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2025年5月31日 (土)

歳をとった

最近加速度的に何かがおかしくなった来ているような気がする。

今日も富士宮あたりまで出かけて道の駅や農協のファマーズマーケットなど軒並みに歩いてきたが品ぞろえをはじめ雰囲気も寂しくなってしまい買うものがほとんどなく店内を一周しただけで出てきたところが多かった。

これは、富士宮だけに限ったことでなく県内いたるところで見られたのと、昼食時に入った店も以前ほどおいしくなくなってしまったような気がする。

原因はコロナで地方力が衰退したのか、インバウンドで良いものがそちらに流れているのか、、、、、

そういえば魚類も値段が高くなったのに味が落ちったような気がするのは歳をとって味覚が落ちただけではないようなきがししているのだが、、、、、、

こんなご時世だからすべてがぜいたくを言っていられないのだが、それにしてもね~

 

夕方になって母方の同い年の従姉弟としばらく連絡を取っていなかったのを思い出して電話をしてみたのだが、携帯電話も固定電話も「現在使われていません」という。

昨年まで年賀状が来ていたのだが、、、、音もなく消え去ったことになる。

歳が歳だから施設にでも入ったのか、携帯迄止めたということは悪く考えると亡くなったのか、再気温亡くなっても連絡が入らず静かに消え去る例が多いから     寂しさひとしおの感あり。

 

 

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2025年5月29日 (木)

古古古米に

#コッコココッケッコウ私はミネソタの卵売り ではないが”古古古米”の入札が始まり来月初めにもう店頭に並びそうだとのこと

それにしても自民党の小野寺総務会長でさえ言った「国が儲けてどうするんだ」と言われた最初の備蓄米放出は完全に失敗した。

国が一般入札で買い入れ価格を大きく上回る60kg22,000円で放出した米は入札した農協の不手際と言うか能力不足というか四か月たった今でも完全に市場に出回っていないそうだが、どんな理屈をつけても災害で放出した時とすれば何の役にも立っていないことになる。

これまで農政は失敗続きだっただけに大改革が必要になるのではないだろうか。

それにしても古古古米がいままでよく残っていたものだ、国会でのやり取りではかなり味が落ちているようだしそうなると1800円での放出も国が儲けてどうするんだの部類に入りかねない。

 

 

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2025年5月28日 (水)

理外の理

「理外の理」とは松本清張がその小説の中で使った言葉で一般の道理や常識では説明できなない不思議な道理のことを言うそうで、ごく新しい言葉である。

しかし、いまこの言葉に当てはまる出来事が数多くあって、ごく平凡な言葉になうような気がするがその時はどんな言葉になりうるのだろうか。

”理外の理”この言葉が当てはまる最たるものはアメリカトランプ大統領であろう。

思い付きだけで政治を進めているようで朝令暮改は当たり前、指摘されても蛙の面にしょんべんのごとく全然感じてはいない様子、、、、、、、日本にも兵庫県知事のようになにを言われても無表情に人がいるが影響力は彼の比ではない。

今回はアメリカで最高峰と言われる大学に集まっている留学生たちが反イスラエル寄りだとして追放を指示し従わなければ補助金を出さないという。

また、南アフリカの白人が迫害を受けているとして無関係の写真を南アフリカ大統領に会談中突きつけたり白人と言うだけで移民受け入れを決めている。

アメリカという国は時たま極端に走ることがあり、自分らが若いころ共産党追放のためマッカシー旋風と言う赤狩りが行われ知識人たちを震え上がらせたことがある。

今後、この背策が実行されたら、アメリカに人材が集まらなくなり技術力でも衰退していくことになると思うのだが、トランプ大統領の思考には白人第一主義というアメリカ独特の思考が深く根付いているようだ。

これを支持する哀れな白人たちはどんな社会になったも救われないことを知るべきであろう。

 

 

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2025年5月24日 (土)

簡単には喜べない

こんなこと書いたらどうかと思いつつ、、、、、、、、

大相撲はきのう13日目で優勝が決まった。大関大の里が後続に2差をつけて全勝街道を突っ走ったけっかであり、大の里は相撲化に入って14場所で最高位につくという角界始まって以来の超スピードで最高位に就くことになるそうだ。

