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2025年3月31日 (月)

対岸の火事?

最近はテレビを見る時間が大幅に減った、それも地上波デジタルが面白くなくなってニュース以外はほとんど見ていない。

なぜ面白くないかと言うと、まず各局とも同じようなおちゃらけ番組と旅番組で代わり映えせず、出演者が喜び勝手に遊んでいる番組が多い。人の遊んでいる画像を見てきょうかんするわけがない。

そしてBSでもそうだが、何度も繰り返しの放送、、、、、とにかく権力者におもねっているようで批判精神の片りんは見えない。

江戸時代幕府の締め付けが厳しかった時代でさえ偉い人をおちょくる落語や漫才、歌があったのに、、、

そんな結果が一部タレントと言われる人の横暴を許してしまったのかもしれない。

だから今日発表されたフジテレビの第三者委員会の検証は、テレビ教会全体に対する警告でもあるはずだが、他局は対岸の火事としか見ていないような雰囲気を感じてしまう。

明日は我が身と思っているのは、、、、、

 

 

 

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2025年3月30日 (日)

山を駆け登る

さくら さくら 弥生の空は、、、、、今日は旧暦の三月二日。   

かすみか雲かと歌われた山桜がいま山を駆け登っている。

麓で人気のソメイヨシノよりやや赤みの濃い花は点々と山のあちこちを染めて登りだした、

先日来に比べてぐっと冷え込んだ気温も山登りは防げない。

人工的に作られた花に比べると種を動物に食べられて繁殖する野生の花の力強さは爽快とさえ感じられる。

 

昨日昭和40年代の歌手の歌を聴いていて思ったのは、どの歌手もそれぞれに自分の持ち味を生かして歌い方を持っていたように思った。

最近の歌手は不幸だと思うのは誰もヒット曲がなく印象としてみんな同じような歌い方をしていることにあるのではなかろうか、その原因として作詞作曲をする人もまた特徴が亡くなってきていることにもあるような気がする。

同様に政治家も小粒になってきたと感じるのは、それぞれが「自分が日本を変えてやる」という気概を持っている人がいなくなり、お互い横を見て様子見をしているところにあるのではないだろうか。

少なくても石破総理には、首相になる前に言っていたことを反対が多くても、短命に終わっても何か一つことを成し遂げてほしかった。

若手ホープと言われた小泉進次郎氏の政治献金に対する発言を聞く限りでは、河野太郎氏同様がっかりとさせられてしまう。

いつの日にか再び日本が日の目を見る時期が来るのだろうか。

 

 

 

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2025年3月28日 (金)

いたましい事故

浜津で小学生四人が死傷した交通事故はなんとも痛ましい事故であった。

亡くなった子と重症の子は姉妹とのことだが、親の気持ちを思うという言葉が見当たらない。

事故現場の映像を見るとブロックにタイヤ痕があり、車体を壁に沿って走らせていたのが分かり、背後から突かかっててきたことがうかがわせているだけに子供たちは避けようもなかっただろう。

自動車の運転手はその時意識がなかったと述べているようだが、、、、、、、

ゴルフ用語だったかに「たら れば」という言葉があるそうだが過ぎ去ったことは取り返しが出来ない。

もし道幅が広くガードレールが設置されていたらとか運転手に障害が無かったらとかいろいろと問題点もあるのだが失った命は戻らない。

自分もそうならないように気を付けているつもりだが一瞬の気のゆるみとか予測がはずれてとかが恐ろしい。

 

ただ、先日も親と離れて子供が自転車で違った方にふらついて行ったが、交通法規を理解していないだけに交通量の多い場所には自転車で行かせないよう親なり学校で教えてほしいものだが、見ている限り子供が離れても気をつけない親もいて、、、、、、、、

 

 

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2025年3月26日 (水)

他人事ではない

朝から靄っていた空は富士山は勿論静岡のランドマーク的な竜爪山も隠し、すぐそばの賎機山さえも霞の彼方にうすぼんやりとしかみえなかった。

「コリャひどい花粉どころでなく黄砂かな」なんて思っていたら夕方のテレビで韓国の山火事のえいきょうだといっていた。

何年か前インドネシアだったかの火事の煙りがフイリッピンだったかの空を暗くしたという話しを聞いたがまさにほんでそんなことが起きるとは思わなかった。

岩手の火事が鎮火したと思ったら岡山県と愛媛県そして九州で山火事が起きたニュースは流れていたが、韓国の山火事が海を隔てた日本にまで、、、それも静岡県にまで影響するほど大規模だとは知らなかった。

