五月朔日
今日はメーデーと八十八夜が重なった日である。
べトナㇺ戦争が終結して五十年、メーデーの行進で高揚した気分聞いたニュース、あの無敵アメリカが見放すと民衆の支持を失っていた傀儡政権はあっという間に制圧されてしまった。
アメリカとの同盟はこの程度のものであることを知った最初であり、その後のアフガニスタンなどでも同じことが繰り返されたが日本政府はそうした現実から何も学ぼうとはしてこなかった。
一方「八十八夜の別れ霜」と言われるように暖国静岡でもようやく霜が降りすことがない時期になったとのことで、ここしばらく燃料切れのまま放っておいた石油ストーブを掃除して片づけることにした。
山は若葉の黄緑色に覆われてきたがそのむかし四月末の遅い霜に茶畑を霜害でやられた農家の人がすることがなく、自分らの現場に来て文句たらたらと嘆いていたのを思い出す。
こちらも公共予算のあまり金で発注された工事で大急ぎ、残業に残業をかさね夜遅くまでの突貫工事で気が高ぶっていただけに、関係のないブツブツに危うく喧嘩しそうになったことがあった。
いつの世もいろいろと思い出すことの多い五月朔日である。
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