連日の取り組みを見ていると懸賞旗が連日何十本も土俵をめぐり相撲人気はいやが上にも沸き立っているかのような雰囲気に見える。

しかし、一歩振り返ってみるとここしばらく優勝力士が役力士でない場所が多く見られた。

と、言うことは横綱をはじめとする高位力士の質が落ちたことを意味するのではないだろうか、いやもっと極端に言うと相撲界全体の質が落ちているようにさえ感じてしまう。

幕下以下の力士の相撲を見ていると、髷の結えないザンバラ髪はもとより2~3センチの坊主頭の力士さえ幕下で活躍している。

社会人で相撲を取ってきた人たちなんだろうが、プロの世界でこれほど活躍できるというのはほかの種目では将棋の藤井聡太氏以外見たことがないような気がする。

相撲界に志願する若者が以前に比べるとかなり少なくなっているというがいずれ”落ち目の三度笠”と言うことになりそうな予感がする。

 

 

 

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2025年5月23日 (金)

獲らぬ狸の

「獲らぬ狸の皮算用」って言葉があるが今回静岡県は県立図書館の建て替えに国からの補助を136億円と当てにしていたが国からは34億円しか査定されなかったことが判明し大きく変更せざるを得なくなり計画におおきな変更を余儀なくされたと報じていた。

この図書館は現在草薙にあるのだが、利便性と旧国鉄の静岡貨物駅などの跡地に移転しようとしたことから計画されたそうだが、国内でも最大級とデザインを兼ね備えた施設のため、昨年入札が不調になった経緯があるとのことだったが、自分は何も聞いたことがなく知らなかったが今回の騒動で初めて知った次第である。

何でもそうかと思うがトップに立つと自分のレガシーを残したいと思うようで豪華な建物や巨大なものを作ってあとの維持費などを考量しない傾向がよくある。

今回もそうしたことの一環であるようで、そんなデザインに凝った豪華な図書館が必要だったのだろうか。

い間までにも静岡の飛行場など巨額の投資は年間の維持費すら賄えていないはず、、、、、、、、

 

今回ももし要求通り出たとすれば     

 

 

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2025年5月21日 (水)

米 米 米

江藤農林水産大臣が「米は売るほど食品庫にある」と言って事実上更迭された。

この言葉で思いだしたのは戦後の食糧難でデモ隊の蓆旗に「朕はたらふく食べている 汝臣民飢えて死ね」と書き戦後初の不敬罪で逮捕だったかされたことである。

今回の場合、あまりにも国民の実情を知らなさ過ぎた人のいいかたであり、この人が米の高騰に無為無策すぎたからであろう。

それにしても農林大臣に更迭者が多いのは自分の感覚だけなのだろうか。

農家の最大利得団体農業協同組合の手先となって農林族と言われる人が無能すぎたことにあるのではないかと思っている。

現在コメ価格が高騰している背景には、高額な農業用機械を高値で農家に売っているためだという話しも長野の知人から聞いたことがある。

人手不足のため米作りを他人に頼んだら、一反当たり30kgしかもらえなかったのでもう少し呉れと言ったら機械代が高いからダメだと言われ、田んぼを持っているのに米を買ったなんて話も聞いた。

戦後の農地解放で田んぼが細かく分散されている今、大規模農業に集約できなくなっていることもあろうが、農業に関しては農協と農林省及びそれに群がって改革をさせないようにしている議員が二h本を駄目にしているように見えるがどうなんだろう。

 

今日テレビを見ていたら故郷が画面の上に大きくテロップとして書かれていた。

曰く、「飛騨市(神岡)35度 今年初の猛暑日」と五月半ば過ぎにこんなことで名前が出るというのは

驚いたね、自分がかの地にいたころは夏でも30度になる事がなくエアコンなどは家のなかは勿論、自動車にさえついていなかったのに、、、、、、、、

 

 

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2025年5月19日 (月)

寝苦しい

午前二時ころだから今朝未明になるのだが、蒸し暑くて目が覚め寝られなかった。

その前日もそうだったのだが夜中のこともあるし気温はそんなに高くなかったと思いたいのだが身体がほてって夏掛け布団を腹の部分にだけかけてしばらく寝つけずにいた。

仕事をしていないのだから寝不足の心配はないがこんなに早くから寝苦しい夜が続くのは異常であり、身体のどこかに不具合があるのかもしれないと思っていたら近情の自分同様暑がりの人も同じことを言っていたので少しは安心した。

