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2025年8月29日 (金)

ヒグラシ

夕方少し前になって今年初めてヒグラシの鳴き声を聞いた。

正確には声ではないのだが秋を告げる物悲しい気分にさせる声音である。

毎朝仏壇に向かって「今日もよろしく」というのが日課のようになってくると、一年の計どころでなくその日その日の日暮しは蝉と同じようなものか。

明日当たらりMRIの結果を聞きに行ってくるつもりだが凶と出るか吉と出るか、、、、、、あまり吉はでないおみくじが出てきそうな予感はする。

MRIを受けると話している老婦人からは、「私のやっている占いで吉でした」と電話が来たが、、、、、、人生の方は後期高齢者を長年続けているのだから秋はとっくの昔に過ぎているのだ。

 

 

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2025年8月27日 (水)

永らえば

「命ながらへば恥多し」中国の荘子が書いたと言われ、日本では兼好法師が徒然草の一節に使ったと言われている。

清廉潔白でも清く正しく美しくもない我が人生には、いまだに時折刺さる釘がいくつかあり、それを思い出すたび後ろめたくなる。

一方で自分の好きな百人一首の歌に「永らえば またこの頃やしのばれむ 憂しとみし世ぞ いまは恋しき」とあるようによしなしごとに懐かしんでいるのも歳を経した楽しみでもある。

八十歳はとうに越し、坑内で働く人は太く短く生きると言われた割には長生きをしている。

これは、何回にもわたって飢饉を切り抜けてきた先祖からの遺伝子と、何回かの死地を運よく回避してきた成果のたまものであるが近年になってさすがに身体の各部分の耐用年数の限界が見えてきた。

この先どれだけ恥を重ねるのか分からないがどうか平穏無事に全うすることを望む 、 、 、 、

 

 

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2025年8月24日 (日)

処暑過ぎても

昨日が処暑だった。

あ津差も峠を越して秋を感じ始める頃と言うが、いまだ35度越えの気温は「秋はどこ?」という感じしかない。

この暑すぎる気温のせいか、蝉の声もあまり聞かなかった気がするし家の庭では毎年アゲハ蝶の幼虫に食われる柑橘類の葉やクチナシの葉がほとんど被害がないうえ、蚊も出ていないようで、いつもは網戸をしないと入ってくる虫もいないようで、網戸なしの夏で行けそうな気がする。

そのうちこの暑さに耐える昆虫が出てくるのだろうけれど、、、、、

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2025年8月23日 (土)

茶色って

静岡に来た当時「あの色をどうして茶色って言うんだろう」っていう同僚がいたことに驚いたものだった。

飛騨で生まれ育った自分としては囲炉裏の上で煮っからがした鉄瓶に入っているお茶は紛れもなく茶色だったが彼らは一回ごとにお茶を飲む分だけ急須にそそぐため緑色をしたお茶を飲んでいたようだ。

むかしお茶は薬扱いにされていたようで煎じて飲むという感覚を持っていたし鉄瓶の鉄分とお茶の成分は反応すして黒い色が出てくるため濃い茶色が当たり前だった。

 

先日地方新聞の一面に「静岡の一番茶が鹿児島に抜かれ二位になった」でかでかと書かれていた。

原因としてはお茶農家の高齢化で生産量が減ったとされていたが、むかし蓮舫国会議員がスーパーコンピュータの予算を見直すため「一位でなきゃダメなんでしょうか」と発言したことを思い出した。

最近のお茶生産は鹿児島に次いで三重県も急伸しているようでいずれ生産量では追い抜かれると思うがこれは高齢化だけでなく、圃場整備で機械化が進んでいることが大きいと思っている。

静岡に比べて鹿児島県や三重県では平地にしたうえで大規模な茶畑にしたため機械化が容易になっているが、急斜面の谷あいが多い静岡ではとても難しいことである、

ただ、むかしから良いお茶は川筋の霧がかかる地形がお茶の味を良くしてくれると言うことを考えると生産量ばかりにこだわらない方が良いのではないだろうか。

 

春になればあちこちからお茶が来る我が家では、書い足しを含めて長野に送っているが、最近では味をしめたようで陰ながら請求してくるようになった。

健在のうちはできるだけ要望に沿って行きたいと思っている。

 

 

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2025年8月21日 (木)

