一寸先は闇
今日飛び込んだニュースは立憲民主党と公明党が一緒になるというものだった。
政治の社会というものは分からない、一寸先は闇とか、昨日の敵は今日の友とかが平気で通用し、それを受け入れる度量が無ければやっていけないようで、自分らの狭い料簡の持ち主にはとてもできないことのようだ。
右傾化する社会のなかでこの統合が票につながれば言うことがないのだが、一番下で闘ってきた運動員や一票を持つ有権者の心にどれだけ響くのか、、、、、、、
短期戦だけに烏合の衆と言われないよう頑張ってもらいたいものだ。
二人に一人が罹るとまで言われる癌だがむかしはこんなに多くなかったという人がいたが、これも寿命が延びたせいで、むかしは癌が発生する前にほかの病気で亡くなっていたのだろうと思う。
自分も今年はむかし流の数え年で言うと”米寿”という目出度い歳にになり、自分の親世代で最長老だった父親の兄に比べると随分と元気に生活していることになる。
五十人を超えた従姉弟うちではこの歳を超えた人は何人もいるが、すべてと言って良いほど他界し今では自分の姉に次いで二番目の長老になってしまって、随分とみんなから大事にされている。
ただ、昨年の肝臓がん手術後に見た調査によると肝臓がんの五年後生存率は33%ほどだそうだから、、、、、いずれ近いうちには御呼ばれがくることになっているようだ。
来年のことを言うと鬼が笑うと言われる中 ”一寸先は闇” なんだろうね。
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コメント
岡崎在住さま
随分と返事を無視したようになってしまってごめんなさい。
そうでしたね父ちゃんが定年になったのは昭和51年でしたか、あのころは鉱山が無くなるなんて思わなかったもんな、、
次の仕事に興味があったとは、当時としては驚きでしたでしょう。
先日来高校卒業名簿を探していますがどこへ行ったのかなかなかわからなくて、おかげであなたの住所が分からずじまい。
先年の快気祝いも出来ず残念です。
投稿: オラケタル | 2026年1月27日 (火) 15時37分
読者からすると、是非とも、「記録更新」をお願い致しますねぇ~😅
そういえば前平の父ちゃんが、1976年(昭和51年)に神岡鉱業所の55歳の定年(55歳)を迎え、それは昭和50年であって、まんだ「鉱山合理化前」であった時に、愛知県刈谷市に次の居住先(不動産)が決定しており、父ちゃんは「刈谷でどんな仕事が出来るか楽しみやなぁ~」とニコニコして言って御座った。
其れを思い出し、父ちゃんの意志を継ぐべく、直近で「就職先」を見つけました。75歳まで頑張りまするでねぇ~😁
投稿: 岡崎在住 | 2026年1月16日 (金) 17時45分