それにしても困ったもんだ。今夜はどうなんだろう。この夏が心配になる。

 

今日もまた小学生の列に車が突っ込んだそうだ、先週に続いて最近は小学生の受難が多いような気がする。

自分も近場や畠に行くときには自転車に乗っていくのだが、立場の違いというか自動車が脇を抜いて行くときのスピードがやけに速い車が多いような気がする。

時折こんなスピードでブぶつけられたら10mは吹っ飛ばされるんではないかって気がすることがある。

逆に自動車運転をしていて気になるのは、平気で道路の中央を走る人やジグザグにふらついている年寄りや小学生とそれ以下の子供が一人で走っていることにある。

三年前に事故を体験して身にとってデカそうなことは言えないが、、、、、、、、、悩ましい問題である。

 

 

 

 

 

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2025年5月17日 (土)

転換点か?

考えてみればいま世界は大きな転換点に立っているのではないのだろうか。

トランプ(アメリカ)やプーチン(ロシア) ネタニェフ(イスラエル)習近平(中国)など自国大一を主張し自分勝手な行動をとる大国の指導者が世界を壊しかけているようだし、日本国内を見てもコロナ以来人々の心が大きく壊れるような事態が目に付くようになってきた。

初任給の大幅アップは当人にとって良いかもしれないがそのとばっちりは底辺の人々を大きく傷つけているし、残虐な殺人事件は枚挙のいとまがなく、コメの価格が一年で倍増しているが農協の幹部は高くないと公言している。

このような社会状況では、人々の心の荒廃はさらにすすみ社会が不安定になるばかりだが、それを助長するかのように政治家が無策でいるどころか、夏の参議院選挙を控えて自分だけは何とか再選されようと画策に奔走し、いまの日本絵をどうするかなどと言うことは念頭にないようだ。

 

先行き暗い話しばかりになるが時の流れに身を任せるしかないのだろうか。

 

 

 

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2025年5月16日 (金)

初シャワー

明日未明から激しい雨となる予報の下、山の畑を耕してトマトの苗を六本植え裏の畠の玉ねぎの残りをすべて掘り起こして帰ってきた。

その間、三時間ほどだったが帰ってみると下着まで濡れてしまっていたので、着替えのついでにシャワーを浴びてさっぱりとした。

今年の初シャワーである。これからは畑に行くたびにこんな状態になるのだろうか。

九州南部が梅雨入りした模様と言っていたが、それより南はまだと言うから今年も異常気象と言われる様相を示してきたようだ。

願わくば米が順調に育って安くなってほしいものだが、、、、、、、、、、

 

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2025年5月14日 (水)

尺貫法

近頃の若者は背が高い、百八十センチ越えがざらにいて長野の知人は息子が返ってくると家のあちこちで頭をぶっつけると言っていた。

いまのツーバイフォ仕様なら良いのかもしれないが尺貫法の基準になっている六尺では少し短すぎる。

今での若者はどうしてこんなにも背が伸びたのだろうか、タレントの顔つきにもハーフでもないのに日本人離れをした顔つきの人がいるが食事だけでこんなにも急激意に変化するものだろうか。

背丈の伸びは女性にも及び、街中に出かけると自分より背の高い女性はざらにいるが、同級会ではそんな人は一人もいない。

自分の父親の世代では五尺あれば一人前の男と認められ、五尺三寸だった父親は甲種合格のお墨付きを持って線状に出かけた。

自分らの若いころの名横綱と言われた若乃花と栃錦。身長がともに百八十センチに満たず、体重は百五キロと百二十キロだったが、一般人から見るとやはり頭ひとつ抜きんでていたが今このくらいの力士は皆無ではなかろうか。

となると、いまの世の中巨漢ぞろいですぐにも相撲取りになっても十分やっていけそうな体格と言うことになるのだが、相撲取りになろうという人は激減しているそうだ。

 

戦争が終わった当時、やせ我慢かもしれないが外人は腰が高いので取っ組み合いになったら日本人の方が強いと言っていた人がいた。

どうやら、胴長短足の僻みも入っていたかもしれないが、自分らでさえ75,5kgの鉄の塊を担いで山道を登ったことがあるので、 、 、 、

 

