阪神大震災
三十年前の今日、午前十時ころだったと思うが現場に元請けの社員が来て「神戸の辺ででっかい地震があり大騒ぎになっている」と言ってきたようやく震源が関西だということを知った。
朝起きてすぐに地震が起きたのは知っていたが今ほど速報体制が取れていなかったことと、自分の所ではほとんど感知されず、わずかな揺れだけで済んだので牧之原の現場に出かけていた。
帰ってテレビを見てその規模に驚いた。神戸の市内が滅茶苦茶と言った状態に壊れ至るところで火の手が上がっていた。
垂水区に同級生がいるので気になり電話をしてみたがつながらない、あとで聞くと政府の対応が後手後手に回り災害をより大きくしたとのことであった。
その同級生から「ほとんど被害がなかったから安心してくれ」と連絡が来たのは一週間たってからだった。
明日にでも地震が来ると言われた静岡に来て四十六年、その間一回震度五弱の地震にあったものの予想された東海地震はまだ来ていない。
当時は事前に予測できるとしていたが、最近では予測できないに変わっている。
原因は、自然現象の複雑さからだというが、もし来れば防振対策の出来ていない我が家は多分つぶれること間違いない。
一度、市の鑑定に来てもらったが、一部鉄骨部分があるので補助対象から除外されているためである。
三十年前、「被害がないので、、、」と言ってきた同級生、、、、、
今年が七回忌、その二年前に飼った犬はいまどうしているやら。
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