命のはかなさ
人の命のはかなさを改めて知らされたような気がした。
12日に病気の検査のため入院するという義妹を見舞いするため長野へその前日に行った。
午前中歯の治療予定が入っていたためそれが終わった時点で向かったのだが、普段より遅れての出発が効を奏して朝からの激しい雨風を幾分避ける形になった。
着いてみると義妹はベットに横たわってはいたが何とかトイレには自力で行けるし腹の痛みも言っていたより幾分は軽そうに見えた。
ガン末期と言う病状にもかかわらず連れと三時間余りゆっくりと話しも出来ていたが、あまり長居をしても疲れ指すだけと思い、次の日の入院にはついていくと約束をして宿に入った。
翌日、待ちきれなかったのか予定より早く病院に向かうというので総合病院には少し遅れて入ったが検査室と処置室に行き来するまに向こうも気が付いて声をかけてきた。
検査も済み結果はあと数日の命と聞いたので、いったん帰ることにし自動車で二時間足らずの山梨県富士川サービスエリアに休憩していたところ亡くなったという連絡が入った。
やっと二時間ほど前話しをすることが出来た人が病院に入って間もなくなくなるとは、、、、
折り返し戻るわけにもいかないので、翌日にでも再び長野へ行くしかないと思っていたが、通夜 葬儀が15日と16日になったとのことが夜になって決まったため、二日間静岡で疲れ取りをして向かうことにした。
向こうでの葬儀は習慣の違いもあり、親類仲間では最年長になっているが余計な口出しもしないで、枯れ木も山の 、、、に徹していくつもりでぎりぎりに到着するつもりでいる。
それにしても、、、、、、、年下が先に逝くのは身にこたえるものである。
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コメント
岡崎在住さま
久しぶりですね、お元気出したでしょうか。
人の命の不思議さ、何度か一つ間違えれば死んでいた経験をしている身にとって、病院に入って三時間ほど後に亡くなるというのは心外でした。
そんな中でも意識のあるうちにお別れが出来たのはこれまた不思議な巡りあわせでした。
投稿: オラケタル | 2025年6月18日 (水) 21時38分
オラケタ様 ご愁傷さまです。
そういう「最後のお別れ」が出来たのは、奥様含めて今までの「善行」のお蔭のではないかと思われます。いつ自分が死んでもよいように、常日頃から「有難うの言葉」を持ちたいですねぇ~。
投稿: 岡崎在住 | 2025年6月14日 (土) 09時23分