春なのに
はるはあけぼの やうやうしろくなりゆくやまぎわは
すこしあかりて紫たちたる 雲の細くなびきたる
枕草子の出だしの文章であるが、如何にも春というものをよく見ている表現である。
枕草子は勿論 源氏物語や平家物語 など古典と言われるものの出だししか覚えていないが、巻頭にその書き物の根本が凝縮されていると思うとあだや疎かにしていけないと習った
と、いうことで枕草子にある山際すこし明かりて竜爪山の白さが目立った昨日は、静岡でむかしから言われている竜爪が三度白くなると春が来るをを表わしている。
正月ころは午前七時ころでないとご来光は見えなかったが、今では五時少しすぎには山際が紫たちたるようになってきた。
最近の世相を見ると世界に影響力のある大国指導者のほとんどが自分勝手の我儘を通し、大戦前夜を思わせる雰囲気に満ちており、春の曙でなく、暮れなずむ夕暮れ状況にある。
月日のたちようは次第に加速し、寿命になだれ込んでいくような気がする昨今いよいよ遺書を書き留めていかなければならい脅迫感に際悩まされている。
”いつまでもあると思うな親と金”をもじれば”いつまでもあると思うな老いと死と”である。
しかし、いざ遺書となると何を書いてよいのか分からない というか書くことがないのである。
春なのに 春なのに、、、、と言いながら今日も暮れていく
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