踊るときには

長野に行った折見た新聞の片隅の囲みに「人の踊るときには踊れ」という句が書いてあった。

何かのことわざかと思いつつも嫌な言葉だと感じて帰ってきてから調べてみたら、ドイツが発祥の言葉だとあり、何かが流行る時には率先して入るものだととのこと

ドイツも日本と同じように生真面目な性格の人が多いそうだが、先の大戦の折には国民のほとんどが熱狂して戦争に突き進んでいる。

まさに人の踊るときには踊れで批判や独自行動は赦さないといった風潮になってしまった。

つまり全体主義になりやすい国民性と言ったらよい、その一方で同じ枢軸国だったイタリアは戦争末期にはムッソリーニとその幹部の排除に向かっている。

ドイツの場合はその前の第一次大戦でとてつもない賠償が発生しその鬱屈からナチスの台頭が始まったといわれ、日本の場合は新聞が煽り立てたのが大きいと言われている。

いずれにしろ情報源が少ないことから世界情勢を見誤った国民が一つことに狂気したことによるものであると思っている。

そして最近の日本の情勢を見るに、情報があふれていると言いながら既存のた政治体制やマスコミなどに対する不信感からスマホ経由の情報に左右される若者が増えて少数与党と多党化現象が起き、何も決められない日本が出来上がってきつつある時代になったようだ。

ニセ情報、勇ましい歌劇情報をに踊らされる若者は学校で覚えた多数の方に身を寄せることでいじめを避けるすべを心得ている。

 

まさに踊らにゃそんそんでハーメルンの笛吹き男に連れられてしまいかねないと思うのだが、、、、、、、、

 

 

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2025年8月20日 (水)

是非に及ばず

「心頭滅却すれば 火自ずから涼し」もともとは中国の詩人の句にあった言葉だそうだが日本で有名になったのは信長に攻められた武田方の恵林寺の僧がこの句を詠んで燃えさかる火の中に飛び込んだ、という話しからだそうだ。

燃えさかる火には及ぶべきもないが、またこの頃ぶり返した夏の暑さには修行が出来ていない身にとっては辛いものでとても火もまた涼しいなんて言っておられず、クーラーで午後から朝まで身を冷やし続けている。

もっとも歳をとってこの暑さを感じないようになる人もいるようだが、いまの世の中この方が危険だそうだ。

 

きょうは県立総合病院で肝臓のMRI検査をやってきた。

これまでに何度もCTとMRIをやってきて慣れたつもりだったが、今回は少し場所が違うこともあって、また別な検査であった。

トンネルの中でいろんな音を聞かされることまでは同じだったが、息をと吐いた後そのまま三十秒ほど止めて撮影というのを十回近くやらされた。

息を吸って止めるというのはエコーなどでもあったが、息を吐いて止めるというのは今までなかったことであり、若い時ならいざ知らずこの歳になると30秒ほどの時間と思えるのだがかなり限界に近かった。

検査後、「こんな検査を皆ができるの?」って聞いてみるとあいまいに笑っていたが、、、、、、、、、、、

 

恵林寺の快川和尚が亡くなって間もなく今度は信長自身が明智光秀の謀反で本能寺の火の中に姿を消した、その時の言葉が「是非に及ばず」だったそうだ。

MRIの結果がどう出るかまだ分からないが、こちらも”是非に及ばず”と言ったところであろう。

 

 

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2025年8月19日 (火)

サンマされど秋刀魚

「久しぶりにいいサンマがあったので買ってきたよ」とのこと。夕食にそれを焼かれて食卓に並んだ。

最近では見るも哀れなサンマが多かったので買う気になれなかったのだが、焼きあがったサンマは懐かしの香りをこれ見よがしに近所中に漂わせていたのではないだろか。

「秋刀魚 苦いか塩っぱいか」の歌で有名なサンマは以前はサバやイワシと共に大衆業と呼ばれており、秋になると鉱山の社宅中がこの煙の中に入っていたと言っても過言ではなかった。

この煙と香りが漂い始めると腹をすかせた子供たちが遊びをやめて家に帰ってきた。

 

南米で仕事していたころ、なんでもかんでもオリーブ油でいためた川魚しか食べられなかったし、もとより秋刀魚の採れる国ではなかったので「家に帰ったらジユッと焼き上げたサンマに大根おろしを絡めて食べるぞ」ッというのが常だった。

そのくらいサンマは好きだった。

そして今夕のサンマはまず腹の方に苦いところから食べ始め、最後に残ったのは焼き過ぎた尻尾のみ、、、、

きれいに食べ終わって今年も満足。

 

 

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2025年8月18日 (月)

備蓄米

近所の人から備蓄米を二合ほど貰って初めて食べてみた。

古米なのか古古米なのか古古古米なのかは聞かなかったが白い粒も見られる米で、無洗米にように水で洗っても濁りがすくない米であった。

水に浸けたあと水を多くして炊いてみたがそれでも少なかったようで、少々固めのご飯に炊きあがってしまった。

味としては「なるほど」と予想通りでそんなに不味くはないといったところか、、、、

 