 

 

 

 

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2025年5月12日 (月)

舎利

友人の奥さんが先日言っていた。

ゴールデンウイークに男の子が二人帰ってきたが、どちらも大ぐらいで米の飯が大量にいるのでもったいなくて混ぜご飯で量を増やそうと思ったけれど長男と次男と家にいる長女たちはそれぞれに入れる材料が違っていて、結局みんなが可もなく不可もなしに食べるのが白いご飯しかない。と嘆いていた。

また、別な人が取引先の接待で「菜飯を食べませんか?」と言われ戦後の食糧難でいろんなものが入ったご飯を食べさせられてきたのに何で今更菜飯なのかといってやった。といっていた。

自分らが白いご飯を食べられるようになったのは昭和35年から40年ころだと思っている。

飛騨は昔から米の採れる量が少なく戦前は勿論食糧難だった戦後もつづき、白いご飯を一般の人が食べられるようになったのはこのころからではなかろうかと思っている。

飛騨に伝わる話として、むかし瀕死の病人の枕もとに竹筒に入れた米を揺すって「これが米だよ」っていったそうでそれくらい貴重なものだった。

とにかく戦後の食糧難は米の配給さえ一か月のうち十日分くらいの配給しかなく、十日分と言っても政府がが勝手に決めた量でしかなく、当然足りない分は銘仙の着物などを持って県境を越え富山県まで闇米の買い出しに出かけ、富山県警の目を逃れて家に持ち帰っていた。

白いご飯のことを”銀シャリ”と言うが艶やかに輝く炊き立てのご飯にどれだけ憧れたか。

このシャリは舎利という字を書き”骨”のことをいう。

 

般若心経の中に舎利子と仏弟子の名前が出てくるが、舎利とどんな関係があるのかないのか聞いてみたいのだが、 、 、 、 、

 

 

 

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2025年5月10日 (土)

残念

もう七十年近くも前の話しになるが、自分たちが鉱山に就職した当時火薬の取り扱い、岩盤が剥がれ落ちる落盤事故、立坑への墜落など一つ間違えれば大けがどころか命に係わる事故にあう可能性があり、それを思い知らせる意味もあってこん棒で頭を叩かれたものもいた。

これはいわゆる”愛のムチ”と肯定的にとらえる向きもあるが、手子(手元)が怪我をすれば後味が悪かったり責任を問われたりするためもあってのことだった。

しかし、いまの時代これらは一切で駄目だという。

パワハラ セクハラ 何とかハラスメントで警察沙汰になりかねないからであり、一般社会でも中間管理職はこれらに細心の注意を払わなければならないため、昇進をしたくないという人が増えているそうだ。

現地採用の従業員は少しでも早く本社採用の職員並みになりたくて胡麻をすったり、仕事ぶりで評価されようと互いに競ったり讒言したりとした時代がもはや夢物語になってしまった。

そのおかげというのだろうか、いわゆる社会常識やしつけの欠如がいま問題になっているようだが、今の若者が何十年か後にはまた同じような嘆き節を語る世の中になると思うと、その時はそんな社会体制になっているのだろう。

 

そんな時代を見ることができないのが残念と言えば残念。

 

 

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2025年5月 9日 (金)

本当か?

ユーチューブを見ていると日本は塵の落ちていない綺麗な道路、人柄は親切でおだやか、食事が美味しくて何より食べ物が美味い国と自画自賛している。

昨今の報道を見ていると本当にそうなんだろうかと疑問がわいてくる。

無差別に人を攻撃し傷害を与える、オレオレ詐欺に代表するだましの手口、道路わきにはポイ捨てのごみ等々

SNSで儲けんがため外人を食事に誘い、旨い美味いの連発記事が載っているがそれは自分たちの努力でなく、ただ視聴率を上げて報酬を得るための所作にしか過ぎない。

韓国や中国を卑下する右翼的思考もあってのことかもしれないが、近隣アジア諸国の中で抜きんでているという思惑もIT事業や稼ぎ高で経済大国を追い落とされた現状を無視している。

 

ひとっころのように”島国根性”と自分を極端に卑下する必要はないが、空疎な自慢は周りが見えず独断だけのトランプ大統領と一緒ではないだろうか。

 

 