長野の義妹の病気見舞いに甘夏を送ろうと三百段を超える階段の先にある山に登ったが、着いてみるとなんだか異臭がしたので動物の死骸でもあるのかそれとも先日降った雨が落ち葉の下で蒸されているのかと探してみたが分からなかった。

もしこれが韓国の山火事の影響だったとしたら、、、、、これはものすごいことでこの年になって初めての経験だということになる。

 

大規模な山火事というのはアメリカばかりと思っていたが、今年になって日本だけで三件発生しているということは、やはり山の手入れが出来ていないためもあるのではないだろうか。

むかしのように、枯れ枝や杉松などの燃えやすい木々の植林のほか行われなくなった焼き畑など生活様式の変化も原因しているのではないかと考えている。

そう思いながら周りの山林を見ると、杉松以外に孟宗竹の繁茂が拡大している。

          他人事ではないよ いつわが身に降りかかるか。

 

 

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2025年3月25日 (火)

じゃじゃ馬天気

昨夜激しい雷の後叩きつけるような雨に見舞われた。

山ひとつ挟んだとなりの焼津では大粒の雹が降ったとテレビは報じていた。

そして明ければ雲一つない晴天から太陽が降り注ぎ、昨日同様25度越えの夏日となり肌シャツの上に軽い上着一枚でも暑すぎるくらいの天気になった。

まるでじゃじゃ馬天気とでも言ったらよい。

 

東大生の卒業インタビューで初任給を聞いたところ40万円とか50万円という返事があった。昔流でいうとすぐに寿退社をしてしまうとして安く抑えられていた女性に、、、、

果たして企業としてこんなに払って採算が取れるものなのだろうかという思ってしまった。

そのむかし、「成績が優秀な子だよ」採用した学生が、現場では全くの役立たずだったのを何人おぼえているだけによほど慎重に見極めないとただ成績がよかったというのは教えられたことしか目が向かないことがままある。

それにしても、人間というのはその時代に生まれたかどうかでその人生に大きな影響をかもすものらしい。

こうなると、就職氷河期と言われた時代の青年はどこに向いて歯ぎしりをしたら良いのだろうか。

 

 

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2025年3月24日 (月)

推して知るべし

きのう行われて静岡市会議員選挙にはいつものことながら悲喜こもごもがあったが、女性議員の躍進と自民党議員が幾分目減りした程度でやはり市議会の多数派を占めることになった。

その中で驚いたのは、国民新党が葵区と駿河区で圧倒的大量得票を果たしたことであったが、応援演説に党首が乗り込んできたためもあったのかもしれないときいた。

やはり時の人が来るとそちらに流れるのは世の常なのだろうか、二期目に再度大量得票で当選できれば本物だが初当選だけにどこまで力を発揮できるか、、、議会色に染まって埋没または特権意識ばかりが目立つか、、

また、議員数や得票数などを減らした自民党議員の中には中央政治と関係ないのに、、とこぼしていた人もいたが、政治資金問題や夫婦別性などのこだわる姿勢は全国同じではないだろうか。

自民党隠しで当選した議員もいたが、選挙葉書などに自民党公認を小さく目立たないようにしていた議員もいて、当選するまでの目つぶしを画策していた人もいたのは、国会を含めて各級の議員にいるはずである。

そうしてまで当選したいのは、、、推して知るべし。

 

 

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2025年3月23日 (日)

あっという間

「人生とは死ぬまでの暇つぶし」と言ったのはパスカルだと聞いたことがあるが、まさか西洋哲学の方かから来た言葉だと初めは信用できなかった。

禅問答的なこの言葉は、人間何をしても大したことはしていないと喝破しているように見えるが、歴史に名を遺した人々の生涯と爪痕さえ残せなかった人とは違うとおもっている。

ただ、自分もそうだが暇つぶしの中にいろいろな思い出を自分の心の中に宿していて時折思い出しては懐かしんでいる。

ただ、八十代半ばになって思うのはその思いで渦中にいるときはいつまでも いつまでも出口の見えない暗闇にいるような気がするが、長くて高々四年くらいのことでしかなくあとから思うとあっという間でしかないことに気づく。

最近ではコロナがしかり、そして、アメリアのトランプ大統領も四年後には多分過去の人になっていることと思う。

 

今日は静岡市の市会議員選挙の投票日、何が良かったのか葵区 駿河区 清水区といずれも定員をかなりオーバー(定員48人に対して73人)して立候補しているが、、、、任期は四年である。