我が家では、長野県の東御市八重原産の米を連れの従姉弟が作っていてはじめは無料だと言っていたが、それでは悪いからと言って当時農協に収める価格を払うことで納得して貰らい三十キロ八千円にしたがそれ以来値上げを言ってもこれで良いと言って二十年ほど変動はない。

佐久近辺で八重原米と言うとブランド米になるらしく、宿の中にはこの米を使っていますと自慢げにメニューに書いてある米である。

 

今日テレビで、新米が出回り始めたと放送していたが、予想通りかなり高値で店頭に出ているようである。

日照りと大雨で稲作の方も苦労されている農家がある中、コメの値段が高騰するのも仕方ないのかもしれないが、、、、、

むかしこんな歌があったのを思い出した。

 

金は天下の回り物 お天道様と米の飯は 

   いつでもついて回るという 

   それはむかしの造りごと

物価と月給の駆けっこじゃ 

    所得倍増とんでもない

          、、、、、、、、、、、、、、、

 

何十年も前の歌とは思えない。

 

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2025年8月15日 (金)

戦争余話

いまから八十年前、自分は飛騨の山奥茂住と言う集落に住んでいた。

その日はいまから思えばこのころには夏の暑さも峠を越し三十度に達してはいなかったと思うが暑い一日だったと覚えている、空は真っ青で暑い日差しの中プールに入っていた。

後々そのプールを見たが高々五メートル四方の小さな防火用水槽だったのだが、、、、、正午にラジオの前に集まれとのことで集落に何台しかないラジオをのある家に行った。

山間の集落だったせいか雑音が大きくて何と言っているのか分からなかったが誰かが「戦争は負けて終わった」と言ったので家に帰って母親に「日本が負けたんやって」と伝えると納戸の暗がりいた母親は生気のない声で「そうか」と一声発したのを覚えている。

 

日清戦争以来昭和二十年まで間断を入れながら日本は戦争を続けながら長期間かかわりあってきた。

最後の戦争で完膚なきまで叩きのめされて八十年が過ぎてきたが、もはや戦争というもの知らない世代がほとんどになって忘れ去られようとしている。

今日のBS放送で「日本で一番長い日」というタイトルの映画が放送されていたが、さすがに三度目となると途中で見るのをやめてしまった。

昭和二十年八月に入って日本各地はアメリカ軍のB-29による焼夷弾爆撃と原子爆弾あるいは艦砲射撃で日本は焦土化した。

その中で八月二日の富山大空襲が自分の知る限りの身近な戦争体験であった。それまでにも兵士を送る白いエプロンのおばさんたちが日の丸の旗を振っていたこと、鉱山に送られる捕虜が小さな貨車から顔をのぞかせていたのは覚えているが、、、、、

富山市内に爆撃が始まる少し前、高原川沿いの集落の人たちが総出で空を見上げていた。なんでもその日の夜に空襲があるとアメリカ軍がビラを撒いて通告していたためだそうで、事前に襲来が分かっていたのである。

何時ころだったか覚えていないが飛行機が編隊を組んで両翼のライトを点滅させながら上空を飛んでいくのに対して迎撃の日本の飛行機はおろか高射砲の射撃もなく悠々と通り過ぎた後間もなく富山方面の空が赤く染まった。

後で聞くと周辺を先に爆撃し市の中心を流れる神通川に避難したところそこを狙うかのようにして爆撃したとか、、、、

とにかく飛行機の通過に対して何の抵抗も見えなかったことから、幼心にも日本は負けたと思った。

しかし、映画によると陸軍参謀本部の若手将校はその事実を認めようともせず反乱を起こしてでも抵抗を試みたとのことである。

このように妄信的な人々は実情を見ようとはしないで、国民や兵士の生命三百万人にも上る犠牲には頓着する様子がない。

 

いま世界イスラエルやロシアの指導者の下、何万いや何十万人の命が無駄に消耗されているが気にする様子はない。

仏教徒風に言えばこれだけの人に被害を及ぼすような人は、死後地獄入りが確約され畜生道か餓鬼道に生まれ変わることになるのだが戦後八十年、あのころの日本軍指導者は靖国からどこの道にいるのであろうか。

 

 

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2025年8月10日 (日)

運動部の不祥事

高校野球で広陵高校が不祥事がらみで辞退をした。

甲子園で一勝をした後辞退はいままでなかったそうで、広陵高校の校長がそのいきさつを述べていたが、SNSの書き込みで生徒野球部員に危険が及ぶことを憂慮して事態に至ったような発言の仕方だと思ったのは自分だけだったかもしれない。