 

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2025年5月 7日 (水)

米騒動

先日長野で宿を借りた友人宅での話し、自分は全国鉱山労働組合の一組合員として安保闘争のデモ隊に加わり国会前でデモ行進に参加したが、一歳上の彼はどこのセクトだったか聞かなかったが樺場美智子さんが亡くなった前日に現場にいたそうで、二人の感想はいまの若者は何事にも怒るということがなくなってしまったな、、、と言うことで一致した。

 

弥生時代に米が日本に入ってきてから紆余曲折はあったにしてもコメは日本人の主食であり続けた、

自分の記憶でも戦後しばらく続いた食糧難や平成五年の冷害による米不足を経験しているが、昨今のような米不足は理解できないでいる。

江戸時代以来天災による米不足は度々あったが、そのたびに米業者が値段を吊り上げるため米を隠したりしたため、怒った庶民が打ちこわしを含めた米騒動を起こしている。

一番近い例では大正七年、富山県の主婦を発祥としている米騒動が全国的に広がり政府が乗り出すまでに大きくなったのも、一部業者が買いだめに走ったためと云われている。

昨年の米の収穫高は平年作といわれながら米の値段は急上昇し、今年初めに二十一万トンの備蓄米を放出したのに米価は下がらず、その後二度にわたっての放出も効き目がなかった。

その原因として最初の米の放出を落札した農協がどこかに隠しこんでいて、市場にはわずかしか出回っていないことが明らかになっているがその理由と対策をやっと今ごろになって首相が指示したと新聞に書いてあった。

なんだか農協は農家や国民のことを考えずむかしの打ちこわしっを受けた悪徳商人のような役割を果たしているような気がしてしまう。

集票能力から、むかし”農協さん”と言われたころの政治圧力団体から地に落ちた権力の回復を狙っているとしたら、米離れ、農家離れがさらに進行していくことになると思うのだが、、、、、、、、、、

 

 

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2025年5月 6日 (火)

ゴールデンウイーク終了

今年も今日でゴールデンウイークが終わった。

諸物価値上がり、特に宿代の高騰のなか自分も久しぶりに年寄りの冷や水的に前半戦に参加したが、宿代の高騰からランクを下げての旅行となった。

しかし、これが意外と良かったと見えて連れの評価は良かった。

一つには五人しか止まれない民宿で女性一人だったので、病気を心配してあまり温泉に行きたがらない連れを宿の許可を得て女性の脱衣所で待機させてもらったり、小さな器で山菜尽くしの料理などの宿など小さくて安いところがよかった。

また、前半は飛び石だったこともあり交通がスムースにできたことでストレスがなかったことにある。

 

それにしても、後半は新聞をにぎわす事件が沢山あり、今日の雨はのぼせた頭を冷やすこうかがあたtのかな??

 

 

 

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2025年5月 4日 (日)

報道の自由度

今朝の新聞を見て驚いたことが一つ、日本の報道自由度はセかい180国中66位でG7国中最下位の評価されていたことにある。

ホワイトハウスからAP通信記者を排除しているアメリカが57位、戦争中で制限が多いウクライナでも62位という。

日本の66位には「日本は政府と大企業が主要メディアの経営陣に圧力をかけて報道をゆがめている」「記者クラブがメディアの自主検閲を行ない外国人記者に差別をしている」というのが理由だそうだ。

いままで、開かれた報道で自由に情勢を見ていられていると思っていたが、どうやら世界の評価は違っていたようだ。

”日本の常識は世界の非常識”と言う言葉を聞いたことがあるが、この辺の所にあったのかもしれない。

たしかに日本の新聞はお役所の言うことにはあまり批判してない、警察発表はそのまま鵜のみし独自の取材はテレビドラマの中でしかありえないとは冤罪事件や先日の殺人事件でも感じたものだった。

 

もちろん、ロシアの171位 中国の178位そして北朝鮮が179位となったのは当然のことながらエリトリアが最下位の180位となっていた。

改めてエリトリアとはどんなところなのか調べてみたい気がする。

 

 

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2025年5月 3日 (土)

