵草がよく見られたものだが、最近は写真のように小さな花の待宵草や女待宵草が多くなってしまった。
その時の主流は時とともに違ってくるものである。
先日、八十七歳になる姉に電話したところ「電話が使われていません」とのことであった。
六月に電話した時には元気そうにしていたのだが、、、、心配になって娘に電話して確かめたところ、「認知症が入ってきて一人にはしておけないので、、、」とのことであった。
コロナの影響でここしばらくは電話だけの応対しかしていなかたので驚いた。
「私ももう少し仕事を続けたいので施設に、、、、」なんて言うが、施設に入れれば今の時世では逢うのも難しくなる、と言って自分には何にも出来ないので「そうか分かった」というしかない。
考えてみれば自分だって物忘れが度々あって夫婦げんかの種になることもあるのだから、、、
「つくづく歳はとりたくないね!!!」と、思っても歳月は待たず流れていく。
考えてみれば若い時、珪肺や事故など職業病の多い鉱山勤めでは、八十歳を超えて生きていることすら考えられなかったのだが、、、
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