もともとこうした事態に至ったのは上級生からの暴力がらみ事件があり、その事態を報告したところ高野連から厳重注意があったものの甲子園出場には影響がないと言う判断がもとにあった。

これまでなら出場停止のはずだったのではなかったろうか、さらに追い打ちをかけたのが監督ら指導者も同じような行動をしていたということが明るみに出、中傷や脅迫が強まったのではなかろうか。

 

いままでにも運動部がらみの不祥事には昔ながらの上部の人には絶対服従が色濃く残っているところから、その改善策が言われてきているがなかなか直らない。

そんなに強制しなけらば強くなれないのだろうか    

 

今日久しぶりに強い雨が降った。

もうすこし優しく降ってくれたらよかったのにと思うくらいの降りだったが、九州地方の線状降水帯で大きな被害をテレビで見るとそんなことを言っておられない。

とにかくこの雨で湿度は高いものの気温は一気に低くなり先日来少しづつ進めていた下駄箱つくりは八割完成させることができた。

 

 

 

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2025年8月 7日 (木)

天の神様

昨日静岡での新記録となる気温41,4度にもなったのを反省してか今日は36度まで下がった。

それを見て自動車のオイル交換に行き交換を待つ間外で待機していたが、なんだか涼しくさえ感じてしまったのは上空の雲のせいばかりでなかったようで、人間ってものはかなり順応性があるものだと思ってしまった。

ただ、天の神様は最近空の緒説が下手なようで、干ばつや雨降らしが極端になっている。

北陸地方では恵みの雨を待ち望んでいたのに、それを上回る豪雨を瞬間的にドサッと落とし被害さえだしている、一方、静岡はほとんどお湿りがなく地面の渇きはまだ続く予想とのこと、今度はお手柔らかにお願いしておこう。

 

 

今日は寄しくも警視庁と滋賀県の警察トップが冤罪事件で謝罪の記者会見を行った。

連れが大好きな「警察24時」などを見ると優秀な警察官ばかりが出てくるが、皮肉屋の自分から見るとほとんどがやらせに見えて仕様がない。

今日の謝罪会見では、いずれも被告に有利な証拠はを隠しての裁判であり、袴田事件と同様の過程を踏んでいることが分かる。

このことで被告になった人の損害は計り知れない、自白するまで自由を奪われる人質留置やたとえ裁判で無罪になっても疑わしい目で見られるそうで日本人の閉鎖社会の犠牲になっている。

一方思い込みや被告有利の証拠を握りつぶしてでも99%有罪に持ち込む日本の裁判制度はどこかに欠陥があるようだが、証拠隠しの警察官や検事はほとんど処罰を受けないでいることにも問題があるのではなかろうか。

今回の大河原製作所事件に関連した警察官の処分が19人にもなったというが、一番重い人で減給10%という軽い処分だったと聞いて唖然とした。

この冤罪によって高額な金額が支払われることになったが、警察官所轄の都道府県だけでなく恣意的な捜査をした警察官にも罰金を課すだけの処置が欲しいものである。

捜査員を委縮させるつもりはないが、もっと証拠を積み上げ逮捕し、裁判で公開させることが必要ではないだろうか。

いつまでも自白に頼り、その自白を引き出すため長期の拘留を強いるのは一種の拷問と見るべきであろう。

 

 

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2025年8月 6日 (水)

予告通り

まったくもって大した魂消た一日であった。

昨日の天気予報では40度越えの暑い一日を予告していたが、その通りになるとは思わなかった。

朝から暑い予感はしていたが午後になって外に出てみると西からの暑い風が吹きつのっていた、焼津や藤枝との境に宇津ノ谷や高草山 万観嶺峯などの山の連なりから吹き下ろすフェン現象のためであろうが、浜松市で記録された去年までの国内最高温度に県都として負けられぬとでも思ったのだろうか、、、、、

夕方になっていく文気温も下がったかと見て裏の畠に行ってきたが水槽の水は風呂並みに熱く、このままやさに掛ければ根っこが火傷売をするのではないかと少し離れた位置に撒いては見たが里芋の一部は葉が萎れてうつむき加減になっている。

 

気候の変動に人間のみならず植物もついていけないとなると、、、、、、

世界で一番炭酸ガスを排出しているアメリカのトランプ大統領は気候変動には興味がないようだが、学者の中にはこのままでいくと近い将来、地球の温暖化がどうしようもない分岐点にを超えると予測している。