すっきりくっきりと

今日は憲法発布記念日。先の大戦で無条件降伏した結果それまでの大日本帝国憲法が廃止され新たに民主国家の礎となる憲法が発布された日である。

日本では重大な祝日の一つであるがどの祝日も同様のように日の丸の旗を立てた家は見えない、政府の記者会見場では恭しく頭を下げている旗であるが、オリンピックぐらいでしか一般国民は気にしていないようである

この憲法も発布されてから今年で78年、この憲法のおかげで日本からせんっ総犠牲者がほとんど出ることがなくなったが、やはり社会の進歩と言うべきなのかいたるところで現状に合わなくなってきているのは認めざるを得ない。

そこで憲法を改正しようという動きが近年目立ってきているが、いわゆる保守層と言われる人々は占領軍に押し付けられた憲法という観点からの見方を主力に置き憲法九条ばかりに目を向けていている。

そのため、憲法改正と言うと九条ばかりに目が向き、そこを変えたくない人々は護憲派という名前の下改正に反対している。

本来なら憲法を守ろうとする人たちが保守系で、改正しようとする人が革新系となるはずが逆転している不思議さ、、、、、、、、

 

昨夜の雨は高い山では雪になったようで晴れ上がった青空のその向こうにくっきりと白衣装をまとった富士山や南アルプスが遠望できた。

 

 

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2025年5月 2日 (金)

ふるさとの山

激しい雨風の音を聞きながら先日来の疲れが出てきたらしく終日うとうととして過ごした。

歳をとると疲れもすぐに出ないというのは本当である。

それにしても良い時に故郷へ帰ってきたもので、丁度一週間前の今日静岡から安房トンネル平湯峠を超えて高山に着いたのは午後一時ころ、約280kmであった。

屋度に入るには少し早すぎるので旧市街二ノ町三之町付近を散策したが、ここも例にもれずインバウンドとかで狭い道筋や立ち並ぶ店には外国人で一杯、人込みに慣れていない身にとってはかなり辛い、さらに追い打ちをかけるようにして強い香水が店内に立ち込めて長居が出来ない状況になってきた。

そこで、北アルプスが眺められる駅西の”アルプス展望公園”に行き乗鞍 笠ヶ岳さらに穂高を眺めて過ごした。

のちほど黄砂の影響と聞いたが、穏やかな春の日のもと墨絵のように近くの濃い山が次第に淡い鼠色の山々、そしてその向こうに空に紛れ込むかのようにうっすら白い北アルプスが連なる。

飛騨にいた当時はこれらの山々のすべてを歩いたものだと自慢げに話していたが、この霞たつ風景は静岡では感じられない風景であり懐かしさが身に染みた。

しばらくすると地元の老人ホームの入所者たちが介護人に支えられながら

ベンチに腰掛けて日向ぼっこを兼ねて世話をしてもらっていたが、どんな気持ちでこの風景を眺めていたのだろうか、、、、遠目ながら穏やかそうな人 そうでない人 全然無関心でぼうっとしている人それぞれがこれまでの生活が 性質が出ているようでそちらの方を眺めてしまった。

 

石川啄木ではないが”ふるさとの山は有難きかな”を実感した。

 

 

 

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2025年5月 1日 (木)

五月朔日

今日はメーデーと八十八夜が重なった日である。

べトナㇺ戦争が終結して五十年、メーデーの行進で高揚した気分聞いたニュース、あの無敵アメリカが見放すと民衆の支持を失っていた傀儡政権はあっという間に制圧されてしまった。

アメリカとの同盟はこの程度のものであることを知った最初であり、その後のアフガニスタンなどでも同じことが繰り返されたが日本政府はそうした現実から何も学ぼうとはしてこなかった。

 

一方「八十八夜の別れ霜」と言われるように暖国静岡でもようやく霜が降りすことがない時期になったとのことで、ここしばらく燃料切れのまま放っておいた石油ストーブを掃除して片づけることにした。

山は若葉の黄緑色に覆われてきたがそのむかし四月末の遅い霜に茶畑を霜害でやられた農家の人がすることがなく、自分らの現場に来て文句たらたらと嘆いていたのを思い出す。

こちらも公共予算のあまり金で発注された工事で大急ぎ、残業に残業をかさね夜遅くまでの突貫工事で気が高ぶっていただけに、関係のないブツブツに危うく喧嘩しそうになったことがあった。

 

いつの世もいろいろと思い出すことの多い五月朔日である。

 

 

 

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