床屋で一致
昨年末は葬儀四回も含めて何だかんだがあって、いつも行っている床屋へ行く機会を逃していたが、伸び放題の髪の毛が始末できなくなり、今日になってようやく行くことができた。
床屋はこの寒いのにと心配してくれたが短く刈り上げてもらってすっきりと返ってくることができた。
今日の床屋談義、この頃テレビが面白く無くてあんまり見ることがなくなってきたということで一致した。
漫才とかコントとかいうが、審査員の人たちが大笑いしているさまを見ている自分たちはちっとも面白く無くて白けているとか、、、
歌謡番組を見ていたも最近は流行歌というものがなくなったようでどの歌手もヒット曲がない。
仕方ないのでむかしヒットした歌を新人歌手に歌わせているが、オリジナルに勝る歌は聞こえない。
石田あゆみや西田佐知子の歌に高い声が出せず喉を振るわせてコブシを効かせる歌い方は似合わない。
オリジナルの歌手が出てくると、声量と共に声の質が落ちてしまって哀れを感じさせてしまう。
日本の歌はもだけどテレビはどうなっていくのだろうか。
床屋談義で一致したもう一つは、男と女の違いなのか見たい番組が違うことにある。
おかげで、むかしなら一家団欒で同じ番組を見たが、今では二人暮らしなのにそれぞれ別の部屋に行き、別の番組を見ている”おひとり様テレビ”になってしまった。
| 固定リンク
コメント
岡崎在住さま
テレビが普及したのは東京オリンピック見たさからだったかもしれない。
テレビと言えば昭和32年修学旅行の際NHKのスタジオ見学に行った時のこと、スタジオの背景の絵があまりにもいい加減だっただったのでびっくりしたが、その夜のテレビではきれいに映っていた。
当時はすべてが白黒画像だったうえ、生放送だったので見たスタジオがその日のうちに放送されていたので、旅行先の宿で見られたもんです。
投稿: オラケタル | 2024年1月22日 (月) 21時09分
オランチに「白黒テレビ」が入った時を覚えておるけど、昭和35年ぐらいかな。それは「真空管式」で、スィッチ入れて数分後に画面が出ておったねぇ~! 守谷浩の「僕は泣いちっち」とか三輪明宏の「よいとまけの歌」や水原弘の「黒い花びら」の映像や歌を覚えておるので、当時は「テレビっ子」やったんやねぇ~😁 真空管ラジオもあったけども、大きさは段ボール小箱ぐらいと大きく、持ち運び不可でラジオ放送で楽しんだ記憶はないね!😓 あっ、学校から家に帰って、勉強した記憶も全くないね🙊 父ちゃんは朝が早くて(鉱山は朝7時始業)、「テレビは目が悪くなるんやぞ」とか言って御座って、テレビを一緒に視た記憶もないしね!😅 今のテレビは、「時代劇」や「メロドラマ」も無いし、確かに皆が愉しめる放送というものが失われておるで御座んすよ~😓
投稿: 岡崎在住 | 2024年1月19日 (金) 13時14分