老衰
長野県の蓼科山ろくはぬくとい日があるとはいえ朝夕はかなり冷え込み霜が降りる。
そのため、こらえきれずに木の枝と別れを告げた紅葉黄葉が水辺を彩っている。
桜の花びらが寄り集まうさまを花筏というが、紅葉が集まるのを何というのだろうか。
ただ、晩秋のもの悲しさは詩人でなくてもこういう光景を目にすると感じる今日この頃である。
長野から帰る直前にメールで知人が亡くなったという知らせが入った。
死因は老衰だという。彼女はやっとひと月前には孫たちとの食事会で県単ぶりを発揮し周りを驚かしていたが、それから間もなく食事をしなくなり入院した。
病院での検査の結果、血圧をはじめ血液の酸素保有量など異常は認められず、診断は老衰だと言われたそうだ。
したがって治療は管で繋ぐ延命しかないがそれは本人も子供たちも望まないということで家に帰されたがものを飲み込むことができないので唇を湿らすことで四日間生きていたがつい帰らぬ人になった。
亡くなる寸前は少し荒い息をしていたが、見舞に来ていた人がその様子を見て帰った後50mも行かないところで呼吸停止となったそうで、文字通り大往生と言ったところだったそうだ。
老衰とはこういう亡くなり方が多いようで、文字通り「天寿を全うする」ということでなかなかそれを達成できる人は少ないもののようだ。
願わくば自分もそうなりたいものであるが、、、、、、
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