空蝉は
シンビジュームの鉢を外に出しておいたが、朝 水やりの際に葉に掴まったセミの抜け殻がついていた。
蝉は七年ほど地中で成長し、地表に出て脱皮し一週間の寿命を全うすると聞いていたが、この脱皮の時が一番危険な状態であるときいた。
普通ならそばの木に上り脱皮をするのだが、この蝉はどう間違えたのか縦長の鉢を登りその上のシンビジュームの細い葉を選んだ。
鉢をどうやって上ったか分からないが、上った時点で失敗とわかっていても降りるという選択肢はなかったに違いない。
脱皮に成功したかどうかは分からないが、、、、、成功したと思いたい。
ちなみに、空蝉とは”空せ身”からきていると言われ、「空しいこの身」とか「魂の抜けがら」を現すそうだが、これを見ていると諸行無常を感じてしまう。
今日は広島に原爆が落とされ多数の人が殺された日から七十八年目で、午前九時には広報無線でその旨を放送していたが、果たしてどれだけの人の心に届いたのだろうか。
原爆を含めて七十八年という年月は、それを記憶している人の数を減らしてしまった。
断片的にでも覚えているのは自分らの年頃が最後であろう、そして、自分らが消えた後は歴史て事実ということでしかのこらない。
「もはや戦後ではない」という言葉ができたのはこの歳から十一年後であり、国は戦時中のすべてを忘れ去りたかったようだが、「第二次世界大戦は応仁の乱や関ヶ原の戦いと一緒」という時代に入りつつある。
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