二度あることは
野菊の花、日本人の感性にあっているようでいろんな歌の材料にもなっている。
人それぞれに好き好きはあろうと思うけれど、自分が一番と思うのは「庭の千草」であり、それが今の季節に一番近い、、、、
庭の千草も虫の音も 枯れた寂しくなりにけり、、、、、
原曲はアイルランド民謡らしいが、詩は
今朝がた早く長野の連れの妹から姑が亡くなったという連絡が入った。
今日は娘の姑が九十三歳で亡くなった葬儀だったが長野は百三歳の高齢者でこれも天寿を全うしたようである。
丁度一週間前に長野に行ったとき様子を聞いたら、認知症は激しいものの身体が丈夫な様子で元気だと聞いていたので、今年は大丈夫かなと思っていたのだがこれだけ高齢になると実にあっけなく急逝するようだ。
連れの妹夫婦は二人とも癌の治療経験者で身体は万全ではないことから、自分たちより長生きするんではないかと言い、百三歳をもじって”もう沢山”なんて言っていたが、これで一つ安心したというのが本音かもしれない。
惜しまれて亡くなる人もかなりいるが、これほど高齢化社会になると子供たちから「いい加減にして」と思われる人もいるだろう。
むかしから「二度あることは三度ある」なんて言われているが、自分はこれまで三度連続して葬儀に出たことが有る。一度は岐阜県本巣の三日後に焼津でおばさんが、二度目は自分の母親の葬儀の後すぐに飛騨のおばさんが、そして今回と、、、、、
その土地土地、宗派によって葬儀のやり方も違ってくるが、あとの葬儀は疲れが出て途中居眠りしてしまうのは毎回のことである。
明日明後日の葬儀はどうなることやら、、、、
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コメント
岡崎在住さま
泉平はわたしの従兄も居ましたが、鹿間から登ってくる亜硫酸ガスであまり良い場所ではないと思っていましたが、そこで過ごして90歳越えはすごいことです。
自分は卒寿まであと6年余ですが、歳をとるというのは昨日まで元気やった人が突然、、、ということが多いので、
まあ、なんやさ、、、
投稿: オラケタル | 2023年11月29日 (水) 21時34分
今月の15日に岐阜のメディアコスモスで、栃洞(泉平)の同級生女子が出展する「絵の展示会」があって、鑑賞後に一緒にランチしたけど、その泉平女子の父ちゃんは97歳やとな。また、帰りはもう一人の女子を家まで送って行ったけど、91歳になんなれた母ちゃんがおって喋ったんやけど、まんだ畑仕事をして御座るキッつい母ちゃんやったわな。お米と味噌をお土産であげたもんでか、車が見えんようになるまで手を振ってくれたな。栃洞の衆に元気をもらったで御座んすね。オラケタさんも卒寿目標で頼んます^^;
投稿: 岡崎在住 | 2023年11月27日 (月) 21時06分