 

 

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2025年3月20日 (木)

春なのに

はるはあけぼの やうやうしろくなりゆくやまぎわは 

すこしあかりて紫たちたる 雲の細くなびきたる

枕草子の出だしの文章であるが、如何にも春というものをよく見ている表現である。

枕草子は勿論 源氏物語や平家物語 など古典と言われるものの出だししか覚えていないが、巻頭にその書き物の根本が凝縮されていると思うとあだや疎かにしていけないと習った

と、いうことで枕草子にある山際すこし明かりて竜爪山の白さが目立った昨日は、静岡でむかしから言われている竜爪が三度白くなると春が来るをを表わしている。

正月ころは午前七時ころでないとご来光は見えなかったが、今では五時少しすぎには山際が紫たちたるようになってきた。

最近の世相を見ると世界に影響力のある大国指導者のほとんどが自分勝手の我儘を通し、大戦前夜を思わせる雰囲気に満ちており、春の曙でなく、暮れなずむ夕暮れ状況にある。

 

月日のたちようは次第に加速し、寿命になだれ込んでいくような気がする昨今いよいよ遺書を書き留めていかなければならい脅迫感に際悩まされている。

”いつまでもあると思うな親と金”をもじれば”いつまでもあると思うな老いと死と”である。

しかし、いざ遺書となると何を書いてよいのか分からない というか書くことがないのである。

 

   春なのに 春なのに、、、、と言いながら今日も暮れていく

 

 

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2025年3月18日 (火)

老化現象

暑さ寒さも彼岸までというが、ここ二日ほどの天気は「天気晴朗なれど 風強し」で戸を閉めていれば暖かいのだがまだ上着を着こんでいたい。

ただ、季節の変わり目と言うこともあって、スタッドレスタイヤを履き替えエンジンオイルを交換し人間の衣替えをかなり先走って春を迎える。

 

石田あゆみさんが亡くなったそうだ、最近のこぶしとビブラートをやたらに入れる演歌と違って透きとおるような歌声が良かった。

西田佐知子さんなどと共にノンビブラートの歌は日本の演歌には向かないのだろうか。

とにかく歌の最後に必要以上に喉を震わせて歌う演歌で最近ヒット曲が出ないのは、歌手が悪いのか作詞作曲家が悪いのか、、、、

良い歌だから残っているのだが昭和後半の演歌まみれの中で過ごしたものにとって、テレビから流れてくる歌でそのころ何をしていたか思い出すのだが、平成後半以降からは歌と思い出が結びつくことがなくなってしまった。

 

これも老化現象だと言われれば言い返せないのだが、、、

 

 

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2025年3月15日 (土)

あなただけはと

「瓜田に履を入れず 李下に冠を正さず」子供ときに習った論語の一部である。

要は疑われるようなことをするなと言うことであるが、今回発覚した石破総理の初当選した議員に十万円の商品券を贈ったという行為である。

本人は記者会見で逆切れでもしたかのように記者に逆質問をしていたが、おたおたとしていた記者の方もだらしなかった。

ただ、旧安倍派を中心としたキックバック問題のほとぼりが冷めていないさなかに、十万円の手土産商品券がどんなものかぐらい判断がつかなかったのだろうか、、、あまりにも長期の議員生活で感覚が庶民離れしてしまっていた。

ひごろ、自民党多数派に批判的な発言をしていただけに”あなただけはと信じてた”とが崩れた衝撃は大きい。

そして、石破おろしが加速して失脚した後に、右翼と言われる政治家が首相になったらと考えると自民党が政権から離れることを期待するしかないと思うのだが、、、、、、さてその先はまた真っ暗闇である。

 

 

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2025年3月14日 (金)

五公五民というが

今年の大企業の春闘は昨年を上回る満額回答が続出しめでたしめでたしで決まったようだ。

近年内部留保の多さが指摘されていたが、下請け企業をいじめてつくった金を一部吐き出したという格好だが、四苦八苦している中小企業ではこれでまた格差が開くことになりこちらはめでたしめでたしとはなりにくい状況になっているのかもしれない。

近年諸物価の値上がりが激しく、貧乏人はますます生活が苦しくなってきている中で、国民所得は物価に追いつけず毎年のように賃金の目減りがしている中、諸物価に加え税金や社会保険の聴衆が増え江戸時代のように”五公五民”と言われるほど負担が大きいとなれば、年金生活者たる自分は何となく肩身が狭い思いをしている。

 

 

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