 

 

 

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2025年8月 5日 (火)

記録は破られる

長年人類には無理と思われた100mを10秒を切って走ったのは1968年メキシコで行われたオリンピックでのことであった。

当時はまだ手押しのストップウオッチだったので押し間違いかと思われたこともあったようだが、一度堰を切った壁はその後瞬く間に世界に広がり今では日本でも10秒を切らないとオリンピックの派遣記録にならないと言われるくらいこの壁は低くなった。

「記録は破られるためにある」という言葉を聞いたことがあるが気温に関してはなるべくお手柔らかに願いたい。

 

それに習ったわけではないだろうが一昨日気温が41,2度と従来の記録を0,1度日本最高温度を更新したとたん今日はさらに大きく41,8度となった。

この調子で行くとさらに更新する可能性さえ出てくるくらいの情況であるが、日本のみならず地球がどうにかなってしまいそうな予感さえする暑さが続いている。

 

1970年代自分たちの職場では世界各地に鉱石探しの従業員が散らばって仕事をし、正月にはなるべく帰れるように頑張っていたが、新年会の席などではそれぞれの派遣先での話しに花が開いた。

自分はスペイン語圏内なので南アメリカだったが、フランス語圏ではイランに言った連中の話しに砂漠の中で仕事をするとボーリングに使用する水を求めて虫や動物が次第の多くうろつくようになったとのことだったが、一番興味を持ったのがボーリングに使うロッド(鉄の棒)が高温になっているのに気づかず触れて火傷を負ったという話しだった。

今日のテレビでは遊園地の手すりが50℃越えだと言っていたので、火傷をするくらいまで熱する気温はいかほどだったのだろうかと今になって思う。

この調子で行くと日本も近い将来砂漠になるのではないだろうか、海に囲まれた日本がそうなったときには地球は、、、、、、、、、、、、、

 

 

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2025年8月 3日 (日)

ガス事故

もう五十年以上も前のことになるがしばらく放置していた坑道の先端でボーリング調査をする時にはカンテラの火を細くして胸の間に掛けて入ったものだった。

その理由としてはよどんだ空気と引いていたレールの酸化で酸素が少なくなっている可能性があったからである。

昭和も三十年代にはいるとさすがにカンテラを現場で使うことがなくなったが、そんな中でも一つ二つは常備し酸欠の際には火が消えやすいように細くした。炭鉱ではカナリアに感知させたとも聞いているが自分らはしたことがなかった。

同様に、坑道掘削に伴う発破の際発生する一酸化炭素ガスにも十分な空気を送り薄めてから入るなど見えない空気に注意したものだった。

 

昨日埼玉県は行田市でマンホールに転落した仲間を助けようとして次々と転落し四人が亡くなったという報道があった。

今年初めに陥没した下水道管に落ちたトラックの運転手が硫化水素が発生していたため二か月間外に運び出すことが出来なかったが昨日の事故ではこの教訓が全然生かされなかったようだ。

汚水が流れる下水道管はいままでにも何度も同様な事故が発生しているので周知のことと思っていたがそうではなかったようだ。

この作業を請け負った会社は基本中の基本を知らなかったのだろうか、社員教育やガス検知などの事前準備を怠った結果だとこんな会社に工事点検を依頼した行政の責任は大きい。

硫化水素ガスや酸欠状態の空気は一瞬にして身体がマヒして死に至るという、程度が軽かったとしても後遺症で頭がヅキヅキするくらいは良いにしても脳性まひなどの障害が残る可能性は炭鉱事故などでよく聞いた。

何れにしろ電気同様目に見えないものだけにこんな事故の話は聞きたくない。

 

 

 

 

 

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2025年8月 1日 (金)

昨日の真っ黒な富士山に変わって今日は布団をかぶったように雲をまとって東の山の向こうに見えた。

この雲は台風接近の先駆けで、表面的には柔らかい雲だが中身は激しい雨風になっており、今日登っている人は視界はおろか礫のような雨水に打たれて難儀していることと思う。

そんな気候にも関わらす、自分の住んでいる近辺は真夏のギラギラとした太陽の下、午後になってほんの僅かそれも五分ほどぽつぽつと来ただけで雨雲は去って行った。

恵みの雨は天気予報でも近辺にまでは来ているようだが、この辺りは降らないと言っている。

新潟や富山の米どころは今年は干ばつ気味というし、なかなか雨水が欲しいところには落ちてこない。

 

一時研究が進んだ雨降らしの研究も最近では聞いたことがない。

やはり、自然の猛威にはまだまだ人間が入り込む余地がないのだろうな。

 

 

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