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2024年10月12日 (土)

栗はめば

瓜はめば子思う 栗はめばましておもわゆ、、、

だったかと思っているが、このころの瓜や栗はいまとはずいぶん味も違ってきていると思う。

先日来山の畑の傍に生えている栗がイガに包まれて落果してきているので拾っては食べているが、その大きさは子どものころに食べた芝栗の三倍以上はある大粒のもので見ごたえがあるが、その味はかなり落ちる。

栗の思い出と言えば、太平洋戦争中でまだ学校に行っていないときだったから五歳くらいのころ、おじいさんの家に行くと囲炉裏の上に糸で通した芝栗をネックレスのようにしてぶら下がっており、時々そのうちからいくつか貰えるのだが茹でて干したものだけに硬くてなかなか噛み潰せなかった。

しかし、しばらくすると次第に柔らかくなり、甘味が出てきてそれは美味しいおやつだった。

次は小学校高学年のころだったと思うが、父親の実家に栗林があって三歳下の弟を連れて栗拾いに行ったが、下に落ちているのが少なかったので木に上って揺らしたら、下にいた弟に栗のイガがいくつも当たり泣かしてしまい、実家のおばさんからは「栗は落ちているものを拾うんだ」と叱られた。

それでも当時で一斗の栗をリックにいれ、国道迄標高差450mの坂道を下り 国道を6kmあるき、さらに家まで高低差400mの山道を意気揚々と帰ってきたもんだ。

 

あのころの健脚はいまどこに、栗一斗の重さはどのくらいだったのか、背中の痛みも感じなかったのは交通手段もなく無いのと飢えが神経を麻痺させていたのかもしれない。

 

今では考えられないことで、栗をはみ(食べる)ながら子どものころを思いだしてみた。

 

 

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