金か重か
清水寺の貫主が書く今年を表わす漢字が今日揮毫された。
「金」だという。どうしてこの漢字が選ばれたのか分からないが、書き終わった直後テレビのキャスターが金です。と言うまで”重”と思っていた。
連れもそうだと思っていたというから達筆というのは分からないものである。
しかし、金にしては右の払いがないのはどうしてなんだろうか。
子どものころの先生は下手でもよいかから誰が見ても分かる字を書け言われていたのを今でも実行しているつもりの自分としては疑問の残る字である。
この字が発表される少し前、テロップで和歌山のドンフアン殺害事件で起訴されていた被告に無罪判決が下りた。という情報が流れた。
状況証拠だけの起訴には選ばれた裁判員の判断は無罪に行ったのではなかっただろうか、プロと言われる弁護士など法曹関係者は驚いたように言っていたが袴田事件などを見ても状況証拠だけで有罪にするには抵抗があったに違いない。
当然検察は上告すると思うが、これからは法曹関係者ばかりの裁判になるので、旧態依然の、前例に凝り固まった人同士やり取りは、交通事故の保険会社同士のこのケースはこれという決まり事で処理されるのだろうか。
有罪か無罪かで人の人生は大きく変わる。
特に冤罪は無罪になったとしても世間の目はいつまでも疑いの目を解かないでいるようでその人を苦しめる、弘法も筆の誤りというが右の払いをしっかりと書いてこそ、、、、、、
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