心得ている
毎年のことだが年も押し詰まってくると帳尻を合わせるよう訃報が入る。
昨夕遅くいとこの子供から電話があって彼の叔母さんが亡くなったと言ってきた、 九十二歳だった。
なんでも娘が家に寄ると玄関の鍵もかかっていなかったので入ってみると老化に座り込んだままの状態で息絶えていたそうだ。
看取る人もなく孤独死だったことになる。
以前と違って親類縁者はもとより子供たちでさえ仕事のため家を離れて暮らすようになった昨今、孤独死はどこにでも起きうることであり、その最後はどんな状況であれ静かに訪れる。
自分にとってこの人は父方のいとこに当たり、この人の家族はこれですべての姉弟がなくなったことになる。
八月には母方の同い年の従姉弟がやはりひっそりと旅立っていて、一時は五十余人を数えた従姉弟も今では両手に足りないくらいの人数になってしまった。
自分の兄弟は五人すべてが生きているが、自分はもとよりすべてが危うい状態と言って差し支えない。
誰が最後になるか分からないが、我々の世代も語り草にさえならなくなるのは程近いものと心得ている。
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